沖縄・八重山諸島の与那国島は日本のもっとも西にある島だ。晴れた日、島の西にある久部良(くぶら)から台湾の山々を望むことができる。いまから37年前に島を訪れた時の夕方遅く、浜を散歩した。浜に直径20センチほどの丸餅状のものがあちこちにあった。牛か馬の糞だとおもって恐る恐るビーチサンダルの先でつついてみた。なんと、それは糞ではなく重油ボールであった。前夜、時化のなかを石垣島から船できたばかりであったが、大波が海上をただよう重油ボールを浜に運んだのだ。◆本誌で磯辺篤彦さんが東シナ海における漂着ゴミの監視システム開発についてユニークな取り組みを紹介されている。とくにプラスティック製のゴミが有害な化学物質を吸着し、遠隔地に害をまきちらす可能性にふれ、警告を発しておられる。プラスティックも重油ボールももとは石油の精製物だ。石油が地球の海を台無しにするなどとは19世紀中葉まで誰も考えなかった。米国のペンシルヴェニア州における石油発見は1859年。それまで、西洋社会ではもっぱら鯨油が灯火やろうそくなどの原料として使われた。当時のヨーロッパ捕鯨は鯨油を採ることを至上目的としていたので、肉や骨は海上で投棄された。これも海洋汚染のひとつだ。世界の海には、当時捨てられたクジラの墓が無数あるにちがいない。◆石油発見より数十年前、中国から米国へと向かう船が日本の金華山沖でマッコウクジラの大群を発見した。これを契機として、いわゆるジャパン・グラウンドと呼ばれる日本近海の捕鯨場に世界の捕鯨船が集結した。その結果、日本の沿岸捕鯨は資源の減少で大きな損失をこうむることになった。江戸期に成熟した日本の捕鯨がヨーロッパ捕鯨によって痛手を受けた例として、本座榮一さんは西海捕鯨についての話題の中で触れられている。捕鯨産業は没落したとはいえ、莫大な富を築いた益富家の経営戦略が近代経営のさきがけとなったという指摘は注目すべきだろう。◆それから百数十年後の高度経済成長期になると、陸地中心の発想とタレ流しの愚行が海の汚染を大層深刻なものとした。海洋汚染は沿岸域だけにとどまらず、海流と風を通じて広域に拡散した。◆海の魅力はもともと果てしなくあった。衣笠祥雄さんにとり、海を眺めることは心を癒され、自らを振り返る時なのだ。その青い海がゴミと汚染で茶色に変色した世界へと変わってきたことを悲嘆の目で見つめてこられた。一人ひとりがなにかをすべきだ、という想いを共有したい。そして、その輪を広げることの重要性をいま一度かみしめておきたい。 (秋道)
Page Top