Ocean Newsletter

オーシャンニュースレター

第221号(2009.10.20発行)

第221号(2009.10.20 発行)

求む、新しい海の英雄

[KEYWORDS] 海洋科学/地球環境政策/海洋ノーベル賞
ユネスコ政府間海洋学委員会元議長、国際科学会議天文学地球物理学データ解析サービス連盟(FAGS)元議長◆David Pugh

現代の海洋学者は海に出てゆく必要はなく、今や海洋学はコンピュータの中での実験科学となった。
海洋は人間の経済的、社会的活動とともに変容し、今や壮大で予測不能な実験対象にもなっている。
人類が、海洋の持続可能な未来を確保し、資源の賢い活用を確実なものとするためには、長期間、数十年、時には一生涯をかけて仕事に取り組む、現代の新しい海の英雄が必要となる。

海を科学する

ポルトガル・リスボン市ベレン地区にある大航海時代を記念した記念碑『発見のモニュメント』。先頭がエンリケ航海王子。
ポルトガル・リスボン市ベレン地区にある大航海時代を記念した記念碑『発見のモニュメント』。先頭がエンリケ航海王子。
(写真:・Robert Paul Van Beets 2009/Shutterstock.com)

世界の海の探検家は、かつて英雄としてもてはやされ、その航海誌は新しい土地や発見を知りたい巷間に遍く伝えられた。ブーゲンビル、クック、ロス、白瀬、スコット、シャクルトンらは新地域の地図を作成し、動植物を発見し、海陸両方で多くの観測を行った。こうした英雄達は探検家、兼、科学者であり、その眼差しは未来にも向けられていた。私は海面上昇と気候変化の研究のため1840年当時と現在の比較調査に携わっているが、170年以上も前にロスは将来を見越してタスマニア島とフォークランド諸島(マルビナス)での平均海面を測定し、その記録を残している。技術の進歩で海洋観測は今や自動・高速のデータ収集方式へと様変わりした。サイドスキャンソナーで海底地形図を迅速に作成できるし、アルゴフロートは海洋深層の温度、塩分を記録し伝送する。超音波を使えば、数千kmにわたり、海洋哺乳類の移動を追跡できる。衛星で海面高や海色も日常的にマッピングできる。
その昔、海洋学者は長い鬚をたくわえ、長旅から戻れば英雄扱いされた。今は優秀な女流学者が多数活躍し、一流の海洋学者になるのに海に出てゆく必要もない。コンピュータを駆使すれば詳細な海況シミュレーションやモデリングが可能だし、衛星とアルゴフロートのデータを使ってそのモデルを現実に即して調整することができる。昔は海況を観測し記録するのが精一杯だったが、今や海洋学は少なくともコンピュータの中での実験科学となった。実用的な科学実験も可能で、二酸化炭素の吸収を高める海洋肥沃化がその例である。

壮大で予測不能な実験

ところが、海洋の実験にはコンピュータどころか、科学の領域内にもとどまらないものもある。人間活動が温室効果気体を通して地球温暖化をもたらしていることにほぼ疑いがなく、海水位は上昇の一途をたどり、今世紀末までには50cm以上になると予想されている。海洋生物のなかには乱獲され、壊滅に至ったものもある。カナダ東部のタラ漁場は1990年代初頭にほぼ消失した。サンゴ礁は温暖化した気候と海洋の酸性化に脅かされ、陸地を遠く離れた海域でさえ、合法的、非合法的に投棄されるゴミに汚染されている。海洋は今や壮大で予測不能な実験対象になっているのだ。
人類は海を支配し、変化させているが、一方で、海は生命を維持する支えである。地球表面の70%を占め、気候を左右し、地上の生態系を維持する重要な働きも担っている。この壮大な実験は人間が進んで始めたものではない。われわれの経済的、社会的活動がいつの間にかとてつもない規模となってしまったので、海はもはやその衝撃を吸収できず変容してしまったのだ。この実験結果を正確に予測するのは困難である。おそらく海はこの実験には適応できないし、適応するにしても時間がかかるだろう。人類の生み出す未知の「素晴らしき新世界」において、あるものは生き残り、あるものは滅びるであろう。人類は生き延びて進化を続けるかも知れないし、そうならないかもしれない。未来がどのようなものかは謎だ。科学でわかることには限界があり、わかってもせいぜい確率的にわかるだけである。

