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オーシャンニューズレター

第232号(2010.04.05発行)

第232号(2010.04.05 発行)

東京湾の救世主、打瀬舟の復活をめざして

[KEYWORDS] 打瀬舟/東京湾/技能継承
東京湾に打瀬船を復活させる協議会◆森山 利也

かつて東京湾の漁といえば、木造船の打瀬舟だった。
しかし、最盛期には1,700隻あったというその姿を、現在見ることはできない。
藻場も減り沖合へと漁場も変わり、風を動力にしていたものがエンジンに変わり、打瀬のシンボルといえる「帆」を見ることはなくなったが、われわれは打瀬舟こそが現在の東京湾の救世主になりうる存在だと信じて、その復活を考えている。

打瀬舟との出会い


■打瀬舟のシンボルといえる「帆」

最盛期には東京湾内に1,700隻あったといわれる打瀬舟※1の姿を現在見ることはできません。漁そのものが廃れてしまったわけではありませんが、藻場も減り沖合へと漁場も変わり打瀬のシンボル的「帆」に風をうけ漁をする舟はなくなったということです。風を動力にしていたものがエンジンに変わり、今でも盛んに行われている手繰り漁がその進化系と言えます。
昨年、協議会※2では打瀬漁の視察に北海道の野付や熊本県の芦北に足を運びました。残念ながら現存する生業としての打瀬漁は野付湾のみで、観光のためのみに霞ヶ浦や芦北に舟はありました。野付では水深2~5mのアマモの生い茂る浅海を小型の打瀬舟が水面を滑る様に風を受け、北海シマエビ漁が行われています。北海シマエビの繁殖地帯になっている藻場を守り、漁を続けていくには打瀬漁が理にかなっているということです。驚いたのは熊本の芦北に着いた時、目の前には想像を上回るほどの大型の打瀬舟が岸壁に舫われていました。芦北漁協は打瀬漁が主力の漁協でした。ここでは観光的に打瀬漁を体験できる舟もあり乗船しました。真っ白な帆を揚げ、漁を間近に見ながらゆったりと海面をすべり、不知火の海の幸を堪能しました。舟のほとんどが船齢四十年近い木造船でありました。なぜ今、われわれが打瀬舟の復活を考えるのでしょうか?

生まれ育った海、海が教えてくれたもの

私は幼少期を千葉県の浦賀水道に面した内房の竹岡で過ごしました。遊び場は砂浜。子供ながらも生活を感じる場面も磯や海岸でした。漁から戻った漁船はコールタールを塗られた丸太を砂浜に並べ、上部に穴が開けられた縦型の木製ウインチを中心に棒を差し込み、ぐるぐると人力で押して回り、舟を浜に引き上げていたことを記憶しています。舟の動力はもっぱら「焼玉エンジン」が主力で、私が小学生になった頃から徐々に舟も高速化し、網も綿糸からナイロンへ、浮き玉もガラスからプラスチック製の物に変わっていきました。私の家系は造船業が多く、私の父も家大工でしたが船大工もこなし、物置には沢山の大工道具や船大工道具があったことを記憶しています。今では貴重な「鍔ノミ」も私にはフェンシングの剣にしか見えずよく遊んだものでした。見つかっては怒られていましたが......。一度、引越しをしているのでこの道具類がどうなったかは......今あれば宝の山だったのでしょう。
小さな頃から当然のように釣りもしてきました。父親が「浦島」と呼ばれるほどの釣り好きということも幸いしたのか様々な魚種に出会い、それぞれの魚の特徴や習性、味も学びました。干潮時にはいつも釣りをするところまで行って海底の様子を覚えたり、潮の干満、風向き、太陽の位置などで魚の釣れ方がなぜ変わるのか? 私には海が「生きた百科事典」そのものでした。
そして、こうした風景を過去のものとしないために、打瀬舟の復活をめざしたわれわれの活動が役立てると考えているのです。

その一:海への関心を持ってもらうこと

未だに高度成長期の「汚れた東京湾」のイメージが払拭されていない現実があります。東京湾の魚が食べられるのか? 東京湾に魚が居るのか? これが多くの消費者の声です。日本で一番生息魚種の多いことも、目の前に広がる東京湾が豊饒の海だということも、近隣に住んでいる方々でさえ知らないのです。漁港に行けば分かりますが、船の排気ガスや油の臭いが漂っていてはこのイメージを変えることは難しい現実です。もちろん打瀬舟は効率的な漁ができるわけではありませんが、一匹の魚の価値は上がります。少なくとも湾内に残る干潟とともに共生でき、自然を感じていただくことは難しくないと考えます。

その二:造船技術の伝承と発展

打瀬舟は木造船です。今われわれが復活させようとしているのは「検見川型」といわれる全長18mの大打瀬です。これは当プロジェクトリーダー金萬智男氏の惚れ込んだ船型で「のめり型」と言われる船首部分が通常の船底ラインより大きく、下部にキール状に張り出した特徴を持ち、優美な船体をいっそう魅力的にみせてくれます。この舟を建造するには日本各地に残る数名のしかも高齢な船大工を召いて、現役の若手の船大工に技術継承を含めてそれらを記録・保存したいという意図もあります。もちろんノスタルジックな思いだけではなく、最新の技術も駆使した新しい木造船も目指します。現実には、木造船に不可欠な「舟釘」でさえ手に入れることが困難です。この打瀬舟を造るには今しかないということなのです。

その三:木材の有効利用と森林の再生

打瀬舟に使う木材は良質の杉が必要です。林業も衰退し、手入れの行き届かない森が多数存在して、大雨による被害や土砂の流出などにより漁業被害も少なくありません。打瀬舟がシンボルになり国産木材の有効利用が様々な側面で良い結果が得られると考えます。また木造船は廃船後も産廃にはならず処理できます。

その四:アカデミックに活用

これだけ豊饒の海に囲まれていながら東京湾岸に住んでいる人々と海との距離は計り知れなく遠いのです。ほぼ工場地帯に海岸線を埋め尽くされ、立ち入ることすらできない現状があります。
海は子供達に、われわれ大人にも様々な恩恵を与えてくれます。バーチャルではない世界が海には沢山あり、打瀬舟を通じて風を感じ、自然のやさしさや厳しさを体験し、海の素晴らしさを感じ取って欲しいのです。


■熊本の芦北漁協の打瀬舟

昨年末の芦北の視察から縁あって色々なことが急展開しています。現役引退する漁師の方から打瀬舟を譲っても良いと話を頂き、協議会では譲り受けた打瀬舟を東京湾まで回航しようと企てています。様々な人との繋がりができ、私達の志に、まだ使われるか分からない「舟釘」を打ち始めてくれている鍛冶屋さんも現われました。この三月※3には海ホタルで野付と芦北の協力を受けパネル展を開催しました。
打瀬舟は現在の東京湾の救世主になりうる存在です。その姿はシンボルにふさわしく華麗で優美です。東京湾岸三千万人の住民にこの活動を通じて東京湾の存在を身近に感じ豊かな心を育むためにも必要と考えています。(了)

※1  打瀬船は、通常はこのように「船」の文字を使うが、帆で走ることに意義を感じ、本稿では著者は、あえて「舟」と表記している。
※3  アクアラインの海ほたるPA4階にてパネル展を開催(2010年3月1日~14日)

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