Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第181号(2008.02.20発行)

第181号(2008.02.20 発行)

私たちの海、私たち自身

国連訓練調査研究所(UNITARユニタール)アジア太平洋地域広島事務所長◆ナスリーン・アジミ

私たちは大昔から、地球の水域にいつまでも気前よく養ってもらえることを当然のことと思いこんできたため、この安価で便利な生命維持の源が、実際に崩壊しつつあるとはなかなか思えない。しかし、今や、より速やかに行動を起こさなければならない段階にきていることは間違いない。

海をみつめて

UNITAR研修ワークショップ(2007)
UNITAR研修ワークショップ(2007)

先日アブダビを訪れた際、私はペルシャ湾を間近に眺めながら朝のひとときを楽しんだ。海面にさざ波を立てるのはそよ風だけで、海と空と周囲の砂漠の色が一つに溶け合い、一枚の薄緑色のキャンバスが現れたかのようだった。美しい海景に思い出したのは、海洋科学者でUNITARの「海洋と人間の安全保障に関するシリーズ」※1のファカルティー・メンバー福代康夫教授(東京大学)との会話だった。曰く、「水深の浅い入り口を持つ深い海盆は日照を遮り、溶存酸素が不足し、砂漠の沈泥やその他の汚染により海水の濁度が高く、時に魚の大量死を招く」。この自然の複雑さに加え、原油の重要戦略輸送路一帯につきまとう環境上の脅威と軍事的脅威がある。要するにペルシャ湾は今、地球上の他の主要水域と同様に極めて複雑であり、人間活動に対しても特に脆弱な状態にある。
私はペルシャ湾の近くで生まれた。家族がその地を離れたのは遠い過去で、私は何も覚えていないが、以前から自分を文化的な意味で「海洋性(maritime)」だと思っている。多くの人々と同様に私も水辺でインスピレーションを得る。私が若い頃の大半を過ごしたスイスのレマン湖、現在の居住地である広島の大手町川、あるいは私の家族が住むカリフォルニアの雄大な太平洋。どこでも人々は水に愛着を持っている。おそらく、生命にとっての水の大切さを誰もがよく知っているからだろう。サンディエゴ辺りの海岸で日曜の午後を過ごしてみるとよい。国連総会と同じくらい多様な集まりが目に入るはずだ。母親がサリーを身にまとったインド人の家族、日本や韓国人の観光客、陽気なヒスパニック系の若者、まばゆいばかりのカリフォルニアのビーチ・ガール、あらゆる年齢層や国籍の人々が海を見ながら砂浜を歩いている。モハメッド・タンギ前駐日モロッコ大使が語ったように※2、すべての宗教と社会は海を大切にすることを奨励し、この貴重な資源を荒廃させる人々を諭す。国際海事機関に飾られているタペストリーには、「船は波間を穏やかに進む」というコーランの言葉が織り込まれているという。
今や、こうしたのどかな風景は、損なわれつつある。一つには、気候の変化が大きく立ちはだかっているためである。やがて訪れる危機に対する認識も今では受け入れられており、不動産市場までもが反応している。かつては引く手あまたの海沿いの物件が今や危険な投資と見なされているのだ。地球規模で見ると、ハリケーン、台風、洪水、記録的な熱波など、極端な気象現象がより頻繁に発生するようになっている。明らかに、何かが変わりつつある。

