Ocean Newsletter
第124号(2005.10.05発行)
- 北海道奥尻町役場総務課主幹◆木村孝義
- (社)漁業情報サービスセンター専務理事◆吉崎 清
- 福岡調理師専門学校・伊東文化学園学園長◆伊東梛子(なぎこ)
- ニューズレター編集委員会編集代表者(東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授)◆山形俊男
客船から学ぶこと
福岡調理師専門学校・伊東文化学園学園長◆伊東梛子(なぎこ)いまから30年以上も前のこと、クイーンエリザベスIIと並び称され、地上でもっとも美しい容姿をもっていた豪華客船S/Sフランスで、世界最高の料理と出会った。
味、彩り、センス、気配り、すべてが素晴らしかったこの料理をさらに忘れがたいものにしているのは、なにより感動的なもてなしだった。
人生は食に始まり食で終わる。大切なのは、食に取り組む姿勢であり、"心"である。
私は海の上のレストランでそれを教えられた。
客船の時代
かつて大西洋航路の花形は客船であった。
しかし第二次大戦後は、航空機のめざましい発展に押されて、1958年には遂に航空機の乗客数が船客数を追い越した。以来、客船は衰退の一途をたどったが、間もなくレジャーとしてのクルーズが見なおされ、新しい客船時代が到来した。
私が初めて海外渡航をしたのは1964年、英国客船「オリアナ」(4万2千トン)の東洋への処女航海の時で、当時はレジャーの時代ではなくまだ一、二等の等級差があった。
今でこそ船旅は贅沢と言われるが、当時はお金持ちや役人、商社のエリートたちが颯爽と航空機に乗り込み、私のような金も地位もない人間は日数のかかる船を利用した。そんな時代だった。しかし私は日数かけても各地に寄港しながらの旅の方が面白いと思った。
ツーリストといえども乗ってみてビックリ。毎朝ウェイターが香り高い紅茶とビスケット、新聞を銀盆にのせて丁重に起こしにくる。船室にバスはなく公共施設を利用する。ズラリと並んだバスのドアをノックして返事がなければ中に入ってゆっくりと入浴し、終わればボーイが飛んできてバスタブをピカピカに掃除してくれる。非常に清潔。私は朝晩入浴した。
英国式朝食は贅沢と聞いてはいたが、銀器に氷を入れ、氷の上の銀器にグレープフルーツを入れて持ってくる。王者の食卓のように思われた。オムレツは好みでハムやマッシュルーム等何でも入れてくれる。時にはステーキも出た。昼食にはよくパスタを食べたがおいしさはバツグン。ディナーに至っては毎日が日本のホテルの結婚式のような豪華メニュー。ツーリストといえども料理とサービスは驚きの連続だった。
私は毎日配られるメニューを船室に持ち帰り、それを教科書として辞書と首っ引きで勉強した。客船は料理教師の私にとって何よりの勉強の場となった。船客たちは非常にフレンドリーで廊下で出会うと誰もが挨拶をする。ウエスタンマナーも自然に身につく。生涯の友にも会えるので、人生勉強の場となった。以来なるべく客船を利用することにした。そして今日に至るまで60余隻の船に乗った。
想い出のS/Sフランス

その中で最も印象に残ったのはS/Sフランス※(6万6,348トン)で、当時はQEIIとその美しい容姿を競い合っていた。この船の建造計画がフランス議会に提案された時、あまりにも膨大な予算のため議会はこぞって反対したが、時の大統領ド・ゴールが「フランス国家の栄光のため......」との鶴の一声で、議員全員が総起立して賛成に回った、とのエピソードがある。なかなかカッコいい話ではないか。
ニューヨーク・タイムズ紙の食味評論家クレイグ・レイボーン氏は、「舌が肥えていると自称し、長年料理記事を書いてきた私でさえ、実際にS/Sフランスに乗ってみて、これ程材料がよく吟味され、種類が豊富で、すぐれた料理の数々には驚嘆させられた。どの料理も出来栄えは見事。この地球上、海、陸、空のどこを探してもこれ以上の料理を堪能させてくれる所は他にはない」とまで激賞した。
私がこの栄光に輝くS/Sフランスのファーストクラスに乗船したのは1970年。一等船客の中にはビートルズのジョン・レノンとヨーコ・オノ夫妻も乗っていた。
