Ocean Newsletter
第112号(2005.04.05発行)
- 東京大学大学院工学系研究科環境海洋工学専攻助教授◆早稲田卓爾
- 東北大学名誉教授◆鳥羽良明
- 九州大学名誉教授◆光易(みつやす)恒
- ニューズレター編集委員会編集代表者(東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻教授)◆山形俊男
巨大波浪は存在する
東京大学大学院工学系研究科環境海洋工学専攻助教授◆早稲田卓爾外洋に突如として現れる波高20メートルを越える巨大波浪は、もはや船乗りの伝説ではない。
その存在が科学的に確かなものとなりつつある今日、科学者、工学者、造船会社、船級協会、船主、保険会社は何をすべきか。
科学者、工学者の立場から、巨大波浪の予測、観測、対策の必要性を提言する。
巨大波浪はなぜFreak Waveと呼ばれるか
外洋に突然現れる巨大波浪の研究が盛んである。欧州におけるMaxWaveプロジェクト※1では4年間で衛星観測、発生機構解明、船体応答など様々な研究が行われた。英国造船学会でも、数年に一度異常海象時の運航に関する研究集会を開催し、今年3回目を迎えた※2。そのような研究集会で頻繁に紹介される日本画がある。齢70を越えた晩年の葛飾北斎が描いたといわれる、富嶽三十六景、「神奈川沖浪裏」(写真1)だ。日本人ならずとも、誰しも一度は目にしたことがあるこの絵には、今にも小船をのみこまんとする大波が描かれている。砕け、幾本もの白い食指が突き出す波頭は、おどろおどろしく現実のものとはにわかに信じがたい。荒波にもまれた船乗りの心理を巧みに表現した北斎の画才に敬服はするものの、所詮はファンタジーだ、と私は思っていた。

船員たちは、何十年も昔から、外洋に突然現れる巨大波浪の存在を知っていた。その描写は様々であるが、あるときは晴天の穏やかな海で、またあるときは荒天時に、普通ではありえない大きさで現れ、船を襲った。そのような波を船員たちはFreak Wave(気まぐれ波)もしくはRogue Wave(はぐれ波)と呼んだ。しかし、船員たちの報告する巨大波浪は、統計的にまれであるという理由で長年軽視されてきた。波浪の統計分布(レイリー分布)に従えば、船員らの報告する巨大波浪は、1万年に一度あるかどうかということになる。あり得ないのだから、わざわざ対策を講ずることはない、ということであろうか。それは、かつて医者が、何百万人に1人が患う病気を奇病と呼び、助けの手を差し伸べることがなかったことに似ている。
巨大波浪の実態

巨大波浪の発生は、強い海流の近傍(南アフリカAgulhas海流、野島崎沖黒潮続流など)や、突発的な強風の吹いた後などと関連があるといわれ、船員による報告記録、写真も存在する(写真2)。その巨大波浪との遭遇が原因と思われる大型貨物船の沈没事故は、過去40年ほどで数十件報告されており、死者は500名を越える。昭和55年、野島崎沖における尾道丸の事故も、波高20mを越える巨大波浪との遭遇に起因するといわれている。そして、1995年1月1日、北海油田で波高26mの巨大波浪が実測され、いよいよその存在が確かなものとなってきた。その後、MaxWaveプロジェクトにおける衛星合成開口レーダーの観測により、数々の巨大波浪が存在することが宇宙からも確認されている。
これらの観測事実を総合すると、巨大波浪には二種類あることがわかってきた。波頂が水平に長く、波形を保ったまま遠くから伝播する二次元的な巨大波浪(写真2)、それから、波頂は短く三次元的に尖っていて、突然現れ、分散し消えていくものである。前者は波列の不安定による波浪の振幅の変調、そして、後者は外乱(海流、突風など)による波エネルギーの線形集中というメカニズムによると思われる。波浪の不安定を考慮に入れると、レイリー分布が修正され、巨大波浪の発生頻度がより現実に近づくこともわかってきた。また、海象・気象情報が、衛星観測・数値予報などにより格段に向上したこともあって、海流や突風と巨大波浪生成の関連についても理解が深まり、たとえば台風の眼の壁との関連も指摘されている。
予測、観測、回避
このように巨大波浪が実在するということが確かなものとなりつつある今、巨大波浪の予測は急務である。何が必要か。たとえば、これまでにわかってきた巨大波浪の発生要因、海流・風・波浪の相互干渉を高解像度で予測することである。近年海流の予測が実現化した。現在、海洋研究開発機構のJCOPE※3では、日々およそ10kmの解像度で日本近海の海流予測を行っている。しかし、波長数百メートルといわれる巨大波浪の海流によるエネルギー収斂を精度良く見積もるためには、1km程度まで解像度を上げる必要があろう。同時に、海流を駆動し、また波浪を生成する大気の動きも高解像度で予測する必要がある。観測はどうであろう。事前に危険を察知するためには、新たな衛星・船舶・航空レーダー観測網、係留・漂流ブイによる現場観測、およびIT技術を駆使した警報システムを構築する必要がある。海流予測モデルと併せれば、安全な船舶航路の確保にもつながるだろう。そして、最悪の事態に備えるため、想定される巨大波浪が海洋構造物に与える衝撃を、理論、水槽実験、数値モデルによって推定し、安全性の高い設計技術を開発する必要がある。もはや存在すると認めざるを得ない巨大波浪に耐えうる船体や海洋構造物の強度は、現在の設計基準で十分か、より詳細な検証が求められている。
巨大波浪はFreakではない

最近、実験水槽で巨大波浪の再現に取り掛かっている。まだ試行錯誤の段階だが、それでも時々驚くような発見がある。写真3は、波浪のエネルギーを集中させて生成した砕波である。砕けた波は、横方向に幾つも分離し、突き出る食指はまるで北斎の描く巨大波浪のようではないか。こんなものに出くわし、自然の奥深さ、自分の無知を知り、改めて思う。巨大波浪は存在するのである。今後、貨物船の事故にとどまらず、巨大化する客船が事故に遭遇する危険性は高まる一方である。英国海事航空運輸労組のA.Graveson氏が、船員としての立場から言うように※4、科学者、工学者は、集積した知見をもとに、一般の人々そして行政に対して、巨大波浪に対する解決策が今求められていて、なおかつ解決可能だということを説得しなければならない。そして、造船会社、船級協会、船主、保険会社は、船体設計における安全基準および建造技術の見直しも含めた、起こりうる事故を防ぐための行動、すなわち船舶と人命を救うための行動を今すぐとるべきであろう。(了)
●写真2はW. Buckley氏の好意により本稿に掲載する許可を得た。また、本稿執筆に際して、同氏の助言は有益であった。ここに謝辞を述べたい。
※1 MaxWave, the Fifth Framework Programme of the European Commission http://w3g.gkss.de/projects/maxwave/
※2 Design and Operations for Abnormal Conditions III, January 2005, London, The Royal Institution of Naval Architects
※3 日本沿海予測実験計画 http://www.jamstec.go.jp/frcgc/jcope/index.html
ニューズレター第93号「海の『天気予報』の実用化に向けて」山形俊男参照
※4 "Abnormal Waves-'An Abnormal Solution'" by A. Graveson、Design and Operations for Abnormal Conditions III, January 2005, London, The Royal Institution of Naval Architects
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