Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第117号(2005.06.20発行)

第117号(2005.06.20 発行)

侵食図九十九里浜「消えた砂浜」に想う

写真家◆小関与四郎

私がカメラを手にした頃には、今の九十九里浜の姿はまったく考えられなかった。まして砂浜やボッケ(砂丘)が海に消えてしまうことなど想像もできなかった。この50年、美しい砂浜、様々な風土、ここで生活してきた人々やその暮らし、すべてが失われる様を歯がゆい思いで撮ってきたが、今は記録保存しつづけることにも大きな意味があると信じて撮影しつづけている。

九十九里を撮りつづけた理由

九十九里との関わりは何かと、最近よくそんな質問を受けるが、振り返ってみても「これだ」と人様に語れるような特別な思い出もない。私の写真は何も九十九里浜だけではないし、当然、房総の姿や成田の空港記録や闘争の作もある。しかし何と言っても、子供の頃から慣れ親しんだ九十九里浜との結び付きは一番深いし古い。そして、今も浜の姿を追っているのは事実なのだが、とりたてて大きな理由があって浜を撮りはじめたわけではなかった。

いまから50年前、母親を泣き落として、欲しかった中古のカメラを手に入れてから、一番身近だった浜人にレンズを向けた。そうして、まったく自然の成り行きで、私と浜の永い付き合いが始まった。浜の生活図や風景は写真家を目指す私にとっては格好の被写体であった。それらの景色は当たり前のようにそこにあったのだ。そして私は最近までは自己満足のために撮りつづけ、いつの日かこの数々の写真が世に出ることを夢見ながら田舎で細々撮っていたに過ぎない。

しかし、時が経ち、様々な人たちとの出会いを通じ、これまでは自分の視点として気づかなかったことや、見えなかった被写体が見えてきた。これは何とも不思議なことだ。

消えてしまった美しい砂浜

うち寄せる侵食波(平成4年・栢田浜)

私がカメラを手にした頃には、現在の侵食図などはまったく考えられることではなかった。ましてや砂浜やボッケ(砂丘)が海の中に消えてしまうとなど想像もできないことだった。ただ深く記憶に残っているのは、小さな子供の頃に、夏日の砂浜が熱くて広くて歩ききれずに泣いたことや、悪童に育った少年時代に熱い砂を手足ではらい除けて一気に波打ち際を目指して走り海に飛び込んだ......。そんな日々の光景である。しかし、現在の九十九里の侵食図は処によっては砂浜を完全に失い、次はボッケまでも食われてしまい、浜に生息している植物や小動物などはその影響を受け年々減少の一途である。例えばハマボウフウやハマヒルガオ、それに小さな生き物だって砂地が消されれば当然これらの生命が断たれる結果は言うまでもない。かつて私が撮影したハマヒルガオの群生地も、いまは波の下となり、今年見廻ったらその名残のように二、三の花が淋し気に咲いていた。海鳥のヒナもそうだ。何十個とあった砂地の巣も今年はほとんどなかった。

かつて見渡す限りの広い砂浜が延々と60キロ余りもつづき、単調で変化の少ない同じような浜風景だった九十九里浜の海岸線には、いまやコンクリートの護岸や高く積み上げられた波消ブロック、波を串刺にするかのように設置された何本ものヘッドランド※に取って代わった。汀に立って左右を見渡せば一望できたはずの眺めも、それらによって完全に遮断されてしまった。そんな浜地域が現在の九十九里浜では三分の二近くを占め、昔ながらの「白砂青松」はもはや死語同然だ。

道路が崩れ、コンクリートが横たわる(平成5年・一松海岸)

伝えたい、浜の悲鳴

いま、この瞬間にも九十九里浜は侵食で食い荒らされている。「この有様をどう見るか!」と、今頃になっていくら田舎写真屋が口泡飛ばし力説しても「無位無冠者が何を言うか」と一笑に付されてそれでおしまいだ。しかし、「ゴマメの歯軋り」という言葉もある。私も怯まず諦めず行動しているが、そんな私でも時には海岸の工事方法などを見て、よくも同じような形式の工事を、同じ場所に何度もくり返して莫大な工事費を注ぎ込むものだと呆れることも多い。だが、そうは言っても、捨て置いたら浜は侵食の一途を辿るだけだ。それが素人目にも映るだけに何とか良い工事方法はないものかと複雑な気持ちにもなる。それにしても五億だ十億だという費用をかけた工事が完全に波に消されてしまったところもあるのだ。

もちろんこんなことは九十九里浜だけに限ったわけではないだろう。しかし私が精一杯頑張ってみたところで侵食を食い止めることができず、歯痒い思いをしているように、「力がなくては駄目だ」と思い知らされた人々は日本中に数限りなくいたはずだ。

先ごろ出版された著者の写真集「消えた砂浜 九十九里浜五十年の変遷」(日経BP出版センター)

こんな思いを九十九里浜の海岸侵食に重ね合わせ、私は攻め寄せる波涛や風景をいまも撮影しつづけている。指折り数えると、浜を撮りつづけてはや50余年の歳月が過ぎた。記録保存しつづけることの意味を最近は特に意識している。

様々な風土やここで生活してきた人々やその暮らし、美しい砂浜。すべてが失われ、いまとなってはそれらを写真の中に見つけることしかできない。しかし、写真を見てくださった人に、九十九里浜の悲鳴が聞こえてくれれば幸いだ。

これからこの浜はどう変わるのか? 不安と危機感を覚えながらも、私は相変わらず今日は此処だ、明日はあそこと、大型カメラと小型カメラを肩や背に、この九十九里浜を黙々と歩き廻っている。(了)

※ ヘッドランド=岬と岬に挟まれた小さな砂浜が長年にわたって安定していることによりヒントを得た工法で、いくつかの人工的な岬(ヘッドランド)をつくることにより安定した砂浜を維持していく工法(静岡県土木部HPより)

「九十九里浜 50年の軌跡」と題した小関与四郎氏の写真展が開催されます。場所は船の科学館(東京・品川)羊蹄丸アドミラルホールにて、期間は6月18日(土)~7月10日(日)。入場料は無料。

第117号(2005.06.20発行)のその他の記事

ページトップ