Ocean Newsletter
第144号(2006.08.05発行)
- (社)日本海難防止協会上席研究員◆大貫伸
- 海洋政策研究財団研究員◆大久保彩子
- 海洋ジャーナリスト、特定非営利活動法人ニューパブリックマネジメント協会常務理事◆桑名幸一
- ニューズレター編集委員会編集代表者(東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授)◆山形俊男
IWC「セントキッツ宣言」―商業捕鯨再開への道筋は見えず
海洋政策研究財団研究員◆大久保彩子国際捕鯨委員会の第58回年次会合では、捕鯨推進派が提案した「セントキッツ宣言」が採択されたものの、IWCのもとでの商業捕鯨再開への道筋は、ますます不透明になった。
日本では調査捕鯨の副産物である鯨肉の売れ残りが生じており、捕鯨にかかっている日本社会全体の利益とは何なのか、さまざまな視点から冷静に検討してみる必要がある。
交渉現場と報道とのギャップ

6月16日から20日にかけて、カリブ海の島国セントクリストファー・ネイヴィス連邦(セントキッツ)で国際捕鯨委員会(IWC)の年次総会が開催され、商業捕鯨の再開を支持する内容の「セントキッツ宣言」が過半数(賛成33、反対32、棄権1)で採択された。日本政府の森本代表は、同宣言の採択は捕鯨に関する日本の立場への理解の深まりを示す「大きな前進」であり、長年対立が続いてきたIWCでも対話の雰囲気が生まれつつある、とコメントした。国内各紙も「捕鯨推進派が過半数を獲得」というニュースを、捕鯨問題の現状打開への期待感とともに報じた。
セントキッツ宣言の採択は、本当にIWCのもとでの商業捕鯨再開につながるのだろうか。私は、非政府組織のオブザーバーとして会議に参加したが、上記のような日本政府の見解や報道ぶりとはまったく異なる印象を受けた。宣言の採択は、日本の立場を支持する国々が新たにIWCに加盟した結果であって、これまで対立してきたIWC加盟国間の相互理解が深まったからではない。
RMS交渉の停止とセントキッツ宣言の採択
宣言採択の発端になったのは、商業捕鯨の再開の条件とされている規制パッケージ(RMS)に関する過去14年間にわたる政府間交渉が、結局、物別れに終わったことである。IWCでは、鯨類の絶滅リスクの上昇を招かないような捕獲枠の算定方式が1994年に採択されており、RMSは、この方式から計算される捕獲枠の遵守を確保するための一連の規制である。


反捕鯨国は、最も厳しい規制が必要で、規制費用は捕鯨国が全面的に負担すべきであり、さらに、商業捕鯨の再開にあたっては日本などが実施している調査捕鯨にも何らかの制限を課すべきと主張する。一方で日本を含む捕鯨推進国は、過度の規制は必要なく、規制費用の一部はすべてのIWC加盟国が負担すべきであり、各国の主権のもとで実施される調査捕鯨には、いかなる義務的な制約も受け入れられない、との立場である。RMS交渉として行われてきた14年間の議論は、両者が互いの立場を繰り返すだけの、およそ「交渉」と呼ぶには程遠いものであった。そしてIWCは今年、RMSについて「議論を無期限に延期する」と結論付け、RMS交渉は実質的に停止した。
これを受けて、オランダは「閣僚級会合などハイレベルの交渉で現状を打開すべき」と提案し、日本は「現在のIWCは国際捕鯨取締条約の精神に反した異常な状態にあり、IWCの枠外で非公式の『正常化会合』を開催してIWCの正常化をめざす」と説明した。セントキッツ宣言は、後者の日本の立場を全面的に支持するものだ。また、宣言の前文には、?商業捕鯨モラトリアムはもはや必要ない、?鯨による大量の魚の捕食への懸念、?反捕鯨NGOへ批判、?反捕鯨国への批判など、捕鯨推進側の主張が並べられている。これらは、いずれもIWC加盟国間の意見が真っ向から対立している論点である。
宣言の採択後、議場は騒然とした。捕鯨推進派の席上からは拍手が起こったが、一方で反捕鯨国は強く反発、15カ国が宣言への反対を議事録に残すことを求めた。こうした状況を「日本の立場への理解の深まり」や「対話の雰囲気が生まれてきた」と表現するのには、違和感がある。
ますます不透明になった商業捕鯨再開への道
セントキッツ宣言が過半数の支持を得たことは、日本の立場を外見上、よくすることに貢献した。しかし、IWCのもとでの商業捕鯨の再開の道筋は、ますます見えなくなったと言える。商業捕鯨の再開には4分の3の賛成票が必要であり、宣言は実質的な意味を持たない。IWCにとどまり、従来の日本の立場を固持しながら商業捕鯨を再開しようとすれば、新たに60カ国の日本支持国にIWCに加盟してもらう必要がある(さらに反対国が1カ国増えるごとに、3カ国の味方を得なければならない)が、これは非現実的にみえる。
他方、反捕鯨国といっても、そのすべてが商業捕鯨に何が何でも反対、というわけではない。スウェーデン、オランダ、米国など、RMS交渉の行き詰まりを問題視し、RMSの早期完成を支持している国はある。IWCのもとでの商業捕鯨再開を目指すのなら、こうした比較的穏健な反捕鯨国を説得するほうが現実的だ。ただし、この場合、RMSに相当厳しい規制を盛り込むこと、また、商業捕鯨再開にあたって調査捕鯨に何らかの制約を課すことは避けられないだろう。
セントキッツ宣言の翌日には、日本のイニシアティブで「正常化会合」の準備会合が開かれたが、IWCにおける商業捕鯨再開への道筋や戦略は示されないままであった。参加者からは、「日本が反捕鯨国の説得にリーダーシップをとるべき」、「日本が 『自分自身の』IWCを作ろうとするなら、必ずしも合意は得られないだろう」といった発言もなされた。「正常化会合」は来年1月か2月に開催される予定だが、そこで現在のIWCの行き詰まりを打開するような、商業捕鯨再開への道筋が見えてくるのか、先行きは極めて不透明である。
調査捕鯨の拡大と増える鯨肉在庫
そもそも、日本はどのくらいの費用をかけて、どのくらいの鯨を捕る必要があるのか、十分議論されていないのも問題である。現在、日本は調査捕鯨として、年間約10億円の国庫補助金を使い、年間約1,200頭※1の鯨を捕獲し、その副産物である鯨肉を販売して調査費を賄っている。最近の調査捕鯨の拡充に伴い、鯨肉の売れ残りが生じ、在庫量が増えてきた※2のも事実である(そこで、鯨肉の販売を促進するための会社も設立された)。IWCのもとでの商業捕鯨が再開された場合も、調査捕鯨は継続するのだろうか。そうだとすると、調査捕鯨で相当量の鯨肉がすでに供給されているなかで、補助金を受け取らない商業捕鯨の採算は取れるのだろうか......。捕鯨にかかっている日本社会全体の利益とは何なのか、さまざまな視点から冷静に検討してみる必要がある。(了)
※1 昨シーズンの捕獲数は、南極海ではミンククジラ853頭とナガスクジラ10頭、北太平洋ではミンククジラ220頭、マッコウクジラ5頭、イワシクジラ100頭、ニタリクジラ50頭(IWC公式文書IWC/58/25より)。
※2 2000年に1,789トンであった鯨肉の在庫量は、2005年には3,945トンとなった。(月末在庫量の年間平均値。農林水産省「冷蔵水産物流通統計」より算出。)
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- 編集後記 ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授)◆山形俊男