Ocean Newsletter
第242号(2010.09.05発行)
- 東京大学大学院新領域創成科学研究科 海洋技術環境学専攻 教授◆佐藤徹
- 東京海上日動火災保険株式会社コマーシャル損害部主任調査役◆井口俊明
- 岩手県沿岸広域振興局経営企画部特命課長(海洋担当)◆髙橋浩進(こうしん)
- ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科教授・研究科長)◆山形俊男
海難船舶への沿岸国の対応
[KEYWORDS] 避難地/避難地に関するガイドライン/避難地の提供東京海上日動火災保険株式会社コマーシャル損害部主任調査役◆井口俊明
船舶が航行中に海難に遭遇した場合、近辺の沿岸国に対して避難地を提供するよう許可を求めることがあるが、近年、環境保護の観点から沿岸国がこれを拒否することが多い。
IMO(国際海事機関)は「避難地に関するガイドライン」を作成し、沿岸国がこの点について判断する際の基準を設けた。EUなど多くの国が本ガイドラインを採用しており、わが国も採用することが望ましい。
はじめに
現在、アメリカでは本年(2010年)4月に起きたメキシコ湾での石油掘削施設からの原油流出事故が大きな問題となっており、発生から数カ月を経た現在(8月初旬)に至っても、油の流出を完全に封じ込める作業が続行している※。この事件を契機として、海洋汚染事故への対応、とりわけ、各国の油濁事故への対応計画の重要性が改めてクローズアップされている。
ここでは、船舶が航行中に海難に遭遇して、近辺の沿岸国に救助の支援を求めた場合、沿岸国としてはどのように対応すべきか、という問題について考えてみたい。
海難船舶の事例
まず、次の事例について考えてみたい。
(1)タンカー、P号は重油を積んで航行していたところ、(陸岸から約25マイルの地点で)船体が傾斜したため、もよりの沿岸国の当局に人命の救助を求めた。沿岸国は直ちにヘリコプターを手配して、乗組員を救助した。船長など数名が船内に残るとともに、船主は救助船(曳船)を手配して現場に急行させた(曳航索を連結した時、陸岸から約3マイルの距離にあった)。その後、船主は当局に対して、同国の領海(陸岸から12マイル)の中の避難地へ入港するよう要望し、その許可を求めた。しかしながら、当局はこれを認めず、P号を逆に、沖合に向けるよう指示した。この指示に従って、本船を外洋に向けて曳航している途中に、公海上、陸岸から約160マイルの地点でその船体が折損し、沈没した。この結果、積荷の重油が流出して、入港を拒否した当該沿岸国の海岸を汚染して、大きな損害を与えることになった。
(2)船主は、沿岸国が避難地の提供を許可しておれば船体の折損と大量の油の流出は避けられたと主張し、一方、沿岸国は許可しなかったことは妥当であったと主張した。
これは、2002年11月にスペイン北西部の沖合で発生したバハマ船籍のタンカー、Prestige号に関するものであり、同船はスペインから入港を拒否され、その後、折損の結果、積荷の約6万3千トンの重油が同国海岸に漂着したため、1千億円を超える損害が発生した。
わが国も含めて、海洋に面する沿岸国にとっては、今後も類似の事故が起きる可能性があり、その場合、沿岸国は避難地の提供を許可するか否か、の決断を迫られる。この問題は沿岸国の政府のみならず、国民にとっても重要である。
IMOの「避難地に関するガイドライン」

2002年11月に発生した重油タンカー、プレステージ号の海難事故。
沿岸国には、遭難した船舶や人命を救助する義務があることは国際海事法の基本原則と言われているが、近年、世界的な環境問題への関心の高まりにより、人命の危険がなく、船舶(および貨物)の損害が経済的なものに過ぎない場合、沿岸国は避難地の提供を拒否することがしばしば見受けられるようになった。この点についての国際条約はない。
Prestige号事故などを契機として、IMO(国際海事機関)は2003年に「支援を要する船舶の避難地に関するガイドライン」(以下、本ガイドラインと言う)を作成した。人命の安全については既存の条約によるが、「船舶の喪失または環境上もしくは航海上の危険を生じさせる船舶への支援」については本ガイドラインによる、として、沿岸国は、受付窓口として人命救助とは別の新たな部署を設けるとともに、避難地への入域を承認または拒否した場合のリスクについて客観的な分析を行なった上で諾否の判断を行うこととした、さらに、その分析のために検討すべき諸点を掲げた。また、専門家による分析の必要性を指摘し、結論としては、沿岸国は公平な見地ですべての要素およびリスクを考慮して、合理的に可能と判断されるときは避難地を提供しなければならないとした。
本ガイドラインは各国が任意で採用するものであり、国際的な強制力はない。
世界の動向
欧州連合(EU)は2002年の船舶通航監視指令で各国に対して「避難地に関する計画」を立案するよう義務づけた。その後、欧州議会で議論の結果、2009年に同指令を改正し、各国に対して、避難地の提供の可否について、自ら状況を評価して決定する権限と専門性をもつ「権限ある当局」を指定して、船舶の収容に関する評価基準、決定の手順、金銭保証、賠償責任などの手続を含む、「船舶の収容計画」を本ガイドラインに基づいて作成することを義務づけた。
豪州は「海上避難地に関するリスク・アセスメントの国家ガイドライン」を2003年に作成し、米国は本ガイドラインに基づいて「避難地に関する政策」を2007年に作成した。また、欧州の諸国間協定(北海での油濁事故に関する「ボン協定」やバルト海での油濁事故に関する「ヘルシンキ条約」)にも本ガイドラインが導入されている。
一方、万国海法会は避難地の提供に関する責任と補償について検討のうえ、条約(またはガイドライン)の草案を作成してIMOに提出した。IMOは2009年に審議のうえ、当面、この分野で新たな条約は不要である、という結論に達した。
おわりに
このように、この分野での国際的な法的枠組みは近年、大きな進展をみた。わが国は避難地に関する特別な国内法は設けていない。この問題に対応するための法体制が、今後わが国でも早急に整備されることが望まれる。(了)
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