Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第205号(2009.02.20発行)

第205号(2009.02.20 発行)

海に惹かれて

[KEYWORDS] 海の魅力/海洋汚染/環境問題
プロ野球解説者◆衣笠祥雄

昭和40年広島カープに入団して初めてのキャンプで日南海岸を訪れたときに見た海は、眩しいくらいに明るく、青く、広く、美しい海だった。
しかし、あれほど美しかった海が、いまゴミなどで汚れているのを見ると悲しい気持ちになる。
近年、地球の温暖化が大きな社会問題となっているが、地球に住んでいる一人ひとりが、地球の現状をしっかりと認識して海の将来に対して私たちに何ができるか、よく考えなおさなければならないと思う。

日南の海と出会う

美しい海がひろがる日南海岸(写真提供:宮崎県庁)
美しい海がひろがる日南海岸(写真提供:宮崎県庁)

京都で生まれ育った私にとって、子供の頃の「海」は琵琶湖と思って育った感があります。夏休みの海水浴、魚釣り、子供の頃に自分が遊んだ記憶は琵琶湖しかありませんでした。京都にも海はあるのですが、市内からは遠く、子供の私には行く機会がありませんでした。その私が初めて本物の海を見たのは、宮崎県の日南海岸が初めての記憶として残っています。18歳でプロ野球に入団させてもらい、初のキャンプ地が宮崎県日南市で行われた関係で、昭和40(1965)年1月30日に京都駅から夜行列車に乗り、31日の昼に生まれて初めて宮崎駅に到着しました。広島から合流された先輩方とバスに乗り日南海岸を走っている時に目にした太平洋は、眩しいくらい明るく、青く、広く、美しい海に見えました。そしてその後に始まった私のプロ野球人生で、多くの地域に試合の遠征で飛行機、電車、バスを移動手段として使わせてもらいました。そのなかで、四国や、九州に、北海道の青函連絡船にと何度も船に乗る機会がありましたが、初めて見た日南の美しい海がいつも私の中にありました。

現役を終えてから

堀切峠・日南海岸(写真提供:宮崎県庁)
堀切峠・日南海岸(写真提供:宮崎県庁)

選手時代には時間がなく、ゆっくりと海を眺めるという時間も持てないまま引退の時を迎え、昭和50年頃から海洋汚染のニュースが新聞やテレビで報道されるようになっても、私の中の海の美しさは変わらず残っていました。私の中で初めて新聞、テレビで報道される「海洋汚染」がここまで進んでいるのかと思うきっかけをくれたのは、1987年に引退した翌年のことでした。当時、広島大学で学長をしておられた沖原豊先生に誘っていただき、夏休み期間を利用して文部省(現文部科学省)が行っていた洋上新人研修に参加した時のことでした。それは、大学時代に教育実習で教えることの研修を積んではきたものの、4月から初めて自分のクラスを担当し、現場で楽しさや、難しさ、思わぬアクシデント、思いどおりに行かないもどかしさも経験しつつスタートを切った若い先生ばかりを集めた、ある研修船の旅でした。晴海埠頭から沖縄那覇までの3泊4日の船の旅での経験が、海の現実を知る最初のことのように思います。
野球を終えた時に、ありがたいことに松田耕平広島球団オーナーのご紹介で広島大学教養学部に特別講師として席を頂き、その関係で沖原先生にお誘い頂いたのでした。当時はまだ海にそんなに関心もなく、多くの新任の先生方にお会いできることを楽しみに船に乗せて頂いたのですが、1回目の船の旅は私にとって海の持つ雄大さや、波の音、初めて見る野生のイルカの群れ、トビウオに、ただただ驚きと感動ばかりで、あっという間の楽しい旅でした。
その嬉しさの影響で私は船舶免許を取る決心をしたのです。海の持つ静けさに何より魅力を感じ、広い海をじっと見つめている時の自分の心の落ち着き、自分の人間としての小ささ、多くの方に支えて頂いて今の自分があることなど、いろいろなことを海は教えてくれるような気がして、すっかり私は海の上が好きになってしまいました。ほとんどの方が、野球ばかりやっていた私が船舶一級免許を持っていると聞くと驚かれるのですが、このようなことがきっかけで船舶免許を持つ機会に恵まれました。

海の変容

2回、3回と海に出る回数を重ねると、私は海の色の変化に関心をもつようになりました。晴海埠頭を出航して三浦半島に出るまでの東京湾の海の色は、私の初めて見た海の色とは遙かに違うやや茶色に近い色であることに私は驚きました。何故こんなになっているのだろうと思いながら、浦賀水道を出るまで考えていました。そして伊豆半島を見ながら遠州灘を南下して行くと、少しずつ本来の太平洋の海の色に近づいて行き安心します。また、和歌山沖から紀伊水道を通り瀬戸内海に入ると、またも海の色の大きな変化に驚き、そして船舶の多さにも驚き、海がここまで汚染されていることに悲しささえ感じるようになってしまいました。
瀬戸内の穏やかな海は、海流の代謝が十分でなく、沿岸周辺の生活様式の変化でこのような汚染が進んだように感じてしまい、海を誰が守らなくてはいけないかを教えてくれるようです。伊予灘を超え九州に入り、鹿児島から種子島、屋久島を走るにつけ海本来の美しさが戻ってくると、本当に心が洗われるような気持ちになって嬉しくなってきます。海の青さ、波の白さは本当に見ていて気持ちの良いものです。
ここから沖縄までの海の色は、本当に太平洋の明るい素晴らしい海が続き、大きな船のデッキから見ていて気持のいい景色が朝から夜まで見ることのできる楽しさは、本当に素晴らしいものでした。ただ、船の最後部から振り返ると、大型船の通る航路には多くのゴミが浮かんで、ここでも人間の不注意が海を汚していることに気づきます。

美しい海を取り戻そう

近年東京湾は、多くの人の長年の努力により海の浄化が進み、多くの魚や海の生物が戻ってきました。頑張れば必ずできるという証明をしたことになります。この取り組みが多くの地域で進んで行けば、きっと昔のような美しい海が帰ってくることになり、取り戻すことができると信じています。
海はかけがえのない地球の財産です。近年、地球の温暖化が大きな社会問題となり北極、南極の氷河が減少し、多くの地域で森林伐採が進み、砂漠化が国際問題として取り上げられ、国際会議も多く開かれる時代になりましたが、各国の首脳はまだまだ十分な取り組みをしているところまでは行っていないのが現状のように感じます。そんな中でできることは、地球に住んでいる一人ひとりの人々が、地球の現状をしっかりと認識して自分が地球のために何ができるか? 森林に対して、海の将来に対して考えること、そして実行して行く取り組みが大切になってきていると思います。(了)

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