Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第177号(2007.12.20発行)

第177号(2007.12.20 発行)

海から見える島と島から見る海

明治大学政治経済学部教授◆大胡修

日本の離島の多くはさまざまな解決できぬ問題に悲鳴を上げている。
歯止めのかからない島民の流出、子どもの教育、後継者、医療、福祉などの問題。
「いずれこの島も無人島になる」という話も数多く聞く。
海から見える島と島から見る海には、大きな違いがある。
島とは何かを考える時、これらのことがヒントになるかもしれない。

数字は語る

373,790人と16人―。昭和45年7月28日の夕刊各紙に二つの数字が並んだ。ひとつは華々しく、ひとつはひっそりと。この年の3月、アジアで初めての万国博覧会が大阪で華やかに開幕した。それから4カ月過ぎた7月28日。37万人を超す入場者が会場を埋め尽くし、オープン以来、4,000万人という途方もない数の人々が万博会場を訪れたことを各紙は報じていた。そして、その同じ紙面の片隅に、鹿児島県の南海上に浮かぶ小さな島から最後の島民4家族16人が島を去り、無人島となったことが小さく載せられていた。島の名前は臥蛇島といった。37万人と16人というあまりに対照的な数字、島を去る島民が記者に語った「葬式も出せなくなったらもうおしまいだ」という言葉が、今も私の脳裏から離れない。

「はしけ」から本船への乗船
(鹿児島県小宝島、昭和62年)

あれから37年。現在、私は日本の島々を訪ね、そこに住む人々の生活を記録するという作業を続けている。なぜ、島なのかと考えると、やはり臥蛇島のことが原点にあるように思う。はじめて訪ねた島は、東シナ海に浮かぶ硫黄島だった。その昔、僧俊寛が配流され、歌舞伎役者中村勘九郎(現勘三郎)が「俊寛」を演じた島である。古くは鬼界ケ島とも言った。鹿児島港からフェリーで5時間かかる。この硫黄島を皮切りに私の離島めぐりが始まったのだが、次に訪れたトカラ列島と呼ばれる島々は、屋久島から奄美大島までの間に点在する7つの島からなり、3日に1回出港する村営船だけを唯一の頼りとしていた。それも海が荒れれば1週間は船が来ない。いちばん南にある宝島へは船で14時間かかった。隣の小宝島では昭和63年まで、本船への乗船にはハシケを使っていた。波の高い時にはお年寄りは命がけで乗船した。そこには孤島と呼ぶしかないほど本土と隔絶した島の姿があった。「青年団」と書かれたヘルメットをかぶり、港で荷揚げ作業をしている島民はみんな50~60代の人たちだった。

あることば

「あんたなぁ、いくら(本土に)近うても、海があるけんのう」瀬戸内海に浮かぶ大島(愛媛県新居浜市)を訪れた時のことであった。港近くで漁網の繕いをしていた一人の老人との会話の中で、「でも、ここは本土から近くて便利でいいですね」と何気なく言った私への返事がこれであった。

その島は、渡船でわずか10分足らずの、本土と指呼の距離にある周囲8キロほどの小さな島だった。それまで通ったトカラの島々とくらべ、何と本土に近いことか。それが偽らざる気持ちであった。多島海と称される瀬戸内海は、文字通り、折り重なるように島々が点在している。どの島も本土が眼前に広がり、島にいることを忘れてしまいそうだった。

島での散髪風景(鹿児島県悪石島、昭和63年)

「島ってなんだろう」。島での記録を続けている私の頭を離れないのがこの疑問である。もちろん島の定義はある。「自然に形成された陸地で、水に囲まれ高潮時でも水面上にあるもの」「四面を水に囲まれた小陸地」などである。しかし私がこれまで訪れた島は、なにかそうした定義とは違うように感ぜられた。

いまは秘境・秘島ブームだという。ありきたりの旅に飽いた人々が、こぞって島を訪れる。彼らにとって島は、甘いロマンと少しばかりの冒険心を味わえる場所である。旅人は船上から孤島を感じとり、そこになにがしかの思いをはせる。しかし島人にとって、海とは、あるときはさまざまな物資を運び、懐かしい人々や便りを届けてくれる海の道であるが、あるときには本土と自分たちの生活を隔てる巨大な壁ともなった。海から見える島と島から見る海には、大きな違いがあるように思える。訪ね来る人と迎える人。島に来る人と島で暮らす人。「島とは何か」を考える時、これらのことがどういうヒントになるのだろうか。

通勤漁師とリゾートアイランドと70歳の"若者"

先日、お世話になった島のひとに6年ぶりに会った。高見島(香川県)に住む漁師さんである。久しぶりの再会で話は弾んだが、島の人口が3分の1になってしまったという。私が訪れたときにはすでに小学校は閉鎖され、子どもたちの姿をみることはできなかった。一番若い島民が56歳と聞いて驚きもしたのだが、それにしても人口が3分の1とは。しかも、わずか6年で。今では島の漁師たちは本土の町に居を構え、対岸の港から島の漁場に通勤している。ところが島の人口は減ったが、家はほとんど減っていない。それどころか、いつでも戻って来られるようにきれいに手入れが施されている。なかにはリフォームする人もいる。彼らの多くは関西方面で生活しているが、夏ともなると家族を連れて島での生活を楽しむのだという。大げさに言えば、その間、島は島民による島民のためのリゾートアイランドと化すのである。海で隔たっているとはいえ、本土と指呼の距離にあり、本土から車で四国まで渡れるという利便性があることも確かなことである。

島民の平均年齢が77.5歳という島がある。香川県にある佐柳島は、高齢者の多い瀬戸内海でも飛びぬけて高齢社会の島である。それを象徴するような出来事に出会った。島の公民館で敬老会がおこなわれていたときのことである。80~90歳の"お年より"が島民から敬老されて楽しい時間を過ごしていた。おもてなししていたのは、70歳の"若者たち"であった。敬老会が終わったとき、その"若者"がふと口にした「いったい、俺たちを敬老してくれるのは誰だい」という言葉に、私は笑うことができなかった。

島国、日本

日本が島国であることは誰でも知っている。ところが知っているということと、それを実感することとは違う。現在、私は東京に住んでいるが、自分が島にいるなどと考えたことはない。ところが私は毎年、"島"通いをしている。「島国」日本にいて"島"を感じない人間が、都会から遠く離れた"島"に行き、"島"を実感しているのである。

島はいろいろな姿を私に見せてくれるが、どの島も歯止めのかからない島民の流出、子どもの教育、医療など多くの解決できぬ問題に悲鳴を上げている。「いずれこの島も無人島になる」という話も数多く聞いた。それが決して冗談でもなく、誇張でもないところに苦悩の深さがある。

日本という大きな島。そしてその周囲に点在する小さな島々。耕す者もいないまま放棄された畑、朽ち果てた廃屋、打ち捨てられた墓石......。絶海の孤島の話と思っていたこうした光景が、島国日本の現実と重なって見えてくる。離島の抱える問題は、"島"ゆえのことなのであろうか。だとしたら、「島国」日本にとって、決して他人事ではないはずだが......。(了)

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