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オーシャンニューズレター

第129号(2005.12.20発行)

第129号(2005.12.20 発行)

津波による被害と復興-奥尻島とインド洋津波スマトラ・バンダアチェの例を交えて-

東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センター教授◆今村文彦

災害からの復旧・復興は、長期的な視座に立ち、将来再び起こりうる災害への対応を計画・実施することによって、次の被害を避けることが重要である。
93年の北海道南西沖地震による津波被害からの復興の例、そして現在復興作業のまっただなかにあるインド洋津波スマトラ・バンダアチェを例に、津波災害からの復興と災害予防対策について紹介したい。

はじめに

地球内部のマントル対流に伴い表面にあるいくつかのプレートがそれぞれの速度でゆっくりと移動し、さらには、一つが別のプレートの下にもぐり込んでいる場所もあり、それらの境界では歪みエネルギーが蓄積しやすい。その結果、海洋性地震、火山活動、地滑りが多発し、それらが直接・間接的な要因となり津波が発生、沿岸域に多大な被害を引き起こしている。わが国は、まさにその境界に位置し、面積はわずか世界の2%にすぎないが有感の地震の数は2割を超え、さらに、千名以上の犠牲者を出した津波の実に4割が日本で発生していることになる。「TSUNAMI」が世界共通語になっている所以である。

日本近海での津波は、現在までの約1,300年間で200を数える。6~5年に1回程度の割合で発生していることになるが、洪水や地震災害などと比べるとその頻度は格段に少なく、住民の津波に対する認識も高いとは言い難い。低頻度災害であるがゆえ、津波への対応は容易ではない。しかし、仔細に再見すれば、ひとたび災害に見舞われた地域では、それを教訓とした知恵や工夫が継承されている。現在は、高度にシステム化された近代的な災害対策が主流であろうが、 過去の災害によって涙とともに生きた人々の防災文化を忘れてはならない。

さらに、災害サイクルの中においては、被災から復旧・復興を経るなかで、災害対応が進んでいき、これが結果的に被害抑止力となる点にも注目したい。つまり、被害直後においては、迅速に復旧や復興を行わなければならないが、 同時期的な取り組みとして、長期的な視座に立った防災の対応を計画・実施することで、次なる被災を避けることができるということである。

突然の大災害

バンダアチェ沿岸部での様子(2005年9月23日撮影)。いまだ瓦礫が残る中、生活が営まれている。

日常の平穏を引き裂くかのように、大災害は突然やってきた。平成5年7月12日、奥尻島すぐ西側でM7.8の大地震が発生。大きな揺れの余韻も消えぬわずか5分後、10m以上の津波が沿岸各地を襲った。強震、地滑り、津波、火災......と悪夢の連鎖が起こり、島内だけで死者・行方不明者が198名に達したのである。当時、気象庁から津波警報が発表されたが、津波の来襲とほぼ同時であったこともあり、揺れの直後、取るものも取りあえず高台に避難した人だけが助かった。

平成16年12月26 日、スマトラ沖地震もさらなる大災害であった。この地域は過去において地震やこれに伴った津波被害の経験は持っていたが、M9という巨大地震とインド洋全体に被害をもたらせた大津波の記憶はなかった。スマトラ島北部沿岸には、強い地震動の後、10~20分で津波の第一波が来襲したと報告されている。西海岸には、津波遡上高さ30m以上、北部バンダアチェ市では、5~10mであったが、その破壊エネルギーはわれわれの想像を遙かに超えていた。10km以上の遡上範囲、幅1~2kmに渡る海岸線の消失、インドネシア国内で15万人以上の犠牲者、跡形も残さない住宅街の破壊。特に、人口26万人の内7万人が犠牲となったバンダアチェでの被害は最も深刻であった。

復興とは?

奥尻島での港に整備された人工地盤(津波避難にも活用できる)

災害からの復興には4つの段階がある。すまい:生活再建、つながり:自立と連携、まち:地域の形成、こころとからだ:被災体験、である。これらの復興のためには、時間をかけた計画と具体的な支援策が必要となる。奥尻島では、個人から地域、産業、活動に至るまでの復興が実施された。人工地盤(右写真参照)は、多目的施設として注目された。通常は、駐車場・網置き・集会場として地域に開放され、非常時には避難場所になる柔軟性に富む施設である。

復旧・復興の大きな原動力となったのが、全国から寄せられた義援金である。スマトラ沖地震・津波でも、各国やボランティアから莫大な義援金や寄附が寄せられているが、地域が自主的かつ自由に使える額は限られるという。ドナー国の思惑が絡み合う様は、奥尻のケースとは大きく異なるようだ。

バンダアチェでの復興

現在、インドネシア政府により今年4月に出された基本計画に基づき、復興事業が展開されている。国内外からの多大な支援はあると言っても、復興への道のりは遠い。被災から半年を過ぎたあたりから、海外からの援助は急激に減少したと言われている。住民の暮らしやさらには地域が復興するまでは、数年さらには数十年が必要であり、息の長い支援が不可欠である。

JICA(国際協力機構)を通じた、わが国から次のような緊急支援があることを紹介したい。まず一つには、復旧復興計画立案時の有効なツールとして、地理情報システムを活用したデータベースを構築したことである。地元のシャクハラ大学と協力しながら土地・地理状況、津波来襲・被害状況、など詳細なデータ・情報を電子地図上に落とし込んでいる。もう一つが、緊急対応である。バンダアチェ市内の上水供給/配水施設、公立孤児院2カ所の復旧、地震により機能停止したラジオ局舎・機材の復旧も行われた。7月には、災害・防災に関する定期的なラジオ番組の支援を行っている。ここでは、余震が続く中、住民が持つ不安や疑問に対して、専門家が適切な情報提供と相談にあたっている。

環境と調和した防災計画を

今後は、自然本来が持つ機能を利用しながら、地域の防災力を向上させる工夫が不可欠となろう。実にこれらは、わが国の先人も実施してきた災害対策事業に見いだすことができる。自然力を制御するのではなく、共存するという姿勢から生まれた対策は、現在においても有効である。特に、津波対策においては、沿岸各地を彩る防潮林が代表格として挙げられる。帯状の広大な砂防林は、先達の長年の苦労と努力によるものである。例えば、岩手県・陸前高田市の高田松原は、1667(寛文7)年に菅野杢之助が植林したが、時代が下がって 1896年の明治三陸津波と1933年の昭和三陸津波、2つの津波において浸水域の 低下や家屋被害の軽減に効果を発揮している。同様に、インドネシアやタイでは、マングローブの林が、背後地の被害を小さくしたことが報告されている。(了)

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