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オーシャンニューズレター

第100号(2004.10.05発行)

第100号(2004.10.05 発行)

たらい舟漁と総合学習
~先人の知恵に学び、地域を考える子どもに~

佐渡市立深浦小学校教頭◆栗岡秀明

アニメ「千と千尋の神隠し」にも登場した「たらい舟」。現在、国内でたらい舟を使った漁を営んでいる地域はごく限られており、佐渡島内では最南端、小木岬だけに伝えられる。地震により隆起した狭い入り江を漁場とした先人の知恵から生まれたこの漁だが、高齢化とともに消え去りつつある。島の未来を担う子どもにどう伝えていけばよいのだろうか。

放置され朽ち果てた、たらい舟の写真から

職人の減少により、現在のたらい舟は木にFRP加工を施しているため重くなり放置されることが多くなった。内側は木のために腐食が始まる。

「先生。うちではおじいちゃんやおばあちゃんしか、たらい舟には乗ってないよ」
「それじゃあ、たらい舟漁は、これからどうなっちゃうのさ?」
「大切なものだから消えるわけがないよ!」
「えぇ~? でもさ、若い人たちが受け継がなくて、壊れても修理する人がいないのなら、なくなっちゃうんじゃない?」
「これから15年くらいは、大丈夫だと思うよ......」

私が、勤務している深浦小学校は、佐渡島の南端、小木岬に位置する児童数45名の学校である。複式学級である3・4年生は、現在、総合的な学習の時間にたらい舟漁に関する学習に取り組んでいる。冒頭の会話は、9月に進められたその授業中の一こまである。

限られた地域でのみ受け継がれてきた地域固有の生活文化であるたらい舟

たらい舟をつかった漁の様子

佐渡から思い浮かぶことを2つ挙げてほしいと言われたら何が浮かぶだろうか。第一に朱鷺、そして次に浮かぶものといったら、「佐渡金山」あるいは「たらい舟」であろう。たらい舟とは、宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」にも登場した。千尋を乗せて油屋を脱するのに漕いでいた丸形の舟のことである。

直江津港(上越市)をカーフェリーに乗船して2時間半、小木港ターミナルに到着してから徒歩3分のところに観光用のたらい舟乗り場がある。おけさ娘の衣装を身にまとった女性が漕ぐ舟を湾の中で体験をすることができる。誰でもテレビ番組で見たことはあるだろう。一本の櫓を使って8の字を描くようにして器用に漕ぐ。漕いで進むにはかなりの技が必要である。佐渡に一度でも来たことがある人なら挑戦してみようと思ったことがあるのではないだろうか。

このたらい舟は、もともと漁をするために利用されてきた。それもごく限られた地域だけで。佐渡では、海岸近くの磯で行う漁のことを磯ネギ漁といい、漁で使うたらい舟のことを「ハンギリ」と呼ぶ。陸で使う飼い葉桶を「混ぜハンギリ」(三尺物の高さを半分にして活用したことに由来)と呼び、漁で使うものとは区別をしている。

たらい舟は、小木町(佐渡市小木地区)固有の生活文化である。考案されたのは明治の初期頃で、改良を重ねて現在の楕円形になった。島内でも小木しか見られない。さらに小木でも実際に漁で使われている地域は、島の最南端、当校の校区にあたる沢崎鼻周辺(犬神平から田野浦まで)の地区に限られる。驚いたことにわずか数キロ離れた木流地区では、見かけることはできないのである。

子どもに尋ねてみたところ、約9割の家庭にたらい舟があり、現役として使用されている。夏場はサザエやアワビなどの貝類の他、エゴ草・テングサ・モズク採りに、冬場はアワビ、ナマコ、タコ、岩海苔漁に活躍している。

現在、国内でたらい舟を使った漁を営んでいる地域は、他に茨城県大洗町(海藻採り)、兵庫県中町(ジュンサイ採り)、佐賀県千代田町(ヒシノミ採り)、鹿児島県内浦町(ボラ漁)がある。過去には、富山県朝日町や能登半島でも使用していたという。しかし、生業として年間を通じ使用しているのは、この深浦地域だけであるらしい(ダグラス・ブルックス著「佐渡のたらい舟―職人の技法 」鼓童叢書1 より)。

限られた地域でのみ受け継がれてきた地域固有の生活文化であるたらい舟

起源をたどると1803年というから、今からちょうど200年ほど前。この地域の海岸は、地震により1m以上隆起した。そのため、海食台が海面にあらわれ、広い岩礁のある海岸が生まれた。今では、南仙峡といって、国定公園の重要な景勝地である。岩礁が割れてできた入り江は、狭くしかも岩が見え隠れし、磯舟の出入りに不便である。しかし、そこは海藻が豊富で波が穏やかなため、魚が集まってくる絶好の漁場でもあった。冬場の入り江は、波が穏やかなため魚貝が集まり、海藻もなくなるため、海底までよく見え、漁には適している。そこで、昔の人の知恵から生まれたのがこのたらい舟漁である。

丸形のたらいを海に浮かべ磯舟として利用すれば狭い磯海でも小回りが利く。風さえなければ安定感があり、多少波があっても漁ができ、しかも丈夫である。地形の弱みを強みとして変え、活躍してきたのがこのたらい舟なのである。

高齢化とともに消え去りつつある地域の文化をいかに伝承するか

さて、すでに書いたが、ほとんどの家庭で、たらい舟は漁業の際に現役として使用されている。しかし、時代の流れとともに、たらい舟を操って漁をすることのできる人が減っていくであろう。子どもに尋ねても、たらい舟を利用しているのは、祖父母の世代だけである。たらい舟を漕ぐことだけならば可能であるが、漁をするとなると、その技を習得している若い世代は多くはない。

総合的な学習では、学びの場を教室から地域社会に広げていく。地域の人々の生活や社会・文化・環境等にふれながら、体験を通して学び考え、子ども自身の見方や考え方を鍛えていく。たらい舟を取り上げたからといって、たらい舟に関する知識を学んだり、その漕ぎ方を習得したりすることがゴールではない。たらい舟漁がこの地域で長年にわたって受け継がれてきたすぐれた文化であること。その文化を消滅の危機にさらしてはならないこと。これからもたらい舟漁に象徴される豊かな海や海から受ける恵み・文化を守っていく人間の営みが重要なこと。そしてそれは自分たちの責任でもあること......。このような思いに至り、自分ができることは何かを問い続ける子どもを育てることが、この学習の到達点である。そのため全職員で学習のあり方を検討する日が続くであろう。

冒頭の授業で「なくなっちゃうんじゃない?」と発言した子どもの言葉には、続きがある。
「僕たちが継がない限りね!」
「けれど、僕たちが跡を継ごうと思っても、その間に継いでくれる人がいないと困るけど......」
この学習活動は、まだ始まったばかりである。(了)

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