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オーシャンニューズレター

第221号(2009.10.20発行)

第221号(2009.10.20 発行)

水産分野から見た沿岸環境の変遷と環境修復の考え方

[KEYWORDS] アマモ場/海洋牧場/水圏環境管理
岡山県農林水産部 水産課長◆田中丈裕

岡山県では沿岸環境や水産資源を回復させるため、アマモ場の再生や海洋牧場づくりなどに取り組んできた。
沿岸の環境修復とは、生態系の修復、物質循環の正常化であるが、これは生物がその環境の中で世代交代を繰り返しながら生活を営み続けることによるbio-remediation(生物による環境修復)でしか達成できないのであり、われわれにできる環境修復とは、そのきっかけを付与することである。

はじめに

岡山の海は瀬戸内海のほぼ中央部に位置し、面積約800km2と狭いものの、1940年代までは約4,100ヘクタールの干潟と約4,300ヘクタールのアマモ場を擁し、海域面積の1割以上が干潟と藻場で占められ、多くの魚介類の産卵・育成の場となっていた。戦後になって国を挙げての米作り政策による干拓、高度経済成長期以降の埋立てなどにより、1980年頃までにアマモ場と干潟の約9割が消滅した。さらに、多様な生物の棲む場所であった沖合の砂堆も1968年から35年間続いた海砂採取によりその多くが失われた。岡山の海は、本来の海域特性や人間生活との深い関わりを通じて蒙った環境変化、その中で辛うじて生き残ってきた沿岸漁業の変遷という観点から、まさにわが国沿岸の縮図といえよう。そこで、微力ながら岡山県の水産部局として進めてきた沿岸環境の修復に向けた取り組みを紹介し、環境修復や沿岸域管理の考え方などについて言及してみたい。

干潟・藻場の再生

アマモ場の様子
アマモ場の様子

干潟・藻場の再生はすべての沿岸域に共通した重点課題である。特に、アマモ場は、沿岸部の大半が砂泥域である本県海域にとって最も重要な環境の構成要素である。産卵育成場などの機能だけでなく、海草特有の腐植食物連鎖のメカニズムが、広域的な海域全体の生態系修復の鍵となる。1985年に種子を採る技術を確立し、20年以上にわたって漁業者らとともに船上から種を蒔き、カキ殻散布による底質改良やカキ養殖筏による透明度向上など様々な工夫を凝らし、549ヘクタール(1989年)まで減少したアマモ場を1,221ヘクタール(2007年)まで回復させた。アマモ場の再生技術については、(財)マリノフォ-ラム21と協働で実証試験や環境条件調査などを重ね、「アマモ場造成技術指針(MF21技術資料No.49、2001)」としてとりまとめた。また、干潟および浅海域の底質改良材やアマモ場の基盤安定材(アンカ-材)としてカキ殻が有効であることを明らかにし、「カキ殻の有効利用に係るガイドライン(岡山県、2006)」を作成した。これらの成果は、重要な要素技術として本県の沿岸環境修復事業の礎となっている。

生物生産の拠点整備~海洋牧場構想~

もうひとつの大きな視点は、生物生産あるいは水産資源供給の拠点整備である。干潟・藻場は魚介類の産卵や幼稚仔育成の場として不可欠であるが、一連の生活史の中では生息環境の構成要素のひとつにすぎない。ある特定の海域が水産動物の周年にわたる生息適地であるためには、その成長・成熟または季節変化に伴う移動・回遊等の生態特性を念頭に置き、幼稚仔、未成魚、成魚、親魚の各発育・成熟段階別の生息場、冬場の越冬場所など、それぞれについて損なわれた部分を修復し生息環境を整えてやらねばならない。また、干潟・藻場の再生や人工構造物の設置による小型のエビ・カニ類、ゴカイ類など餌生物の培養増殖は、有機懸濁物などの無生物を生物に置き換えることであり、水質・底質の悪化を防ぐとともに、個々の水産動物のniche(生態的地位)を崩すことなく、生態系全体の嵩上げによる漁業生産性の増大に繋がる。さらに、音と餌で魚を飼い付ける音響馴致などの方法により魚群行動を制御し効率的な生産に結びつける。このような考え方で1991~2001年度に整備したのが笠岡地区海洋牧場である。さらに、県下2つ目の海洋牧場が東備地区広域漁場整備事業(海の森づくり推進事業)で、消波堤により波浪を制御するなどして、アマモ場を再生するとともに沖に広がるカキ養殖場を拡大させ、カキ養殖筏が持つ魚介類の隠れ場や餌場としての機能を活用し、周辺海域一帯を一大増殖場にしようとするもので、2002~2013年度の事業計画で進めている。

■海洋牧場の位置
海洋牧場の位置
■東備地区広域漁場整備事業イメージ図
東備地区広域漁場整備事業イメージ図

水産分野から見た環境修復とは

「漁業は海のおこぼれを頂戴する産業である」。...私が敬愛するある漁師の言葉である。水産分野から見れば海は漁業の場、漁場である。しかし、漁場となる海域だけが改善され、漁業の対象となる有用水産生物だけが都合良く増えるということはあり得ない。様々な生物が食べたり、食べられたりする関係いわゆる食物連鎖の中で正常な生態系が維持されていれば、これからも、漁業という産業は時の移り変わりとともにその形は変わっても、永続的に受け継がれていくものである。われわれにとって環境修復とは生態系を本来あるべき姿に修復し、維持または拡大することであり、物質循環の正常化に他ならない。また、環境を修復し、その後も維持していくには、生物がその環境の中で世代交代を繰り返しながら生活を営み続けること、言い換えれば、大きな意味でのbio-remediation(生物による環境修復)でしか達成できないと考えており、われわれにできる環境修復とは、そのきっかけを付与することにすぎないと思っている。

おわりに

岡山の海は現在も変わり続けている。かつて富栄養化が進行し赤潮の海と言われた海が、ここ数年の大規模な養殖ノリ色落ち被害に見られるように急激に貧栄養化した。森・川・海の繋がりの中で絶えず流れる水は、生物の生育環境の源であり、漁業という産業は、河川からの豊富な栄養補給によって育まれる海の自然生態系に依存し、また、漁業の存続がこれら自然環境を守ってきたともいえる。国民共有の財産である海を守り、国民にとって貴重な食料である水産物を末永く確保していくためには、河川や沿岸に関わる様々な立場の人達が、より広域的な水圏環境管理という観点を持つ必要があり、栄養塩等のフラックスを科学的に捉えることを基本に、河川から沿岸域まで主な物質収支が総合的にまとめられる水圏規模での管理システムの構築を共通の目的とすることが重要ではなかろうか。これを実現するための概念が「里海」であり、決して人間生活との関わりを断ち切れない沿岸海域において、「里海」の実像が人と海のバランスのとれた理想的な姿として進化していくことを期待したい。(了)

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