長期的地球環境政策の必要性

一方で、世界経済は海運、採鉱、レクリエーション、漁業などの海洋活動に依存している。これは近代経済に不可欠であり、適切な対策がとられるならば将来も継続できるし、またそうしてゆかねばならない。地球と海洋に対する人類の不本意な実験を統制し、監視するには、連携したアクションが必要だが、これは簡単ではない。それは海が変化する時間スケールと国々の選挙制度の時間スケールがうまく噛み合わないからである。選挙の多くは4年ごと(例えば日米両国では)に実施される。政治家は海洋環境を支配するプロセスよりはるかに短いサイクルでその業績を有権者に示さなければならない。このような政治家たちに、総合的、長期的な地球環境戦略の必要性をどう納得させたらよいだろう。地球規模戦略の必要性を理解する政治家も多数存在し、国連などの会議に関心を払ってきた面々もいる。オバマ大統領は、先日、米国周辺海域の経済的意義と生態環境を保護・発展させる計画を打ち出した。大統領候補であったゴアは、地球環境戦略を提唱した功績でノーベル賞を受賞している。ただし実際に大統領選で勝利を得たのはジョージ・ブッシュであったが......。
世界的な政府間合意はなかなか進展せず、その効果は部分的である。米国は気候変動に関する京都議定書をまだ批准していないし、議定書の内容の実施に問題を抱える国も多くある。2002年の「持続可能な発展に関するヨハネスブルグ・サミット」が要請した「世界の海洋のあらゆる局面と特性の評価事業」ですら、今なお国連の取り決めである「5年の定期的評価サイクル」の成立待ちなのだ。しかし、明るい面もある。政治家が無視できない一般世論において、海洋保護の必要性への認識が強まっていることである。テレビ、その他のメディアは、沿岸域や外洋には大切に保護すべきものが多く存在すると説く。将来の課題は、海洋生態系全体を保護しつつ、経済的にも賢く利用するようにうまくバランスを保つことである。

未来をみすえた海の英雄を

政治家も科学者も、業績が歴史上でどのように評価されるかは気になるところだ。好印象を持たれ、尊敬されたいのは人の常である。つかの間の甘い誘惑―選挙の票数、あるいは直近の研究助成金―を目指す人達に、彼らの業績が現世においても将来においても認められ、感謝されることを明確に示す方法がある。それは現代の新しい海の英雄―長期間、数十年、時には一生涯をかけて仕事に取り組み、海洋の持続可能な未来を確保し、資源の賢い活用を確実なものとしてくれる人々―の栄誉を讃えることである。彼ら(彼女ら)はわれわれの祖先が讃えた髭の探検家とはかなり違うが、英雄であることに変わりはない。彼ら(彼女ら)こそが、海の将来に対する政治の怠慢や無関心と闘い、起こりうる未来への想像力やビジョンに訴えてくれるのだ。
そうした英雄的な地位にふさわしい候補者の数に不足はない。地球表面の70%を占める海の将来のために奮闘する人たちを顕彰すべきであるが、意外にも、そういった人々の業績を称賛する大きな賞や賞金は皆無なのだ。新しい権威ある賞の授与が定期的に行なわれ、それがマスコミで大々的に報道されて国民一般や政治の世界に大きなインパクトを与えるべきである。おそらく「海洋ノーベル賞」とも称するべきものが必要なのだ。
現代の海の英雄は世界海洋の未来へのリーダーであり、われわれは過去の英雄と同様、現代の英雄にも謝辞を示すべきである。そして、彼らを通じ、われわれ自身が地球の未来を存立可能、持続可能なものにするために貢献していくべきなである。(了)

●  本稿は英語で寄稿いただいた原文を翻訳・まとめたものです。原文は当財団の英文ホームページでご覧いただけます。

第221号(2009.10.20発行)のその他の記事

ページトップ