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オーシャンニューズレター

第108号(2005.02.05発行)

第108号(2005.02.05 発行)

干潟再生による人づくり街づくり

東邦大学理学部生物学科教授◆風呂田利夫

東京湾では人為的影響により今なお生態系としての機能低下、生物多様性の減少が続いている。
このような東京湾において、干潟には多くの生物が生息し豊かな生態系が維持されている。
人工干潟造成による環境修復では、非予測的な変化を覚悟し、環境改善に向けた長期的かつ臨機応変な取り組みが求められる。
人工的な干潟再生において最も重要な課題は、再生事業のなかでの人材育成システムの構築である。

弱体化する東京湾の生態系と人為的影響

温暖化やオゾン層破壊など地球規模での環境問題にみられるように、人間活動の拡大は、生態系の基盤である地系、水系、大気系にわたる生命圏の環境を大きく変えつつある。人間を含むあらゆる生物は、生態系での物質循環のなかでその活動が保証されている。人間が食べたものは分解されて排出される。排出物は生物によるさらなる分解を受け、無機栄養物として生態系の原点に戻り、それが植物の生産から始まる食物連鎖をとおして動物体として再生される。呼吸により排出された炭酸ガスは植物により酸素に還元されることで、動物の呼吸が保証される。したがって人間活動の活発化による排出物の増加は、結果として生態系のもつ排出物の還元機能のさらなる向上を必要とする。しかしながら都市のような人間活動に関わる人工系空間の増加は、基本的には自然系空間の消失のもとで成立しており、人間活動の増加は自然系機能の弱体化を前提として成り立っている。このパラドックスからの脱却が現代社会につきつけられている課題である。

東京湾の環境悪化はこのパラドックスの縮図である。産業と人が集まり、活動が盛んになるほど開発や排水をとおして湾に対する人為的ストレスが高まり、その結果東京湾の生態系を弱体化させた。湾の面積は20世紀後半だけで20%も減少し、特に干潟は90%以上が消失した。今の湾には、大都市という巨大な人工系から流入する大量の物質を生態系として有効に活用できる力は残っていない。あり余る無機栄養塩類の存在のもとで増えた植物プランクトンは、海底の有機物量を食物連鎖では利用不可能なほど増加させ、結果として海水が停滞しやすい夏季には、その腐敗的分解により底層水の無酸素化を生じさせている。そして無酸素水は青潮として海岸生物を襲う。夏の無酸素化により死亡する底生動物は小型動物だけでも1万トンを越えると推定され、湾奥最大の漁場である三番瀬では青潮で3万トンのアサリが死亡したこともある。これらに魚類やカニなどの大型生物や、人工護岸の付着生物などを入れると湾全体での生物死亡は5万トンを優に越すと想像される。現在の東京湾漁業の漁獲量が年間約2万トンであり、その数倍の生物が毎年の酸欠で死亡し、海の汚濁物として大量投棄され、東京湾生態系のさらなる劣化をもたらしている。

東京湾干潟生物の絶滅

人間活動により地上から多くの生物種が絶滅し、また絶滅しつつある。東京湾についても例外ではない。アオギスが東京湾から消失したのは干潟の大規模埋め立てが始まった1960年頃とされている。埋め立てがほぼ終了した1980年以降でも東京湾生物種の絶滅は止まらない。なじみの深いハマグリは、21世紀に入ってから見つかっていない。最も良好な干潟環境を持っている小櫃川(おびつがわ)河口干潟においても、巻貝のヘナタリ、二枚貝のハナグモリやオキシジミは1990年代に絶滅した可能性が高い。このほかにも数多くの干潟生物種が東京湾から絶滅あるいは絶滅しつつある(表1参照)。

■表1 東京湾干潟生物の絶滅と衰退
東京湾干潟生物の絶滅と衰退

人工干潟の社会的活用

東京湾では、環境が悪化すればするほど環境保全面での干潟の存在がより重要になる。干潟は遠浅で広大な表面積を持っているため酸素生産の場であり、多くの生物が安定的に生息でき、生物の活動により高い水質浄化機能を有し優れた漁場となる。現在、国または地方自治体において干潟環境の再生に関する議論が盛んで、一部では人工干潟の造成も実施されている(写真参照)。しかし、人工干潟の造成については、干潟地形や生態系の再生での効果を疑問視する声も多い。その背景には、安定的に干潟を維持できる水理・地理的条件を満たしていないところでの無理な造成、ならびに明確な生態系修復目標を示さなかったことに原因がある。しかし反面、造成後も干潟が安定して維持されている所もある。

例えば湾奥の三番瀬においては、現状の干潟部の多くは人工海浜や人工潮干狩り場造成により出現したものである。また、三番瀬に隣接する行徳(ぎょうとく)野鳥保護区内の干潟は浚渫工事土砂の流出により形成され、江戸川放水路の両岸にある干潟は水路の開削により出現したものである。またラムサール条約登録湿地である谷津(やつ)干潟は、厚さ数 10 cm にわたる人為的覆土を経験している。これらの干潟では、オキシジミやハナグモリ、カワアイなど東京湾では絶滅の危機にある干潟生物が生き残っている。干潟は造り方次第で、環境修復としての効果を有している。

東京都葛西臨海公園人工干潟
東京都葛西臨海公園人工干潟

しかし干潟の再生は決して期待どおりには行かないだろう。予想外の地形変化、思いもかけない生物の出現あるいは消失、これら不測の事態は事前に覚悟すべきで、臨機応変に対応しなければならない。修復には環境や生物に関する科学的モニタリングはもちろんのこと、環境改善のための人海戦術も必要である。そのためにも、造成後の順応的管理体制が不可欠である。しかしこの対応こそ、干潟や東京湾の自然について体験的に学習できる絶好の機会である。そしてその学習体験を持つ人たちの育成が、行政、教育、生活、産業の分野を問わず、自然としての東京湾と関係を持った首都圏の社会作りに必要である。干潟再生事業を、環境修復に対する社会的な智恵と人的財産づくり、そしてその財産に基づく東京湾と関係を持った街づくりの環境整備と捉える必要がある。行政、産業、教育研究機関、そして地域住民が協働で干潟再生事業に取り組むための環境整備戦略の構築こそ、干潟再生事業の最重点課題である。(了)

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