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オーシャンニューズレター

第226号(2010.01.05発行)

第226号(2010.01.05 発行)

海洋と通商精神--哲学者から見た海の機能

[KEYWORDS] カント/対立と中和/坂本龍馬
人間環境大学 学長◆小川 侃(ただし)

カントは海洋に独特の意味を認めた。
海洋は、国と国を隔離し、対立させるが、他方で、国と国を媒介し、相互に富ませる媒体になる。
それは、海洋が通商精神と結合することによる。
海は、対立を中和化するものである。これは坂本龍馬の思想に類似する。

カントの海洋哲学

生涯のほとんどを過ごしたという旧東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシアのカリーニングラード)にあるカント像。
生涯のほとんどを過ごしたという旧東プロイセンの首都ケーニヒスベルク(現ロシアのカリーニングラード)にあるカント像。

ヨーロッパの哲学の歴史のなかで真ん中に屹立するのは、ドイツ(旧プロシア)のケーニヒスベルクの哲学者イマヌエル・カントであるということには、異論がないであろう。そのカントが海洋に独特の意味付けを与えていたということはあまり知られていない。私は、『自由への構造』(理想社、1996、1999;pp.220-224)という書物のなかで、このカントの海に対する独特の価値付けを述べておいたのでまずそれを再現することから私のこのエッセイを始めることにしたい。
カントは、最晩年の『永遠平和のために』のなかで人類への遺書のごときものを書き残したのである。カントの根本の問いは次のとおりである。人類の永遠の平和を確保するにはどのようにしたら良いのか。世界が一つの国になると平和が約束されるのか。カントは、世界が一つの国になることも、また、世界帝国が成立することもよしとはしない。何よりも事実として人類は「言語と宗教の差異」によって決して一体のものにならないし、また、人類の相互の確執、対立、闘争はなくならないと見ている。
言葉が異なる。宗教がちがう。すると、必ず相互に無理解と誤解が起こり、不和が生じる。これは、憎しみを引き起こし、結局、戦争は避けられない。しかし自然は、人間たちに海を与えた。海は、国と国とを隔て、民族と民族を隔離する。人間の世界には、海があり、またそれと結合して「通商の精神」が見られる。人々は、相互に物質を交換して相互に利益を見出し、個々の対立を乗り越えていくのだと見ている。
たとえば、北国にはレモンやオレンジ、胡椒を産出することはない。南の国々には、北方の国に余剰に産出するいわば余計なもの、つまり、鮭や鱈を産出しない。そうすると、南の国のレモンやオレンジ、胡椒などを北国に運び、鮭や鱈と交換するとよい。このような貿易の媒体としての海洋のあり方と通商精神は、構造の思想の本質である「中和」の概念を具体的な仕方で示唆している。

中和の概念

そうすると、構造理論が提示する中和の概念とはいかなるものなのか。この問いには次のように答えることができよう。構造言語学の構造の概念は、二項対立とその中和という思想で示される。私の見るところでは、構造思想を提示したヨーロッパの最初の思想家はヘラクレイトスである。彼のロゴスの思想はその典型である。それは、「異なっているものが同時に根本において一つである」という思想である。起源の思想はつねに単純明快なのである。彼の有名な断片の22を取り上げてみよう。
「上に登る道と下に降りる道とは同じ一つの道だ」という断片では、「上に登る」道と、「下に降りる」道は、同じ一つの道の中で調和していると言われる。「上」と「下」という二項対立は、同じ一つの道の上で中和化している。対立は関係である。このような構造思想は、二項対立の関係の網目の体系が、様々の対立を中和化し、全体として調和させるという考えなのである。
構造の思想の特徴は、物の置かれた領域を越えて、越境して働くという点にある。だから現代絵画の巨匠、ブラックは、「私は物を信じない。ただ関係だけを信じる」と言うし、実際、現代絵画の多くは、物と物との関係だけを主題としている。あるいは、物とそれを見る人との間の関係を描いている。ベルという数学史家は、「重要なのは物ではなく、物と物との関係だ」と言い切ったのである。「人間と言うのは様々の絆の結節点に過ぎない。人間にとって絆だけが重要なのだ」とサン・テクジュペリが語るときには、かれは、人間存在は人と人との関係を生き抜くのだと考えていたのである。

海洋は対立を中和化する

ここで再びカントと海洋の関係に立ち返ろう。カントにいわせると、海洋は、ある国と他の国を隔て、分離し、その結果、国と国の結束を弱め、対立させるのである。ある国民と他の国民とは、相互に海によって隔てられ、隔絶され、その結果、利害の対立も起こるであろうし、また、戦争も起こる。しかし、他方において、海は、商業と通商の媒体である。アメリカと日本とを引き離し分離させ、それぞれを孤立させているのは、太平洋である。しかし、この太平洋と言う大洋は、通商精神によって国民と国民の対立を中和化する。海は、媒体としての通商精神によって分離している国と民族を相互に結びつける。海洋は、国と国の対立を通商精神によって中和化するという意味を持つのである。もし対立とその中和化というのが、構造理論の特徴であるならば、他ならぬ海洋と通商精神こそ中和化を可能にするものなのである。
このようにカントは、海の独特の価値と機能を「対立の中和」に認めた。国と国は相互に海によって隔絶されている。しかし、このことは、海の独特の価値と機能を阻害したり、破壊するものではなく、むしろ国際間の密なる関係を確保するものである。つまり、海は、通商精神と結合して、世界の平和の源泉になる。海洋は、国と国を隔離し、対立させるが、他方で、国と国を媒介し、相互に富ませる媒体になる。相互に富ませる媒体としての海は、海洋が通商精神と結合することにより成立する。海は、対立を中和化するものである。

坂本龍馬とカント

坂本龍馬肖像写真。(写真提供:高知県立坂本龍馬記念館)
坂本龍馬肖像写真。(写真提供:高知県立坂本龍馬記念館)

このように見てくると、明治維新の陰の立役者、明治の日本海軍の遠い祖先の一人、海援隊の坂本龍馬の思想は、カントの海についての思想と際立って似てくるのである。なぜなら坂本龍馬は、カントの「海についての構造思想」をいわば身をもって生きたからである。
大政奉還が実現した暁に役職名簿、「新官制議定書」を作った龍馬は、己の名前を書かなかった。龍馬の名前がないのでいぶかしがった西郷隆盛が、なぜかを問いただしたところ、「役人はいやだ。世界の海援隊でもやりますか」と答えたと言う。世界との貿易による立国を目指した坂本の意志は、周知のように、京都での暗殺によって挫折する。司馬遼太郎は、彼の名著『竜馬がゆく』のあとがきで次のように書いた。
「竜馬のおもしろさは、そのゆたかな計画性にあるといえるだろう。(中略)国家のことだけではなく、自分一代についても鮮明すぎるほどの像をもっている。海運と貿易をおこし、五大州を舞台に仕事をするということである。この二つの映像を自分において統一していた。倒幕回天の運動と海運、海軍の実務の習得と言う二つの方向をまったく矛盾させあうことなく、一つの掌のなかでナワのようにないあげていった」
矛盾させあうことなく統一するというのは、まさしく「生き抜かれた〈対立の中和〉」なのである。(了)

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