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Ocean Newsletter
第204号(2009.02.05発行)
- 作家、第1回海洋立国推進功労者表彰受賞◆小森陽一
- 東京大学大学院 理学系研究科地球惑星科学専攻 助教◆砂村倫成
- 元東京大学教授、アジア文化研究所(チェンナイ、インド)理事◆神部 勉
- ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科教授・副研究科長)◆山形俊男
海に縁のない男が如何にして海の物語を書くに至ったか
[KEYWORDS] 海で働く人々/海上保安官/海洋三部作作家、第1回海洋立国推進功労者表彰受賞◆小森陽一
そもそも海に関心があったわけではない。
だが、初めて聞いた海上保安官の海の上の話に虜になった。
強行接舷、PL型巡視船、潜水士、ヘリレスキュー......。
すべての言葉が知らないものばかりで、しかもどの言葉も刺激的な響きに溢れていた。
『海猿』『トッキュー!!』『我が名は海師』の海洋三部作は、海が好きだったら生まれなかったかもしれない。
「昔から海がお好きなんでしょうね」
これまでに何度となく言われた言葉だ。そりゃそうだろう、海を舞台に何本も作品を書いた訳だからそう思われるのも仕方がない。だが本人はまったくと言っていいほど海には縁がない。子供の頃から海水浴よりも山で虫取りの方が好きだった。ダイビングも免許を取るには取ったが一回で辞めた(海中でボンベのエアーを吸い切ってしまった.........)。もちろんサーフィンもしたことがないし水上バイクで遊ぶこともない。そう言うと決まってこう聞き返される。
「え―!? じゃあどうして海の話を書いたんですか?」
それをこれからお話しようと思う。
好きと好きは全然違う
テレビのディレクターをやっていた頃、ある酒蔵で新酒を作る杜氏を追い掛けたことがある。金賞を連発し、その世界では知らない人のいない名杜氏、その丹念な仕事振りを泊り込みで追い掛けた。やがて「原酒」が槽(ふね)から細い管を通って少しずつ流れ出す。蔵人達が緊張した面持ちで見守る中、杜氏が茶碗に汲んで利き酒を行う。
やがてその表情が緩み「うん.........」と一言、その瞬間フワリと笑みを浮かべる蔵人達。いい瞬間に立ち会えたと心底思った。その後、杜氏が僕等スタッフを部屋に招き入れ、まさに一番絞りである新酒を特別に振舞ってくれた。僕もやはり九州男児、酒には目がない。なんとも言えない峻烈で爽やかな口あたりに舌鼓を打った。
―が、杜氏を見るとなんとウーロン茶を飲んでいるではないか。
「どうしたんですか? どこか具合でも.........」
そう言う僕に杜氏は笑って答えた。
「私は酒は飲めません」
「は--!?」
その答えに絶句したのは言うまでもない。ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていたんだと思う。僕を見つめて杜氏は続けた。
「私はね、酒が好きなんじゃなくて、酒造りが好きなんですよ。もしも酒が好きだったならば、決して造る方には回らなかったでしょう」
その時には杜氏の言わんとすることが理解できなかった.........。
たまたま海の好きな編集者が「先日、海上保安庁の帽子を買ったんですよ」と言い、たまたま知り合いに「叔父さんが海上保安官なんだ」という人がいて、たまたま「海上自衛隊との違いもよくわからないけど、話を聞いてみようかな」と思った僕がいた。最初はそれこそ軽い気持ちだった。だって海には何の関心もなかったから。だが、初めて聞いた海の上の話は完全に僕を虜にした。強行接舷、PL型巡視船、潜水士、ヘリレスキュー.........。すべての言葉が知らないものばかりで、しかもどの言葉も刺激的な響きに溢れていた。だが、もっとも強く僕の心を捉えたものは、人知れず海の上で、こんなに凄まじい命の駆け引きが行われているのかというその事実、衝撃的だった.........。取材の帰り道、「この物語を書こう」、そう心に決めて歩いたことを今でもよく覚えている。これが、その後約10年の長きに渡って付き合うこととなる海上保安庁との始まりの日だった。
海洋三部作の一つ『海猿』
海洋立国推進功労者表彰受賞に際し、海上保安庁特殊救難隊員から祝福を受ける筆者
好きなもの、見つけた
想い出を数え上げるとキリがない。拿捕された密航船の船内、密航者が隠れていたエンジンルームの奥の壮絶な匂い、中国の鮮魚運搬船の検問、刺青をした裸の男達の前で堂々と質問を繰り返す若い女性保安官、航空基地、ベテランパイロットに正座させられて説教を受ける潜水士の姿.........。はたまたエンドレスのカラオケ大会や船内での豪華な食事会、唖然とするような裸の飲み会もあったな.........。本当に様々な施設に赴き、様々な体験をし、様々な人達に出会い、様々な光景を見た。この10年間において、民間人で最も多くのものを見聞きしたのは僕じゃないだろうかと勝手に自負している。そこで海上保安官を僕なりに一言で言い表すとどうなるか、―ズバリ「正義の味方」だ。
いつもニコニコと朗らかで、世話焼きで、話好きで、晴れた日には巡視船に錆止めのペンキを塗り、雨の日には身体を鍛え、いざ海難が発生するや否や、怒涛のように出動して行く。とても公務員とは思えない人々の集団。それが海上保安庁、そして僕はそんな彼等が大好きになった。そう、海ではなく、海で働く彼等のことが好きになったのである。
あの日、杜氏が言った言葉、今ではよく分かる。酒が好きなのではなく、酒造りが好きなのだと言うこと。もしも僕が海が好きだったならば、海で遊ぶことに夢中で、決して海上保安官の物語を書くことはなかった。書こうという気も起こらなかったろう。そしてまた、海上保安官の話を書くよう出版社から依頼されていたとしたら、資料を集め、ネットで調べ、本を読み、きっと本物に会いに行くことはほとんどしなかっただろう。海が好きではなく、海上保安官が好きになったからこそ、足繁く通い、沢山のスペシャルな話を直に聞ける機会を与えられた。
先日、秋の園遊会に出席させていただいた時だ。天皇陛下を始め多くの皇族の方にお声を掛けていただいた。それだけでも十分驚くことなのだが、中でも皇后様にいたっては「人命救助の物語を書かれている小森さんですね」と仰られた。驚天動地、これにはもう呆然とするより他なかった.........。
『海猿』、『トッキュー!!』、『我が名は海師』、僕の人生において特別なこの海洋三部作が沢山の人に愛された訳は、海ではなく、海で働く人々に対する想いがこもったから、頭で書かずに気持ちで書いた物語だったからだと、そんな風に思っている。
最後に、支えて下さった海上保安官の皆さん、国土交通省の皆さん、本当にありがとうございました。皆様の支えなしでは、どれ一つとして満足な作品を生み出すことはできませんでした。本当に本当にありがとうございました。三部作はピリオドとなりましたが、また新たな機会が巡ってきた折は、「うるさいのが来た」と笑って迎えて下さいますようお願い申し上げます。(了)
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