Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第12号(2001.02.05発行)

第12号(2001.02.05 発行)

渦巻く海

東京大学名誉教授◆奈須紀幸

海水や空気は透明である。したがって、その動きは人の目には見えない。黒潮とか偏西風と聞くと、いかにも滑らかに流れているような印象を受ける。実際の流れは随分と渦巻いている。このことは、はっきりと認識しておく必要がある。

私の専攻は海底地球科学である。深海掘削の成果に多大の関心を寄せ、例えば、古気候の4次元的記録試料の採取の結果、ここ数十年の間に解明された多くの事実に驚異の眼を見張っている。でも解明は緒についたばかりである。故にこそ、日本の深海掘削船の建造の計画段階から参画して、その実現に努力した。幸いにして、建造は開始された。こうしたことについて語りたいことは山ほどある。が、それは他日に譲る。

今回は渦巻く海水についての実体験を述べさせて頂く。

鳴門の渦潮
鳴門の渦潮。鳴門大橋の下。ここでは、透明な海水が気泡をふんだんに含んで渦巻くので、光の屈折の影響も併せてその様子を目視できる。こうした渦が見えるのはむしろ珍しいので、景勝の地として有名になった。
(写真:著者)
スクリップス海洋研究所
953年当時、私の居室のドアの前から南方を撮影した写真。手前の建物群が当時のカリフォルニア大学スクリップス海洋研究所。砂浜の砕波帯を越えて右(西)に伸びている観測用桟橋の上から、私どもは計測器をおろして砕波の実測を行った。南方の山はマウント・ソレダドで、米国内でも有名な超高級住宅地。その麓にラホヤの中心街が広がる。
(写真:著者)

私は、戦時中、東大工学部の航空機体学科に在学し、谷一郎先生を師として流体力学を専攻した。空気や水に層流と乱流の別があることを学んだ。分子レベルでの出入りのある流れは層流である。流れの中で、実体の左右上下方向の大小の交換があれば、乱流となる。いわば、渦を含んでいれば乱流となる。自然界の流れのほとんどは、空気でも水でも乱流である。渦を含んでいる方が自然なのである。風洞実験や水槽実験で、その事実は、いやというほど学び身についた。

終戦で学科名が変わり、物理工学科となって1年後に卒業した。戦後、理学部の地質学科に再入学したが、自然と、堆積物と流体の関係に関心が向き、海底堆積学を専攻し、海洋地質学、海底地球科学へと進んでいった。

堆積物や堆積岩を見て、それらが、いかに大きく水流の渦の影響を受けたのか、ということを実感した。

1950年に地質学科を卒業したが、その1年後に幸運にも機会を得て、カリフォルニア大学のスクリップス海洋研究所に留学し、丸4年滞在した。half-timeが大学院生で、堆積物と流体の関係を引き続き研究した。あとのhalf-timeは、流体力学の素養がある、ということで、波打ち際の砕波によって誘起される水平・垂直方向の水流速度の実測で給料を得た。風浪は少なく、うねりによる巻き波の砕波が多かった。

海に突き出ている実験用の桟橋の上から、流速計と波高計を砕け波の少し沖側に沈めて実測する。実測は順調であった。ある時、ふと疑問を生じた。どうも砕け波で誘起される水流が、砂浜に向かって素直に直角方向に往復しているだけではなさそうなのである。

vそれで数mの棒の先に径30cmほどの木製の円盤を固定し、白く塗って見え易くし、砕け波の中、その前後に何回も降ろして見た。なんと、波が砕けて岸に寄せる時、円盤はぐるぐると回転するのである。引き波の時も同様である。砕け波は、岸に対して寄せては引いているが、実体は渦巻きながら動いているのである。これほどの回転運動を伴った動きとは、一寸見た目には分からなかった。このことは、私にとって強烈なインパクトとなった。

1958年、留学半ばであったが、私は、研究船ベアード号で、アリューシャンのエーダック島から日本までの研究航海を体験した。千島列島のすぐ東沖で、親潮の源流とおぼしき付近で、全員参加して、鉄フレームの付いた大型ネットで中層の生物採集をした。径2cmほどの丈夫な鋼製のワイヤーロープで曳航した。海の表層付近はおだやかであった。数百mの深さをある距離、曳航してネットを後部甲板に引き上げた。驚いたことに曳航していたワイヤーロープが、幾重にも巻きからまっていた。中層を流れる親潮源流は、実に激しく、上下左右に渦巻きながら流れていることを思わせた。海中にはこれほどまでの渦が巻いている場所もあるのかと深く印象付けられた。

帰国後、気象庁、水路部、水産大学の船に便乗して何回か黒潮本流を横切った。その後、1962年、新設の東大海洋研究所に移籍し、数年後に新造した淡青丸や白鳳丸でこれまた何回も黒潮本流を横切った。黒潮本流に入ると、船体が小刻みに振動を始める。私が、「黒潮に入った」と叫ぶと、誰かが水温計を見に走る。水温は急激に上がっている。明らかに高温の黒潮に入ったのである。黒潮本流を抜けると船体の振動がぴたりと止まる。「抜けた」、と叫ぶとまた誰かが水温計を見に走る。水温は急激に下がって元に戻っている。

このことは、黒潮ほどの流れになると、それ相応の大小の渦を伴いながら流れているさまを伺わせた。その渦が船体に小刻みの振動を与えるのである。

海の水が動く時、それは常に大小の渦を伴っていることを念頭に置くべきであることを、海洋観測の実体験から私は学んだ。

観測船で1点の鉛直方向の計測をして、数十分か数時間後に次の観測点の計測を行う、という方法が長年に亘って海洋観測の主流であった。前の観測点の状況は渦巻く水流の中ではすでに変化しているはずである。これでは精密はデータは取れない。私は、一次近似的観測だな、という印象が拭い切れなかった。

幸いなことに近年、人工衛星で、海表面の広範な同時観測が始まった。係留ブイや漂流ブイで、継続的な海中観測が開始された。これで、余程、精密観測に近づいたことを実感した。

私が言いたいのは、海の本格的な研究は、近年始まったばかりである、といっても過言ではない一例がここにもある、ということである。

海の実像は巨大で奥深い。今、海洋研究の関係者は、驚くべき速さで、その実像に迫る動きを始めた。海は広い。国内協力・国際協力を踏まえつつ、こうした好ましい現状を力強く推進していただきたいものである。(了)

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