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オーシャンニューズレター

第204号(2009.02.05発行)

第204号(2009.02.05 発行)

海洋環境の化学合成微生物群集とその役割

[KEYWORDS] 微生物/化学合成/深海生態系
東京大学大学院 理学系研究科地球惑星科学専攻 助教◆砂村倫成

わずか数リットルの海水中に1万種を超える微生物が存在する。
微生物は多様であり、二酸化炭素から有機物を作り出すことのできる微生物や化学合成や光合成を行う微生物も存在する。
熱水プルーム中からは、重金属を不溶化する遺伝子をもつ微生物が発見されており、今後も海洋環境中の微生物群集による新たな生物地球化学機能が発見されるだろう。

海洋環境中微生物の役割

微生物とは、その名のとおり、肉眼で見えないような小さな生物のことである。小さな生物というくくりでは、植物プランクトンや鞭毛虫、繊毛虫、場合によっては動物プランクトンも含む場合もあるが、微生物学研究者の立場からは、細菌(バクテリア)や古細菌(アーキア)の総称として用いている。以下、本稿における微生物の定義もこれに従う。微生物は、海洋・海底環境に大量に存在する。具体的にはわずか1cm-3(毎立方センチメートル)の海底堆積物に、東京湾などの内湾域で10億細胞、海底よりさらに下の海底下500mでも100万細胞が検出できる。海洋深層水として一般に清浄な水という印象の強い深海5,000mの海水でも、わずか1ml に1万細胞を含んでいる。
微生物の環境中における重要な役割は、物質循環における有機物の分解者であることとされてきた。海洋環境にあてはめると、植物プランクトンが光合成を行い、動物プランクトンがそれを食べ、魚を育み、それらの死骸を分解することが食物連鎖における微生物の役割として注目されてきた。微生物群集は底生のゴカイなどとともに有機物の分解者としての役割を、ほぼ一手に引き受けているのは間違いないが、その一方で有機物の分解にかかわらず、むしろ二酸化炭素から有機物を作り出すことのできる、化学合成や光合成を行う微生物の存在も古くから知られていた。

「海底下の大河」と化学合成微生物が海洋にもたらす影響

環境中から得られた化学合成微生物の電子顕微鏡写真。赤棒は1µmを示す。(写真提供:吉富泰助氏(東京大学大学院理学系研究科))
環境中から得られた化学合成微生物の電子顕微鏡写真。赤棒は1µmを示す。(写真提供:吉富泰助氏(東京大学大学院理学系研究科))

地殻中には、深海海底熱水や冷湧水などの海底から湧き出る水の流れが存在し、その流量は陸上河川に匹敵すると考えられている。筆者も参加している研究チームでは、この地殻内の流体を「海底下の大河」と呼んでおり、「大河」の全容解明を目指すプロジェクトが本年度の文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究に採択された。
「大河」は海底下で水素、メタン、硫黄、鉄などの還元成分を大量に溶かし込んでいる。「大河」出口の熱水噴出孔やメタン湧水帯では、光も届かない暗闇に、チューブワームなどの奇妙な生物が高密度で群集を作っている。これらの生物を支えているのは、これらの還元物質を唯一のエネルギー源とする化学合成微生物であると考えられている。化学合成生態系が非常に高密度に群生しているという観察事実は、そこで用いられるエネルギー量の多さを示しているが、実は、海底熱水系では噴出熱水の99%はこれらの化学合成生態系を素通りし海水中へ放出されている。つまり、ほとんどのエネルギー源は深海中に熱水プルームとして拡がり、化学合成微生物を通じて、熱水噴出孔近辺で見られる生物群集の何十倍もの深海生物を養っていると考えられる。実際に、海底熱水が噴出後拡散してできる熱水プルーム中では、硫黄やメタンの酸化に代表される化学合成微生物が卓越しており、そこでは深海に供給される有機物のほとんどを微生物が生産していると見積もられている。私たちのグループでは、そこで生産される有機物が、動物プランクトンによる捕食などを通じて深海の食物連鎖に取り込まれ、深海の生態系に重要な役割を果たしていると予想している。

一般海洋環境の化学合成微生物

これらの有機物に依存しない化学合成微生物は、海底熱水系などの環境のみに存在する特殊な微生物であると考えられてきたが、近年の急速な分子生物学的分析技術の発展と普及、微生物培養技術の進歩に伴い、この常識は一掃された。海洋表層では光合成色素の遺伝子をもつ細菌がたくさん存在し、深海や海底堆積物に大量に生息する古細菌の仲間はアンモニア酸化能をもつだけでなく、さらに海洋環境で最も繁栄している細菌の一群は硫黄化合物の分解遺伝子をもつ、など環境中にいる微生物の機能が徐々に解明されはじめ、有機物の酸化だけでなく、無機物の酸化や光の利用など多様なエネルギー源をを利用できることが明らかになってきた。さらに、群集単位だけでなく、一つの微生物細胞だけでも、多くの役割をはたすものが存在する。例えば、ある微生物では、通常は有機物を利用し、環境条件が変われば水素酸化によって二酸化炭素から有機物を作り生育することができる。これらの知見は、海洋中に存在する微生物の半数近くが、エネルギー源、炭素源ともに光合成由来の有機物に依存しない生活が可能であることを示している。いいかえれば、特に深海環境の生態系は従来考えられていたように表層光合成産物の残りカスに依存しているだけでなく、海底下から供給される無機化学物質に依存可能であることを示しているといえるのではないだろうか。

おわりに

研究がすすむにつれて、海洋の微生物は思った以上に多様であり、わずか数リットルの海水中に1万種を超える微生物が存在することがわかってきた。微生物の特徴は代謝の多様性にあり、この種類数が機能の数を反映するならば、潜在的に多くの代謝多様性があることになる。本稿では代謝多様性の一例として、特に無機化学物質を用いた反応の多様性と重要性について概説したが、最近では、環境中に存在する多数の遺伝子情報を直接解析するメタゲノム解析が行われ、その結果からこれまで考えられていたメカニズムとは全く異なる海洋表層での好気的なメタン生成過程メカニズムなどが提唱されている。また、熱水プルーム中からは、微生物にとって有害な重金属を不溶化する遺伝子をもつ微生物が発見されており、今後も海洋環境中の微生物群集による新たな生物地球化学機能が発見されることであろう。
われわれ人類は母なる海から資源という形で多くの享受をうけるとともに、ゴミ捨て場として海の寛容・寛大さにも依存してきた。その寛容・寛大さには、海の広さだけではなく、海洋微生物の群集・機能的な多様性が少なからず貢献していたのではないだろうか。放射性物質・二酸化炭素などその時々で問題になる廃棄物は、常に海洋投棄が検討される。海はどこまで私たちを受け止めてくれるのか、私たちの地球には、サイエンスフィクションの世界のように『深海のYrr』※はいなくても、微生物がその答えを握っていると考えている。(了)

※  『深海のYrr』フランク・シェッツィング著 早川書房2008年刊、長編海洋冒険小説。実際の研究機関等を多数登場させ、最新科学情報を駆使し、地球環境の破壊に警鐘を鳴らす。ドイツで2004年発表され記録的なベストセラー、エコサスペンスとも呼ばれている。

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