Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第138号(2006.05.05発行)

第138号(2006.05.05 発行)

いま、国をあげて「海の食料政策」をつくるとき

ウーマンズフォーラム魚(WFF)代表◆白石ユリ子

日本人ほど海の幸を文化として育んできた民族はいない。それなのに、いまや漁業も魚食文化も崩壊の危機にある。
ウーマンズフォーラム魚はこうした状況を変えなければと、消費者への情報発信やこどもたちへの海と魚教育に取り組んでいる。

愛する日本、大切な海と魚。いま、手放していいのか。

私たち日本人は、海の幸に恵まれること、海の幸に人生を重ねることを当たり前のこととして生きてきました。日本中どこの家庭でも、お節句のお料理や結婚の結納品など人生の節目には、必ず海産物が添えられてきました。そのうえ縦に長く伸びた日本列島では、北に行けば北の魚、南に行けば南の魚が獲れ、食する文化も違います。魚は、日本文化そのものなのです。

海に面した国は世界にたくさんありますが、日本人ほど海の幸に恵まれ、また魚食を文化として育んできた民族はいません。何世代にもわたって海洋資源を利用してきた日本人の知恵は、魚の生態を利用した漁法や、一匹の魚を余すところなく利用する生活技術へと受け継がれてきました。これが民族の誇りでなくて何でしょう。それがいま、安易に輸入品や加工品に頼る都市型の食生活が広まる中で、ぷっつりと途切れようとしています。200海里の影響や諸外国による漁業への圧力、沿岸域での漁場の消失など、国民の気づかないところで大異変が起きているのです。

そしていま、日本は国土の12倍、世界第6位という広い「海」を持っていながら、魚の自給率はわずか5割となり果てました。世界147カ国からなんと年間2兆円近くもの水産物を買っているのです。ふだん食べているアジは2割、マグロは5割、エビにいたっては9割が輸入魚です。大手水産会社は漁業から撤退し、中小企業はつぶれ、沿岸の漁業者は激減。残っている漁師はいまや60代以上が半数です。そして消費者は、何も知らずに外国の漁師さんが獲ってくれた魚を食べ、こどもたちは魚の姿も知らずに育っている―これが日本の現実なのです。

日本人の魂ともいうべき風土、漁業、そして食文化がいつの間にか危機的な状況にまで来ているのです。気づいた人が声を出し、海から食卓までに関わるすべての人が知恵を出して話し合わなければ、祖先から受け継いだ大切な日本の食文化は失われてしまいます。

こどもたちに伝えたい、魚のおいしさ、漁業の意義。

■こども記者とともに漁村を取材する筆者(中央)

私は『海彦(うみひこ)クラブ』という、こどもたちへ魚食文化を伝える活動を行っておりますが、この活動を始めたのは、日本人全体が無意識のまま魚食文化から離れてしまっているという私の危機感からでした。13年前に感じたこの危機感からウーマンズフォーラム魚(WFF)が生まれ、その延長線上にこどもを対象とした『海彦クラブ』が生まれました。『海彦クラブ』は1年にわたる体験プログラムです。毎回新しい小学校と新しい漁村を結び、「私たちは海のいのちをもらって生きている」ことを伝えています。参加するこどもはたいへんですが、大人たちがそれだけの熱意を持ち時間と労力をかけなければ、こどもたちに魚食文化を伝えることなどできません。私は文字通り、この活動に人生を賭けて取り組んでいます。協力してくださる大勢の方やWFFの仲間がいてくださってのことですが、毎回毎回チャレンジです。

■自ら包丁をもって魚をさばく

『海彦クラブ』は、1年間を通じて「浜のかあさんと語ろう会」「体験ツアー」「こどもフォーラム」、そして「ニュースレター」という4つの体験活動を行います。こどもたちが自ら魚をさばき、朝3時に起きて漁業を取材し、主体的に考えるプログラムです。参加したこども自身にとって一連の体験は深い意義がありますが、それにも増して重要なことは、小学生が"小さなジャーナリスト"として社会に「漁業・漁村」の存在意義や「海の環境保全の大切さ」「食料としてのサカナの重要性」を伝えることにあると私は考えています。

―海に命をかけて魚をとる漁師さんが、とてもたくましく、私たちに必要な存在だと思った。あらためて知った海、魚の大切さ。そして新湊の美しさ、素晴らしさを感じた。―

昨年1年間、「海彦クラブ」で学んだこども記者の書いたものです。

いま、国をあげて「海の食料政策」をつくるとき。

世界の国々は、その風土が育んだ特有の食文化を持っています。食は理屈ではなく、人間の存在そのものであり、民族の文化といえます。だからこそ、どの国も食料確保においては他国との協調よりも自国のエゴを優先するのです。過去から現在にいたる世界の紛争や漁場確保の諍いが如実に物語っています。どの国においても、為政者に求められる資質の第一は、食料確保でありましょう。それができなければ、政権は崩壊せざるをえません。そして、量の確保とともに大切なことは、民族の遺産ともいうべき食文化の維持・継承なのです。食文化とは、人が生きていく知恵そのものなのですから。

その視点で見れば、日本の食料政策はお粗末というほかありません。さらに漁業という産業は、日本の政治・行政のなかでじつに中途半端に扱われてきました。江戸時代においても、明治、大正、昭和においても農業のように「食料産業」としての位置づけはなされませんでした。戦後が50年以上過ぎた2001年、ようやく「水産基本法」ができたところです。

漁業は、国民のいのちの糧を賄う食料産業です。沿岸域の海を保全し、漁村文化の中核となる地域振興産業でもあります。日本人の心と健やかな体をはぐくむ文化産業ともいうべきものです。そうした意識を国が持たなくてどうしますか。長い時間をかけてつくられた国の仕組みを変えることは並大抵ではないと思いますが、いま取り組まなければ、日本の漁業と魚食文化は失われてしまうでしょう。日本の海と漁業と食卓をどうするのか、という話し合いが国をあげて行われ、「海の食料政策」を練り、実行に移すときが来ていると、私は確信しています。(了)

●海の幸に感謝する会「ウーマンズフォーラム魚」ホームページ http://www.wff.gr.jp/conte.html

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