Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第22号(2001.07.05発行)

第22号(2001.07.05 発行)

海を渡った仏教

立正大学仏教学部4年◆秋元奈津子

かつて海の道を通って東南アジアに仏教が伝わり、穏やかな仏教国家のシステムが築かれた。「海上交易-宗教の伝播-国の成り立ち」をテーマに考えれば、国際関係に新しい視点が生まれるのではないか。

海のシルクロードと仏教

シルクロードを通って仏教は日本に伝わった。シルクロードといえば、砂漠をラクダの背に乗って進む隊商を思い浮かべる人が多いだろう。だが、南の海を舞台とした交易路、「海のシルクロード」を通って伝わった仏教もあった。

「海のシルクロード」を渡った仏教は、部派の名称から上座部仏教、伝わったルートから南伝仏教と呼ばれる。両方の特徴をもって南方上座部仏教と呼ばれる。日本に伝わった大乗仏教に対し小乗仏教と呼ばれることもあるが、あまり良い呼称ではない。自己の救いのみを求める小さな乗り物との蔑称だからだ。しかし、上座部仏教は、実はブッタの教えを忠実に守る伝統的な、いわば正統派の仏教である。

現在、上座部仏教を信仰するのはスリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアなど、主に東南アジア大陸部の国々である。そこでは、いくつもの民族や首長国が興亡を繰り広げた歴史がある。国を興す上で交易ルートの確保と王権の確立は不可欠のものであり、そこにおいて宗教の果たした役割は大きい。

海と国と仏教

紀元前3世紀ごろ、護法の王として名高いインド・マウリヤ王朝のアショーカ王は九地方に仏教の伝道師を派遣したという。その中にマヒンダ長老をシーハラ島へ、ソーナ長老とウッタラ長老をスワンナブーミへ派遣したという記録がある。

シーハラ島とはスリランカのことで、スワンナブーミとは現在の下ビルマからマレー半島を指す。スワンナブーミはインド方面の渡来者の玄関口として東南アジアの中でもいち早くインドの文化、文明に触れる機会をもった土地である。

インド人は古くから、ヨーロッパとの交易品として需要の高かった香辛料や黄金を求めて東南アジアへと航海していた。季節風の発見や航海・造船技術の発展が海上交易を盛んにする中で、仏教の教えが長期に亘る航海を可能とした面があることは意外と知られていない。インド古来のバラモン教とそれが大衆化したヒンドゥー教では厳しいカースト制度があり、多くの船員が長い航海をひとつ船の中で過ごすことを困難としていたが、カースト制度を否定する仏教の教えは船での勤務や生活には好都合であった。

交易船が入る東南アジアの地域に、港と市場の機能を備えた港市が生まれ、経済の中心となって栄え、やがて国の形を成していく。当初、古代東南アジアの権力者に歓迎されたのはヒンドゥー教であった。シヴァ神など強力な神を持ち、神と王を一体化させる神王崇拝の思想で王位を正当化しようとしたのである。今も残るアンコール・ワット遺跡はその象徴といえる。

ヒンドゥー教、上座部仏教とともに大乗仏教ももたらされたが、大乗仏教は観世音菩薩と王を同一化させるなど、ヒンドゥー教と似たような役割をもった。11世紀から13世紀にかけて上座部仏教が東南アジアの民衆の間に浸透していく。社会に根をおろすに従い、それまでの神王崇拝に代わり、仏教を拠り所とする民衆、仏教を実践する教団、その教団を保護することにより民衆の支持を得る国王という三者の関係によって成り立つ仏教国家と呼ばれるシステムが形成されていった。東南アジアに穏やかな精神風土の国家が築き上げられていったのである。

文化・文明を融合する海

歴史を見れば分かることだが、文化や宗教といったものは、商いを目的とするルートに乗って伝わっている。交易という商業活動の結果開かれた道に乗って伝播され、王権主導の保護によって発展する。この仏教伝来の軌跡を世俗から離れるべき仏教の立場から矛盾とみなすか、海を越えた勇気ある信仰の証とみるかは人それぞれであろう。しかしどうなのであろう、マヒンダ長老、法顕、鑑真和上など、海を越えた多くの僧達の勇気は、苦しみに満ちた世界に生きるすべての衆生を悟りへと導くことを願ったからに他ならないのではないか。純粋な信念というべき信仰心によって伝えられた思想は、厳しい自然の中に開かれたシルクロードをさらに美しく彩るものではないかと思う。

スリランカ以外の上座部仏教国は東南アジアの大陸部であるが、決して内陸に閉ざされることなく、河川を通じて内陸や沿海へと通じる交易ルートを確保し、それらを通じて積極的に宗教交流を行っていたという。今も東南アジアに群立するパゴタや寺院、それらに手を合わせる人々、その篤い信仰の姿を思う時、仏教をはじめとする宗教と、それに伴う文化を運んだ海は、資源など国益や利権の対象としてではなく人類共通の精神面での遺産、記憶というべきものとして、浮かびあがってくるのではないか。多くが仏教徒であり島国でもある日本にとっても、海と宗教の関わりを学ぶことは自らのアイデンティティーを見直すことであり、新たな国際関係を見出すことに繋がるのではないかと思う。(了)

シルバーパゴタ
カンボジアのシルバーパゴタ
暁の寺
チャオプラヤー河より暁の寺をのぞむ

第22号(2001.07.05発行)のその他の記事

ページトップ