持続可能な海洋管理へ

乱獲、汚染、気候変化による海洋資源枯渇の脅威は重大である。私たちは大昔から、地球の水域にいつまでも気前よく養ってもらえることを当然のことと思いこんできたため、この安価で便利な生命維持の源が、実際に崩壊しつつあるとはなかなか思えない。自分たちが海を利用する方法の無神経さや残酷さにも相変わらず鈍感なままである。海はしばしば廃棄場(ごみ捨て場)とみなされ、海底はトロール船で吸いとられ、加工船は理由も制限もなしに大量の魚を殺している。私たちは絶えず「もっと多く」「もっと大きく」と求めながら、明らかにこんなことが続くはずもないのに、陸上の生活形態を海洋にも当てはめているのである。
問題は、海洋の持続可能な管理はどうすれば実現できるかということだ。幸いなことに科学者、自然保護論者、実務者の間では、より統合された海洋資源管理に向けての地球規模の動きが高まっている。気候変化、乱獲、食の安全、汚染、沿岸域の浸食、公海海運、海賊などの問題は、すべてが絡み合っているという認識が高まっているのだ。地域社会が協力し合っているところ、たとえば西大西洋の一部や北海では魚類資源が回復している。最近数十年の間に有機農業および持続可能な農業が陸上資源管理に次第に影響を与えるようになっているのと同様に、海産物に対する同じような持続的アプローチは、消費者と海との関係を変える可能性を秘めており、水産物のエコ表示も有益であることがほぼ間違いなく明らかになるだろう。さらに、各国ともお互いの具体的な成功と失敗例から学ぼうとしている。大昔から漁業社会とのかかわりが深い日本には、各国が共有すべき独自の事例がいくつかある。たとえば北海道では、「魚つき林(うおつきりん)」の植林プロジェクトが斜陽の漁業と地場林業両方を回復させている。海洋の問題を解決する総合的なアプローチの一環としてさまざまな解決策を探す(または試みる)ことが重要な最初の一歩なのであり、関連機関も次第にそのことを認識しつつある。今や、より速やかに行動を起こさなければならない段階にきたのだ。

私たち自身から

とはいえ、海への私たちの畏敬の念を培い、一人ひとりが自主性を発揮することも非常に重要である。マハトマ・ガンジーは、世界にはすべての人の必要を満たすに足る資源があるが、すべての人の強欲を満たすことはできないと言った。進むべき道に思いを巡らすと、前提条件を見直さなければならないことは明白である。つまり、持続可能とは正確にはどういう意味なのか。そしてこれが私たちの生活様式にどのように当てはまるのか。私たちは一人ひとりが変革を起こす力を秘めている。海洋資源の持続可能な利用は、人類(または魚)の長期的な利益ではなく、どうしても一部の人たちの短期的利益を考えてしまう国や国際政策に左右されるが、私たちの消費する魚の質と量の選択にも左右される。一朝一夕に正しいものをすべて手に入れることはできないが、どうしても行動は起こさなければならないので、最も易しいところ、すなわち自分自身から始めるのがよいだろう。ここでもやはりガンジーの言葉を引用しよう。曰く、「あなたが他者に変わって欲しいなら、まずあなた自身が変わりなさい」
ハーバード大学のエドワード・ウィルソンは、生物多様性についての今日の概念の創始者と見なされている人物だが、シロナガスクジラについて次のように記している。彼の解釈は自然界のさまざまな面にあてはまるのではないだろうか。「...シロナガスクジラ(学名:Balaenoptera musculus)が生き延びるならば、それに関する知識とともに発展するよう運命づけられている多くの価値が科学、医学、美学の分野において、まだ予見し得ないほどのさまざまな次元と規模で存在する。西暦1000年にシロナガスクジラの価値はどれくらいだったか? おそらくゼロに近かったはずだ。西暦3000年にはどうなるだろう? その価値は無限であり、未来世代の人々はシロナガスクジラを絶滅の危機から救った人々の叡智への感謝の気持ちも加えるだろう」※3(了)

本稿の原文(英文)は当財団ホームページにてご覧になれます。
※1 広島で毎年実施される幹部研修プログラム
※2 「海洋と人間の安全保障」、UNITAR主催の会議会報、テキサス大学オースティン校リンドン・B・ジョンソン公共政策大学院出版、2002年
※3 リチャード・エリス著「Empty Ocean」、Island Press、2003年(253~4ページ)

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