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オーシャンニューズレター

第161号(2007.04.20発行)

第161号(2007.4.20 発行)

北方領土問題は、痺れをきらしたほうが負け

ユーラシア21研究所理事長◆吹浦忠正

日露間の最大の懸案である北方領土問題。日本としては、4島一括返還が悲願であり、
その実現のために、戦後一貫して、さまざまな努力を重ねてきた。
しかし、問題は依然、解決を見ていないばかりか、両者「水入り」という格好になっている。
さまざまな思いつきのような提案が浮沈するが、
わが国としては矜持を保ちつつ、さらに努力と工夫と忍耐を重ねるほかない。
交渉妥結までに「痺れをきらしたほうが負け」なのだから。


北方領土問題の解決法はあるのか

写真は、船上から見た美しい択捉島

歯舞群島※、色丹島、国後島、択捉島のいわゆる北方領土(北方4島)の帰属問題を解決して日露平和条約を結ぶということは、日露間の最大の懸案である。日本としては、4島一括返還が悲願であり、その実現のために、戦後一貫して、さまざまな努力を重ねてきた。しかし、遺憾ながらこの問題は依然、解決を見ていないのみならず、昨今、ロシア側との交渉が停滞し、本年2月の谷内正太郎外務事務次官の訪露で一縷の望みはつながっているとはいえ、90年代の緊迫したやり取りからは程遠く、両者「水入り」という格好になっている。

わが国としては官民とも矜持を保ちつつ、さらに努力と工夫と忍耐を重ねるほかない。交渉妥結までに痺れをきらしたほうが負けであり、ロシア側は、資源・エネルギーを武器に、まさに日本が諦めてくれるのを待つという姿勢である。

ロシア側のこの頑迷な態度に、つい日本側では、「歴史的法的事実」「両国の間で合意の上作成した諸文書」「法と正義」の3原則で解決することを決めた、1993年10月の東京宣言の3つの橋頭堡を失いかねない安易な妥協案が飛び出してくる。これはロシア側にとってはまさに「それ見たことか」という話なのだ。先の麻生外相のいささか軽率ともいうべき国会答弁のように、面積等分論や3島で妥結などという案が表明されることの危険は、計り知れない。さりとて、われわれ学者・専門家や研究機関が、そうしたさまざまな返還の態様について、まったく等閑視していいものではない。

ここで、すでに、公開されたものを中心に、さまざまな案を列挙し、簡単にコメントしてみよう。

散布山(択捉島)
稲茂尻海岸(色丹島)

4島返還論以外は東京宣言の3原則に反する

まず、4島返還論である。これは「4島一括全面返還で日露平和条約締結」であり、基本的はこれ以外にはない。ただし、「4島を一括して日本領として決定、時期に差をつけて返還(4島一括決定論)」もありうるというのが、橋本首相(当時)によるいわゆる「川奈提案」であり、日本側の現在のスタンスというほかない。

3島返還論は以前、毎日新聞があたかもそれで決定したかのように、1面トップで取り上げたが、公式に検討されたことさえない誤報というほかない。3島返還論の中には、例えば、「2年後に歯舞・色丹・国後を返還して平和条約を締結」し、択捉島については「触れず」「10年後の国後返還を約束した平和条約で択捉を放棄」といった案を唱える人もいる。これらは先の3原則に反するものであり、単に、択捉島だけで、他の3島の合計の倍以上あるという算術的理由以上に、あってはならない妥協である。

等面積分割返還論は、北海道大学の岩下明裕教授が第6回大仏次郎論壇賞まで授与されたことから、最近、注目された。しかし、これも上記と同じく3原則を放棄してしまうわけで、とんでもない間違いである。「3島+択捉南部の25%を同時に返還して平和条約」「3島同時返還、時差をつけて択捉南部の約25%を返還」といった案だ。

領土要求の拡大論というのもある。「南樺太と千島全体の返還を要求する」「千島全体の返還要求を蒸し返す」というものである。日露戦争の結果割譲された南樺太の返還を求めることについては、一部にかなりムリとはいえ理屈なしとはしないが、すでにユジノサハリンスク(日本統治時代の豊原)にわが国は総領事館を設置し、当該地域を「外国」として扱ってきた段階で、これはできない要求というべきだ。「千島全体を」というのは、日本共産党の主張であり、私どもは1973年に行われた第1回日露専門家会議(その後、「専門家対話」と名前を変え2007年2月に通算25回目を日本財団ビルで開催)以来これを活用して、「日本の中にはそういう主張もある」「これをしも要求するというのは"バザール商法"であり、われわれは"正札商法"で4島に限定して返還を要求しているのだ」と説いてきた。

2島先行返還論は昔からあったもっとも安易な考え方だ。「歯舞、色丹の2島からロシアが静かに撤退。国後・択捉について帰属を協議」というのなら、黙って2島の行政権を受け取るが、「2年後に歯舞・色丹を返還して平和条約を締結。国後・択捉の領有権問題を継続協議と平和条約で明記」というのなら、日本側として乗るわけには行かない。

理由は二つある。第一は、1956年の日ソ共同宣言で、平和条約交渉を継続すると約束しながら、その後、91年のゴルバチョフ ソ連大統領の来日と同年末のソ連邦崩壊まで、交渉自体がほとんど行われなかったに等しい。その歴史的な事実から言って「継続協議」などという甘言に騙されてはならない。第二は、ロシアの憲法で、領土の割譲は国民投票によらねばならないとなっていることだ。これではアジ演説1回で国民が興奮してしまうのを止めようがない。

日露共同統治論というのも同様に「甘いエサ」にすぎない。古今東西で共同統治などということが成功した試しがあるだろうか。まして、基本的な言語、文化、価値基準、生活レベル...を異にしている日露間でこうしたことができるものとは到底思えない。また、どちらの法体系に基づく法令を施行するのか、予想されるトラブルをどう処理するかなどをめぐり、むしろ新たな紛争のタネを蒔くようなものではないかと危惧せざるを得ない。

4島一括返還の実現のために

私どもは、昨年度、東京財団において領土問題研究プロジェクトを組織し、ロシア側からのさまざまな「切り返し」にどう対応すべきかを100の質問に答える形でまとめた。これをさらに精査し、日本語で刊行するのみならず、ユーラシア21研究所のロシア語のHPで公表(2005年4月から東京財団で実施してきたものを引き継ぐ)したり、ロシアで発行して、両国民の啓発に努めようと企図している。両国とも、民主国家として、健全な世論に基づいた政治決定が行われると確信し、そこに希望を繋ぎうると考えるからにほかならない。(了)


※ 歯舞群島(歯舞諸島)=水晶島、秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島、春苅島および貝殻島など小さな島々からなる。北方領土のうちの1地域として扱われる。

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