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オーシャンニューズレター

第164号(2007.06.05発行)

第164号(2007.06.05 発行)

海事パラダイム論

東海大学海洋学部教授◆篠原正人

これまで世界共通の海事パラダイムは、グロチウスの唱えた「海洋自由の原則」が出発点であった。
「海洋」は人類共通の資産で、われわれは当然のごとく無料でこれを海運や漁業のために使用してきた。
しかし市場をめぐる国際競争が著しく進んだ今、人類は地球環境が限られたものであるという現実に直面した。
海洋の未来について考えるとき、近視眼的思考を避け、
人類の持続的繁栄に繋がる意志決定を高く評価するような新たなパラダイムの構築を目指すべきである。


「パラダイム(Paradigm)」という言葉は最近よく使われるが、そもそも米国の科学哲学者トーマス・クーン(1922-1996)が使って有名になった※1。ただし、クーンが使ったこの言葉の意味するところは極めて限定的であった。彼はパラダイムを「特定の科学分野あるいは専門的職業分野に就いている人たちが共有し準拠している、問題解決のための一般法則についてのコンセンサス」と定義した※2。

そこでこれを応用して「海事パラダイム」という概念を定義すると以下のようになる。

『海事に関する様々な意志決定に際して、関係者が共有し準拠する一般的法則』

ここで言う「海事」とは、「海洋を利用する人間の営み」のことであり、「関係者」とは「海事に従事する専門家」である。この定義を基に、海事の発展についての考え方の根底を考察してみたい。

海洋自由の原則

まず、世界の海事関係者が共通に抱くパラダイムとして代表的なものは「海洋自由の原則」である。この言葉はオランダのグロチウスが1609年に唱えた「海はすべての人類の共有財産」という概念である※3。

グロチウスが生まれた16世紀後半、世界の海はスペインとポルトガルの独壇場と化していた。一方で徐々に英蘭などの北欧州勢が台頭してきた時代でもあった。当時、オランダはスペインの支配下にあり、連合東インド会社がインド(含東インド)と直接交易をすることを禁じられていた。オランダにとっては、スペイン・ポルトガルの覇権はなんとしても崩さなければならない大きな障害であったのだ。

グロチウスはこのオランダの利益を代弁する形で「海洋自由の原則」を著した。スペイン・ポルトガルが占有していると主張する地域はもともと原住民が居た訳で、力によって交易権や所有権を主張すべきものではないと彼は説いた。このグロチウスの説は「人道的」であるという評価を受け、今日に至るまで海事思想の根幹をなしてきた。しかし、当時の時代背景を考慮に入れると、彼が主張したのは、来たるべきオランダの世界制覇を後押しするための理屈であったのだ。現に、オランダはそのあとインドネシアを植民地化し、日本ではポルトガル人を排除して鎖国下の交易権を独占した。

今日、「海洋」は確かに人類共通の資産と見られ、われわれは当然のごとく無料でこれを海運や漁業のために使用している。しかし今後経済のグローバル化が進み技術が進歩するに連れて、海洋利用度が高まり、各国の利害がますます対立してくる可能性がある。海洋は将来どのように使われて行くのが良いのだろうか。果たして海洋は人類の共有資産であり続け、かつ誰もが無料で使用し続けられるのかどうかが問われる。

規模の経済性

第二のパラダイムは海事経済規模の「大型化」の問題である。「規模の経済性」は交通経済学の根幹を構成してきた。効率を重視すれば大量輸送を究極まで追求することとなる。あらゆる船舶が大型化の道を歩んできた。海運のみならず、漁業や海洋資源開発も然りである。

経済構造においては多くの場合、この「規模の経済性パラダイム」に則って企業間の関係が築かれている。すなわち、大が小を支配し、力によって物事を決定していく構造である。サプライチェーンの中で力を持ち、それを統合し管理していくのは大企業である。経済のグローバル化は、大が小を飲み込む構図が世界規模で展開していくことを意味する。

今後大型化はますます進むのだろうか。大型化が止まらなければ、人類の寿命にどのような影響があるのだろうか。これまで経済活動の単位として重要な役割を果たしてきた「企業」という組織は、大型化への進化過程で市場におけるパワーを発揮してきた。しかしこれからの世の中は、IT(情報技術)の発達によってこの流れに沿わない発展形態があり得るかもしれない。

市場メカニズム

第三のパラダイムは「市場メカニズム」である。海運を始めとする海洋産業は広い海域を活動の舞台としているため、人為的な市場統制が効かず、市場における競争を前提としてきた。アダム・スミスの「国富論」(1776年)以来、国際分業は経済発展を促すものとしてその良い面だけが強調されてきた。最近までエネルギー資源、食糧そして地球環境の循環作用などに、限界があるなどとまったく意識せずに人類は暮らしてきた。そこで営まれてきたのは国際競争であり、巨大な物流の発達である。強い者が勝ち、弱い者が市場から消え去る。この市場原理は成長(すなわちより多くの富)への人々の飽くなき欲求を生み出す。

しかし他方で、海洋における事故は後を絶たない。沿岸地域の安全と海洋環境保全、船舶、乗組員ならびに海運経営の質の向上にたいして、市場メカニズムがもたらす効果は微々たるものである。市場での競争に勝つことが第一優先であるから、長期的な質の向上への投資は必要最低限とならざるを得ない。意志決定者はせいぜい自分たちがその仕事に従事している期間、効率の向上というパラダイムに基づいて行動すれば、誰にも咎められることがないのである。

新たな海事パラダイム構築を

このように見てくると、われわれが共有している海事パラダイムは普遍的なものではないということが分る。現在のパラダイムを保持し続ける限り、地球が人類の住めない星となってしまうことは必定である。今後これらが変化するとすれば、どのような要素が加味されるのが良いのだろうか。一つ言えるのは、地球環境が有限であるという前提に立った思考方法が、意志決定に際して定着する必要があることである。すなわち、海洋についても、近視眼的思考を避け、海洋環境の有限性に思いをいたし、人類の持続的繁栄に繋がる意志決定を高く評価するようなパラダイムの構築を目指すことである。

欧米社会が推進してきた「規則」と「契約」と「マニュアル」では解決できない問題が多々ある。新たな海事パラダイム構築にあたっては日本人が太古の昔から培ってきた「和」の精神や「知恵を共有する」はたらき方が見直され、将来思考の柱としてよみがえる可能性が大きい。経済にこのような「徳」を持ち込むことによって、かけがえのないわれわれの共有財産「海洋」を、いつまでも使い続けられる状態にできるかもしれない。望ましい海洋社会を築くための海事パラダイムを構築する鍵がそこにある。

「海事パラダイム論」は、多くの人々の英知結集を待っている。(了)

※1 『The Structure of Scientific Revolutions』1962年; 邦訳「科学革命の構造」中山茂訳 みすず書房 1971年
※2 ' a consensus of the general rules for solutions that the people in a specific field of science or profession share and follow '
※3 Grotius, H. The Free Sea, 1609年, (Natural Law and Enlightenment Classics)英語版 , R. Hakluyt翻訳, D. Armitage編 (ペーパーバック) 2004年版

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