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オーシャンニューズレター

第162号(2007.05.05発行)

第162号(2007.5.5 発行)

トン数標準税制について

国土交通省海事局長◆冨士原康一

外航海運における激しい国際競争の中で、
日本籍船と外航日本人船員は過去数十年にわたって減少を続けてきた。
世界の海運国は次々と自国の海運強化策を講じており、
わが国でもトン数標準税制の法整備へ向けた具体的な検討が始まったところである。

昨年12月のある日、日本経済新聞に「自民党税制調査会でトン数標準税制浮上」という趣旨の囲み記事が掲載された。なじみのない税制がいかにも唐突に実現に向けて走り出したかに見えることに対する驚きととまどいが伺える記事であったと記憶する。確かに、トン数標準税制は、外航海運に身を置く関係者にとっては常識であったものの、一般国民はもとより他の海事分野で働く関係者にとってさえなじみの薄いものであったし、現在においてもその状況はあまり変わっていないかもしれない。しかし、その程度の認知度であったにもかかわらず、また、特定産業に対する法人税の外形標準課税化という極めて特異な税制改正要求であったにもかかわらず、要求初年度に導入実現に向けて進み始めたということは、国家として容易に無視できない深刻な問題をトン数標準税制が提起したということを意味している。本稿では、トン数標準税制とは何か、それがわが国にとって如何なる意味を持つのか、それにどう取り組もうとしているのかを概説する。

トン数標準税制とは何か

トン数標準税制(Tonnage Tax)とは、簡単に言えば、外航海運企業に適用される法人税を外形標準課税化したものである。もっと具体的に言うと、外航海運企業が運航している船舶に対してその船舶が生み出すであろう一定の見なし利益を設定し、その見なし利益に対して法人税率を乗じて税額を決定するものである。純トン数26,000トンのパナマックス型バルクキャリヤについて英国の例にならうと、まず100純トン当たりの見なし利益は、1日93ポンドと計算される。年間フルに稼働したとして約3万4千ポンド(約780万円)の見なし利益となる。これは30億円の資産を運用して得られる利益の水準としては著しく低いし、現下の海運市況を前提とすれば、実際に生み出す利益の数十分の一に過ぎない。このような実質的税率の低さもまた諸外国で導入されているトン数標準税制の特徴である。

近年のトン数標準税制普及の引き金をひいたのは、ノルウェーとオランダである。両国が1996年に導入したのを皮切りに、ドイツ(1999年)、英国(2000年)、デンマーク(2001年)などの欧州諸国が次々と導入し、2004年には米国、2005年には、韓国とインドが続いた。現在、トン数標準税制を導入している国は16カ国、同税の適用を受ける企業が運航している船腹量は全船腹量の約6割に達している。この他にシンガポールのようにそもそも海運業に対して法人税を課さない国もあるので、通常の法人税の下で事業を行っている企業はここ10年の間に世界の少数派となってしまった。

なぜトン数標準税制か

特定産業を対象とした特殊な税が、なぜかくも短期間の間に世界の大勢となってしまったのか。この背景には、主要海運国の長いフラッギングアウトとの格闘の歴史とトン数標準税制が持つ優れた特性がある。便宜置籍船の問題は伝統的海運国にとって昔から頭痛の種だった。海運業は世界単一市場で競争が繰り広げられる高度に国際化が進んだ産業である。様々な優遇措置を用意して船舶や企業の置籍を誘致する国が一方にある限り、企業は、船舶の運航・保有コストの低減を求めて船舶を外国に置き、発展途上国船員を使い、さらには企業そのものを外国に移転させていく。市場の力が伝統的海運を駆逐していくのである。

一方、企業経営を離れて国という視点から見たとき、自国商船隊の便宜置籍化、船員の外国人化、海運企業の海外流出は、自然な流れと看過できるものではない。海運は、多くの場合、金融や保険などの関連するサービス業や製造業などからなる産業クラスターを形成しているのに加え、事あるとき国全体のライフラインとなるべき役割を担っているからである。このため、先進海運国では、2重船籍制度の導入や投資優遇税制、各種の船員優遇制度など幅広い海運優遇制度を実施し、自国の海運資源の確保を図ってきた。そのような試みの果てに出現してきたのがトン数標準税制である。

トン数標準税制が急速に普及し、かつ、これまでになく有効に機能しつつある理由を私なりに整理すると次のようになる。

まず海運企業の立場からみると、最大の魅力が前述したような税率の低さにあるのは言うまでもないが、それに並ぶ重要な要因として、外形標準課税という課税形態が海運経営と良く馴染むという点があげられる。海運業は、「十年一山」と例えられるように、好不況の波が極めて大きな産業であり、これに伴って船舶の価格も大きく変動する。トン数標準税制の下では、好況時に留保した利益を低船価時に船舶投資に振り向けることが可能となり、商船隊のコスト競争力を強化する。同一市場において、トン数標準税制と旧来の税制の下にある企業が競争する場合、長いレンジで見れば、仮に同一期間の納税額が同じであったとしても競争力に大きな差ができる可能性がある。

次に国の立場からみると、トン数標準税制は、船舶投資や船員というような経営の特定部分に対して優遇措置を定める制度と異なり、国が必要とするものを包括的に、かつ、直截に海運業に求めることができるというメリットがある。トン数標準税制を導入した国は、海運業界に対し、一定量の自国籍船の確保や自国船員の教育・確保など様々な要求をし、これに対するコミットメントを条件としてトン数標準税制を適用しているのである。

日本の選択

激しい国際競争の中で、日本籍船と外航日本人船員は過去数十年にわたって減少を続けてきた。平成17年度の数字では、日本商船隊約2,000隻の内日本籍船はわずか95隻、日本人船員はピーク時の5万7千人からわずか2千6百人にまで激減している。先進海運国でこれほど自国籍船や自国船員がダメージを受けている国は他に類を見ない。これは、資源を持たない貿易立国たる日本にとって真に危うい状況と言うべきである。

一方、海運業界を見ても、現在海運市況は中国等の荷動きの急増を受けてかつてない活況を呈しているが、一皮めくれば、現在の利益は骨身を削りに削って出している利益であり、深層においては、制度格差による競争条件悪化の影響が静かに進行していると認識しなければならない。

昨年の自民党税調の議論は、まさにこのような状況認識の下で、国家存立の基盤の一つである国際海上輸送能力に対する危機感を反映したものだった。最終的に与党税調は、平成19年度税制改正大綱で、「トン数標準税制については、安定的な国際海上輸送を確保するための法整備を前提として、平成20年度税制改正において具体的に検討する」と結論し、20年度導入への意志を示すと同時に、その前提として導入目的達成のための枠組み作りが必要であることを示した。

国土交通省では、このような流れを受けて、本年2月、交通政策審議会に対して「今後の安定的な海上輸送のありかたについて」諮問し、平成20年の法整備へ向けて、わが国における外航海運の役割、日本籍船や日本人船員の増加方策、人材育成など広範な議論を開始したところである。国際競争力を維持しながら、国家が必要とする日本籍船や日本人船員を確保する道筋を作るという官民の困難な作業が、6月の中間とりまとめを目指して現在進行中である。(了)

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