一等食堂のシャンポール・ダイニングルームは、二つのフロアをブチ抜いて天井を高くし、客は上階かららせん階段を下りて席に着く。高い天井には夜の星空の様に無数のライトが瞬いていた。私はスピーク・イングリッシュのテーブルを予約したので、オールアメリカンの六人掛け。私が行くと男性は起立して迎える。隣席のシャルクロス君は、昼と夜の食時には私をキャビンに迎えに来てはエスコートをしてくれた。さすが陽気なアメリカ人たちもこの船では神妙で行儀よかった。
S/Sフランスの食事

メニューは超大型で、仏英両語で書かれている。前菜、スープ、卵料理、アントレ、野菜、麺、グリル、ロースト、冷肉の順にコースが展開、最後にサラダ各種。続いてデザートには各種フロマージュ。そして甘味にはショー(温)とフロア(冷)。さらにフルーツはフレッシュとスチューがいろいろ並ぶ。いよいよラストのベバレージのカフェはフランス式、アメリカ式、イタリー式の他に、マックスウェルやネスカフェ、カフェイン抜きも。紅茶も種類が豊富で支那茶も入れると全部で13種類。残念ながら日本茶はなかった。
私がフレッシュ・フォアグラのソテーを注文するとシャンペンまで運ばれた。新鮮な生牡蠣や、蛤は氷にのせて出す。レモンの絞り汁で食べた。キャビアがおいしいと言ったら、たっぷりお代りをしてくれた。昼と夜にワインがつくのもこの船のサービスで、他の船は皆別勘定。フランスの国土で育ったブドウから生産されたおいしいワインが料理の味を引き立てる。コンソメのチキンブロスは熱々をカップに入れる。スープを飲み終えるころブルゴーニュのブランを注いで回る。魚はドーバーソールを細く切り、くるくる巻いたのが2個、上にのせた赤い小えびと、黒いトリュフが彩りを添える。フィレ・ド・ブッフ(牛肉)はローストの焼き加減が程よくて、フォークでも切れる軟らかさ。ホースラディシュで食べた。少し渋みのあるボルドーのルージュで幸せいっぱい腹いっぱい。食道楽とはこのことか。味は勿論のこと色彩のセンスと気配りは、客船界のみでなく地球上のあらゆるレストランのトップを行くと思った。
フランスの食文化は、国土で生産される豊富な食材、歴代シェフたちが苦心して作りあげたソースの数々、食に対して強いこだわりを持つ国民性、そして何より大切な料理を重要な文化として位置づけてきた国家の姿勢、これによって国家も客船も世界最高レベルの食文化を有するに至った。
S/Sフランスに乗って本当に良かった。料理は勿論のことウェイターたちの"世界一のサービスをやったるゾ"との心意気には感動を覚え、生き甲斐さえも味わった。
研修クルーズ
人生は食に始まり食で終わる。大切なのは食に取り組む姿勢ではないか。何事も"心"が大切である。私は生徒を連れて毎年研修クルーズに出かけるが、食への勉強と共に、今の若者に欠けているマナーの特訓をしたいからである。マナーも形ではなく"心"である。他者への気配りと思いやり。勇気と優しさ。社会的責任が取れる。生徒にはクルーズでマナーの"心"を実感してもらいたい。往きの航空機では荷物を棚に上げている客を見ても知らん顔の生徒たちが、帰りの機内ではサッと立ってヘルプをする。生徒の成長が見えて何よりも嬉しい。(了)
※ S/Sフランス=フレンチラインの巨大高速客船。総トン数は6万6,348トン。大西洋を31ノット、5日間で横断するために1962年に建造。その後、改装され、「ノルウェー」と改名、総トン数は7万202トンとなり、1980年6月1日からカリブ海クルーズにデビューした。
第124号(2005.10.05発行)のその他の記事
- 恩恵の海が津波の脅威に-奥尻島は、いかにして災害から復興したか- 北海道奥尻町役場総務課主幹◆木村孝義
- 海の甲子園-熱き戦い、全国水産・海洋高等学校カッターレース大会- (社)漁業情報サービスセンター専務理事◆吉崎 清
- 客船から学ぶこと 福岡調理師専門学校・伊東文化学園学園長◆伊東梛子(なぎこ)
- 編集後記 ニューズレター編集代表(東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授)◆山形俊男