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オーシャンニューズレター

第136号(2006.04.05発行)

第136号(2006.04.05 発行)

環オホーツク圏の温暖化と物質循環

北海道大学低温科学研究所所長◆若土正曉

「環オホーツク圏」は、地球温暖化に最も敏感な地域である。温暖化が進めば、オホーツク海での海氷生産量は著しく低下し、高密度水生成量の大幅な減少をもたらす。この「高密度水」は、アムール川の鉄や北部大陸棚起源の栄養分が、オホーツク海から親潮域にまで循環していく際の運び役であり、その生成量の減少はこの海域の生物生産力を弱める。温暖化による将来予測を可能にするには、環オホーツク圏の観測研究ネットワークの構築が必要となる。

海洋変動-温暖化はもう始まっている!

海氷を生むオホーツク海を中心に、東西にユーラシア大陸と北太平洋、南北に北極圏と温帯・亜熱帯域をもつ特徴的な地理的環境にある「環オホーツク圏」は、地球温暖化に最も敏感に応答して変動する地域と考えられています。オホーツク海が、世界で最も低緯度に位置する季節海氷域である最大の要因は、その風上、つまりユーラシア大陸北東部が北半球の寒極であることによります。シベリアからの厳しい寒気がオホーツク海に多量の海氷をもたらします。特に、オホーツク海の北西陸棚域(沿岸ポリニア)は、北半球で最も海氷生産が大きい海域の一つであることが分かってきました。さらに、ここでは海氷生成の際に排出される冷たくて重い高塩分水によって、北太平洋表層起源としては最大密度の海水が作られていることも明らかになってきました。

■図1 最近50年間の海洋中層(26. 8-27. 2σ(シグマ)θ(シータ))の水温変動傾向(中野渡他、2006)オホーツク海西岸域で最大0.6℃/50年の上昇傾向が見られ、北太平洋西部へ拡がっています。

この高密度水は、北太平洋全域の中層(400~800m)に潜り込んで北太平洋中層水を形成し、北太平洋スケールでの大きな鉛直循環(オーバーターン)を駆動しています。われわれの最近の研究から、この50年間でオホーツク海の中層水が明らかに昇温化し、それがオホーツク海から北太平洋へ広がってきていることもわかってきました(図1)。その原因は、オホーツク海の海氷生産量が減少し、高密度水の生成量が減ったことによると考えています。オホーツク海の風上にあたるシベリア東部は温暖化が最も顕著な場所であり、ここからの寒気の弱まりによって海氷生産量が減少したと考えられます。高密度水の生成量減少および中層水昇温は、北太平洋全体のオーバーターンの弱化をも意味します。

『鉄』の循環-アムール川からオホーツク海そして北太平洋へ

北部北太平洋や南極海などにおいて、窒素やリンなどの栄養塩がまだ表層に豊富に余っている夏のさなかに、植物プランクトンの増殖が突然止まってしまう現象が見られ、長く大きな謎とされてきました。最近になってようやくその謎が解けてきました。光合成に必要な「鉄」が不足していたのです。鉄は陸上では極めてありふれた元素ですが、海水にはほとんど溶けないため、栄養塩豊富な海域では、鉄が窒素やリンに代わって植物プランクトンの増殖を制限していたのでした。

従来の研究では、鉄は大陸から外洋域に、主として大気エアロゾルの形で輸送され、河川から運び込まれる鉄のほとんどは、沿岸域で沈殿してしまうと考えられていました。しかし、われわれの最近の研究によって、アムール川流域からオホーツク海の中層を介して、北太平洋北西部親潮域へ効率的に鉄を運び込むシステムのあることが発見されました。図2は、オホーツク海と親潮域、西部北太平洋亜寒帯域における海水中の鉄濃度の鉛直分布を示したものです。親潮域では中層に鉄の濃集層が存在し、この鉄が冬季の鉛直混合で徐々に表層に供給されることによって、生物一次生産を支えていることがわかってきました。一方、この中層の鉄濃集層は、千島列島を通して隣り合うオホーツク海において極めて顕著であり、オホーツク海から北西部北太平洋へと鉄が流出していることを示しています。オホーツク海では、北西部大陸棚で海氷生成時に作られる高密度水が外洋中層へ流れており、その高密度水塊には大陸棚の海底堆積物を起源とする莫大な量の懸濁粒子が含まれていることもわかってきました。そして、この大陸棚に無尽蔵ともいえる粒子態・溶存態の鉄を供給しているのが、アムール川だったのです。つまり、日本の水産資源の生命線ともいえる親潮域の生物生産は、アムール流域からの鉄の流出とオホーツク海の中層水循環によって支えられている可能性が出てきました。

■図2 オホーツク海(緑)、親潮域(赤)、北太平洋西部亜寒帯域(青)における鉄濃度の鉛直分布(西岡他、2005)オホーツク海や親潮域の中層(400~800m)に高濃度の鉄が存在しています。

地球環境の未来

冬季に広大な雪氷域(積雪+海氷)をもつ「環オホーツク圏」では、温暖化の徴候が他のどの地域よりも早く顕著に現れます。温暖化が進めば、オホーツク海での海氷生産量の著しい低下がいち早く進み、高密度水生成量の大幅な減少をもたらします。アムール川からの鉄や北部大陸棚起源の栄養分が、オホーツク海全体、さらには親潮域にまで循環していく際の運び役であるこの「高密度水」の生成量の著しい減少は、結果的に、この海域の生物生産力を弱めることになってしまいます。これら温暖化による鉄循環システムと生物生産力への影響を正しく評価し、将来予測を可能にするには、集中観測やモデリングだけでなく、長期モニタリングを中心とする観測研究ネットワークの構築が是非とも必要です。今後、「環オホーツク圏」の変動をしっかり見定めることにより、温暖化予測や物質循環システムの実態把握とその変動予測が可能になってきます。さらに、地球環境を守っていくために役立つような方策、例えばEEZ管理や漁業管理などにおける具体的提案も期待できます。近年、アジアなど南方に注目が集まる傾向にありますが、地球環境における未来には、北の寒冷圏も同様に重要であります。

"Look North !" (了)

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