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オーシャンニューズレター

創刊号(2000.08.20発行)

創刊号(2000.08.20 発行)

海観(うみかん)が育つ環境を

放送大学教授、日本科学協会理事長◆濱田隆士

かつては渚(nagisa)という美しい響きの言葉が日本人の日常生活に浸透していたように、そこには何らかの海観的意識が育っていたと思われる。高度情報化社会が訪れ、海洋学が海洋科学に拡大変容してゆく時代に入ってなお、海観をもつ人が少ないのは本当に寂しいことである。

○○観というのは、「かくあるべし」という押しつけられた環境では育たない

人生、ある段階に達すると、○○観と呼べる物事の理解心が育っているのがふつうであろう。○○観は切り売り型知識の集積で成り立つものではないから、直感的とでも言えるものを除いて子供にそれを求めるのは無理である。逆にみれば、○○観を持てるのは知的成人の証しであると言えようし、大人になれば何らかの領域で○○観を持っていて然るべき、という捉え方が成り立つ。

絞られた事柄についてあれこれ考えを巡らし、経験を積むことによって、その人なりの○○観が育ってくる。したがって、その人の○○観は年月とともに少しづつ、あるいは何かのきっかけでがらりと変わるものである。○○観は、"達人"の域にいる人については"不動の"信念に似たものであろうが、一般論としては、本質に変わりがないまま不断に進化し、成長しているものと理解した方がよい。

人生観を例にとってみよう。人それぞれに生きてきた道筋やそれをとり巻く環境、時代背景等、さまざまな要素の影響を受けながら育ってくる。だから人生観についての教育というものは、"偉人"なり、ある"代表的人物"のものを紹介するものであっても、かくあるべし、と詰め込まれるべきものでもけっしてない。

巷では「最近の若い人は、何も考えていない。哲学がない」といった声が強い。高度情報化社会にいるのだから考える素材には事欠かないのであって、考えないのはおかしいということなのであろうが、○○観といったものは、多分それをつくろうと努力したり、目標を掲げてステップを登りつめて行く、という類いのものではあるまい。

環境と自己の相互作用の中で、あれやこれやと思い迷うこともあろうし、いつの間にかターゲットすら消え失せてしまうこともあり得よう。あるいはまた、ショッキングな出来事、生死の境をさまようような体験を介して、突然湧くように形成される場合だってあるに違いない。"悟り"の境地は、別に宗教的な背景がなくても充分に到達可能な局面であると思う。

○○観の形成には、このように定まった方程式もなければ過程パターンもないから、強制もできないし、結果を期待して行動を起こすことも難しい。唯一可能であり有効であると思われるのは、当人の自覚、関心、積極的関与などが、それを生む環境づくりにつながるのであろうということである。規格化した制度、年限などの制約はおそらく害こそあれ一利もないというこであろう。

いつの間にか「私の海辺」「吾は海の子」の感覚を忘れ、海への無関心が蔓延していった

前振りが長くなってしまったが、グローバル化、情報化、画一化が進むこの世の中で、地球の正しい理解にはそれなりの地球観が望まれるし、バイオテクの進展と生命の尊厳を念頭に置けば生命倫理について何らかの考え方をもつべき時代でもあり、生命観、人生観に不断の充実があってよい。環境や資源についても同様である。美しく、大切にしなければならないと実感してこそ初めて心からの真の国土観が生まれようというものである。

日本は「海国日本」と、かつてことさらに強調された歴史をもつ。地理的環境として"海に囲まれている"という条件が基本的であることは誰も否定しまいが、当たり前に過ぎてかえって意識する度合いが低くなる傾向もまた否めない。非日常の方がかえって高い関心の的になる例は少なくない。

元レニングラード自然史博物館を訪れたとき、ドライ方式ではあったがサンゴ礁ジオラマの規模が大きいのに驚いたことがある。問うてみると、「私たちの国にとってはサンゴ礁環境はまったく夢の世界です。無いからこそ人々の関心が高いのです」という納得いく説明が返ってきたことを思い出す。日常的事項にはたしかに知的好奇心を刺激するパワーが失せている。というか、日常と認識してしまっているその環境に埋没している人々の認識の問題とすべきものなのであろう。

楽しい想い出ではないが、戦前・戦中にわが国では「国民皆泳」というキャンペーンがはられていた。「国民皆兵」をもじった表現であるが、今でいうマリンレジャー性と体力向上目的の二面性をもつ施策であり、人々は海や川によく足を運んだ。

戦後、日本は海外での研究拠点を失い、パラオの熱帯産業研究所のような「海の研究機関」を国内に置く余裕もまったくなくなってしまった。それまでの世界レベルでの業績を継ぐ術もなく、当然後継者が育つ場を失ったのである。国民一般も「私の海辺」「吾は海の子」の感覚を忘れ、海への無関心が蔓延していった。「海に対する想い」は、かつては渚(nagisa)という美しい響きの言葉で日本人の日常生活に浸透していた。とりたてて渚学があったわけでもなく、科学的説明を伴っていたのでもないが、海についての認識の一つの典型であったことは間違いなく、そこには何らかの海観的意識が育っていたと思われる。

海観をもつ人が少なくなった現代、いかにして海観が育つ環境をつくればいいのか

海は多様な表情をもち、科学的にも多くの未知領域を秘めているから、ただ漠として受け止める姿勢から海観が生まれてくるわけはなかろう。また、海の科学がどれほど進んでも、そこだけから立派な海観が育ってくるのでもない。科学者でなければ海観をもてないということでもないから、教育とか研究への依存性はまるでないと言ってもよい。

国民一般が海をどう捉えるか、という問題については、戦後の制度教育の流れの中ではほとんど無視されてきたと言わざるを得ない。当たり前に過ぎて、改めて定義・解説する必要もないということであろう。それ故に、趣味からの海へのアプローチとして、マリンスポーツ、フィッシング、海にまつわる文芸作品の役割り等が非常に大きくなることは当然である。

高度情報化社会が訪れ、海洋学が海洋科学に拡大変容してゆく時代に入ってなお、海観をもつ人が少ないのは本当に寂しいことである。

新河川法、新海洋法が実践に移される時代が訪れ、今日では海観として地理的にも観念的にも海をグロスにかつホリスティック(※1)に理解することが非常に大きな意味をもつようになったことを認めるならば、自然に身についた自然観としての海観の占める役割りは自明であろう。けっして高尚な哲学的海観が必要なわけではない。自然界と素直に対峙したときの無心の感動があれば、あとは育ってゆく。

なお、海観として海洋観と呼ばなかったのは、一般人にとってハンズ・オン型に接する海、つまり渚か近海の方が、"水(シ)と人(者)が出会う"環境であると思うからに他ならない。陸と海との接点の方が、その相互作用のダイナミクスを感じる機会がずっと多いに違いない。このような趣旨は、外国の人々にもかなりよく理解してもらえるものという実感を、1999年夏のリスボンでの"海洋博"時に開催された国際シンポジウム「渚シンポジウム」でもつことができたのが、愉しくまた意義深い想い出となっている。

※1:【holistic】全体論的。

holism(全体論)

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