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オーシャンニューズレター

第129号(2005.12.20発行)

第129号(2005.12.20 発行)

鯨類のストランディングと日本における対応

(財)日本鯨類研究所調査部◆石川 創 (はじめ)

鯨類の座礁漂着(ストランディング)は近年増加していると言われるが、データを分析する限りその傾向は見られない。
日本におけるストランディング対応策は、民間主体の欧米と比較して行政機関が主導する独自のシステムと言うことができる。

1.ストランディングの定義

ストランディングとは、鯨類が生きたまま海岸に乗り上げて身動きがとれない状態(座礁)を意味する。厳密には死体の漂着と区別する場合があるが、一般的には生死を問わずに海岸に到達したものすべてをストランディングと称し、複数の個体が同時に座礁することをマスストランディングと呼ぶ。またストランディングを救護の対象として扱う観点からは、水棲哺乳類(鰭脚類、海牛類およびラッコを含む)が「自力で対処できない」すなわち人為的な救護を必要とする状態をすべてストランディングと呼び、この意味でイルカやアザラシなどが本来の生活水域から離れて港や河川の奥に迷入する現象もストランディングに含まれる。

2.ストランディングは増加しているのか?

■図1
日本鯨類研究所ストランディングデータベースに登録された鯨の漂着件数の年推移と、その中に占める座礁数(グラフ中の「生存」)。2003年は最も報告件数が多く195件のストランディングが記録され、このうち座礁は34件であった。

鯨のストランディングが近年増加しているとの記事や主張をよく耳にするが、事実なのだろうか。図1に日本鯨類研究所(日鯨研)のデータベースに登録された、鯨の年別ストランディング件数を示す。一見すると、確かに鯨のストランディングは1990年代後半から急増しているように見えるが、このデータが示しているのはあくまでも報告された件数であり、実際の発生件数を示しているとは限らない。日鯨研では1986年からストランディング情報の収集を始めたが、1996年以降は国立科学博物館と共同で、情報の収集と関心ある人々の啓蒙活動を積極的に展開した。一方、水産庁も1992年から座礁・混獲鯨類の取り扱いに関して検討委員会を設置するとともに、指導通達で各県水産担当部署に該当事例の報告を求めるようになった。また、漂着死体の処分を市町村および海岸管理者の義務としたところから、後述するようにストランディング対応そのものに地方行政が深く関わるところとなり、市町村単位でのストランディングに対する関心を大きく高めた。したがって1990年以降の急激な情報件数の伸びは、鯨のストランディングが増えたというよりも、報告者数が増加した結果と考えることができる。

これらを裏付けるデータとして、図1に示した漂着数と座礁数(グラフ中の「生存」)の差がある。漂着総件数が急激に伸びているのに対し、これに占める座礁件数はさほど増加していない。両者の差は死体の漂着報告数を意味するわけだが、それまでは単なる海岸の腐敗したゴミであった物体が、水産庁の通達の結果、鯨の漂着死体として処理報告されるようになり、同時に地域の新聞や自然愛好家たちの関心をも集めるようになった結果と言えよう。

結論を言えば、少なくとも報告件数の年推移を見る限り、最近5~6年間に鯨の座礁漂着が増加しているとは考えられない。1996年から急増した報告件数は1999年以降頭打ちになり、2003年は195件と最も多かったものの翌2004年は128件にとどまっている。グラフに見られる数の増加が、報告者ならびに人々の鯨に対する関心の増加の反映であるとしても、その数は近年停滞しているのである。

3.日本はストランディング対応後進国か

環境保護団体の方々からよく聞く話の一つに、米英や豪州におけるストランディング対応の充実ぶりがある。これらの国ではいわゆる海産哺乳類保護法が発達しており、基本的に座礁漂着した鯨類は行政機関が管理する義務を負っている。海岸線に沿って州や地方ごとにストランディングネットワークが発達し、座礁が発見されれば官民が連絡を取り合って地域のネットワークが組織的な救助活動を展開する。ただし実際に救助活動を行う団体は、基本的に行政機関から認定を受けた民間のボランティアで、救助費用も寄付金で賄っているのが普通だ。

これに対して日本は、鯨類を利用可能な水産資源ととらえる政策を反映して、欧米のような包括的な海産哺乳類の保護法ではなく、漁業法や水産資源保護法で無許可の鯨類捕獲を禁じている。ストランディングに関しては明確な法規定がないため、欧米のような民間のストランディングネットワークが発達しにくい。この点が何かと日本の対策不備云々の批判になりやすいのだが、実際には日本では欧米の模倣ではない独自の対応がとられている。

■図2
2002年1月に鹿児島県大浦町にマスストランディングしたマッコウクジラ。
(写真:海の中道海洋生態科学館)

水産庁は2004年に大型鯨の座礁やマスストランディングに対処する指針として、「鯨類座礁対処マニュアル」を作製した(水産庁捕鯨班のホームページから入手可能)。このマニュアルには、座礁発生時に市町村が座礁鯨現地対策本部を設置して、市町村長等が座礁対処責任者となり、対策本部は関係する水産部局、環境部局、土木関係部局、消防署等を持って構成し、必要に応じて地元警察署、水産試験場その他必要とする機関および個人をメンバーとすることができる、と記載されている。すなわちこのマニュアルに従う限り、座礁鯨の救助者として第一に行政組織が指定されており、この点は鯨の救助を行政が民間に委ねている欧米と大きく異なっている。このマニュアルは静岡と鹿児島で発生したマッコウクジラの座礁 (2000年4月)とマスストランディング (2002年1月、図2)等の経験を元に作製された。いずれの場合も行政機関が中心となって大がかりな救助活動および死体処理が行われた事例である。日本ではイルカなど小型鯨の救助は水族館などの民間団体が行う例が多いが、大型鯨の座礁にあたって明確な法規定がないにもかかわらず、地域の行政機関が救助活動を当たり前のように行い、水産庁もそれを奨励している点で独特である。

一方、行政機関が救助を行うことは、そこに多額の税金が使われているという点に注意しなければならない。前述の鹿児島のマッコウクジラの例では、死体の処理も含めて費用が6,230万円発生したと報道されている。大型鯨の座礁の場合、重機や船舶を動員して大がかりな救助活動を行っても成功する例は極めて少ない。死体の処理費用は致し方ないとしても、助からない鯨の救助活動に税金をつぎ込むことには納税者から批判があっても当然だろうし、また動物福祉の観点からも、無駄な救助活動は単に動物の苦しみを長引かすだけの結果しか生まない。実は水産庁の座礁対処マニュアルはこの点を踏まえ、鯨のストランディング対策として安楽死(マニュアルでは「殺処分」)の選択と、死体の有効利用による処理費用軽減(利用者負担)について初めて言及している。どちらもまだ実際に適用された例はないが、わが国が大型鯨のストランディング対応の指針として自国の実状に合わせたテキストを作製したことは評価されるべきであろう。

日本が独自に発達させた行政主導のストランディング対策には長所短所両方があろうが、今後の課題として一点挙げるならば、ストランディング個体の調査研究の推進であろう。ストランディングした鯨は生物学的な研究材料として貴重なだけではなく、海洋の汚染や環境変化のバロメーターとしての価値も高い。調査研究の推進のためには、行政が幅広く大学や博物館、研究所等の活動を積極的に支援する体制を作ることが望まれる。(了)

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