Ocean Newsletter

オーシャンニュースレター

第338号(2014.09.05発行)

第338号(2014.09.05 発行)

海を隔てるビロウ自生地と古代太陽信仰

[KEYWORDS]ビロウ/古代太陽信仰/離島活性化
元福岡市立小呂小中学校教諭◆山口哲也

日本創世神話である「国生み神話」に登場し、イザナギとイザナミが矛を海に突き刺しかき回してつくった最初の島とされる淤能碁呂(おのごろ)島は架空の島ではないかともいわれているが、玄界灘の小呂島のことである可能性が高いと私は考えている。
古代最も神聖とされた植物であるビロウが小呂島の神社に存在するのは、周辺調査の結果、偶然ではないと感じている。

古代ロマンのあふれる小呂島

私は、昨年度まで玄界灘の小呂島(おろのしま)という人口わずか200名という離島に小中学校教員として勤務していた。
小呂島は福岡市にありながらその知名度はあまりにも低い。産業は漁業のみであり、特にこれといった観光資源もない。したがって民宿すらなく、訪れる人と言えば、魚釣り客か野鳥の専門家ぐらいだ。島の人口構成は老人の割合が多くなり、現在小中学生はあわせて10人に満たない。このままでは、限界集落に陥る可能性も否定できない離島だ。
しかし、私はこの島に大きな可能性が眠っていることに気がついた。もしかしたら小呂島は日本創世神話にかかわっているかもしれないと考えている。日本創世神話である「国生み神話」は古事記、日本書紀とも巻頭を飾る一大トピックスだ。ここにイザナギとイザナミが矛を海に突き刺しかき回してつくった最初の島とされる淤能碁呂(おのごろ)島(日本書紀では序ォ馭慮(おのごろ)島)が登場する。この淤能碁呂島は架空の島ではないかともいわれているが、これは小呂島のことである可能性が高いと私は考えている。奇しくも小呂島の近世までの古名は「於呂島(おろのしま)」である。また、国生み神話で生まれたとされる壱岐・対馬が近く、他に生まれた大島・姫島(神話では女(ひめ)島)などと同名の島も近い。国生み神話の舞台は玄界灘だった可能性があるのだ。

ビロウの自生地と太陽運行方位

■足摺岬のビロウ(撮影:上田晃史氏 ブログ『あきしの風~波多之国めぐり』より)

■沖ノ島ビロウ(撮影者:福岡県保健環境研究所環境生物課長 須田隆一氏)

上記のように考えるようになったきっかけは、夏休みの理科研究で小呂島の小学生と島の絶滅危惧植物を調べたことにある。福岡県のレッドデータブックを調べていて、小呂島に存在しないとされる絶滅危惧植物が実際はいくつかあるのに気がついた。その一つが、ビロウという植物だ。
ビロウはヤシ科の植物で、古来から天皇制との関わりが深く、アジマサやホキなどとよばれた。その葉は古代の天皇・皇后・皇子・公卿が使う牛車の屋根材として使われていた。民俗学者の折口信夫によるとビロウは扇の原型であり、風に関する呪具であったそうだ。現在でも南西諸島においてはビロウに対する信仰は受け継がれている。沖縄の御嶽(うたき)という神聖な場所にはビロウが繁殖しており、神が降りる木としてあがめられている。
古代に最も神聖とされた植物が小呂島の神社に存在するのは、ただ事ではないと感じられた。小呂島の隣の沖ノ島は、ビロウの最北端自生地であると同時に、海の正倉院ともいわれ、10万点もの古代の宝物が発見された名実ともに神の島だからだ。そこで、他のビロウ自生地も探してみると、長崎県平戸口野田熊野神社と大分県竹野浦が見つかった。両方とも県の天然記念物だ。この2カ所の位置関係が小呂島にとって、信じられない位置にあることがわかった。ビロウが植っている小呂島の神社は、長崎県平戸方位に向いており、もう一方の大分県竹野浦は小呂島から冬至の日の出方位だったのだ。
偶然かと思いながら、九州島周辺のビロウ自生地の位置関係も丹念に調べてみると、37カ所中36カ所がおたがいに夏至や冬至、春分(秋分)の日の出・日没方位で関係づけることができる分布になっていることがわかった。これは、太陽信仰をもつ古代人が祭祀目的でビロウを移植したと考えるのが、一番筋が通っている。


■ビロウ自生地と太陽運行方位との関連性

古代人の移動と太陽運行方位

上記のような事実から、古代においてビロウを移植するために、太陽運行の方位に向かって、海や山を越え直進できる技術があったのではないだろうかと考えてみた。
私は、この課題について小呂島の小中学校の生徒と、ある実験を試みた。使ったのは、磁化した鉄針を水に浮かせたものと銅鏡(の模様)である。つまり、銅鏡は方位磁針と組み合わせて使う方位盤として用いていたのではないかという想定のもと、実際にこれをつかって森の中を直進してみたのだ。この結果、2回の実験で約1km進んで誤差1°と誤差6°の結果がでた。この結果は、日本測量協会から、古代の測量方法の可能性として一定の評価をいただき、協会の機関誌に掲載していただいた※1。
では、海を隔てた長距離において、このような直進は可能であろうか?
もしも、おたがいが視認できる位置関係にあるならば、海を越えてたどり着くことができるだろう。小呂島に住んでいてわかったが、空気が澄んでいるときであれば200km先の山がみえることもある。当然、標高が低い部分は水平線の下だが、数百mの標高があれば、頂上は見えるのだ。理論上、標高150mの島の頂上は、46km先から確認することができるという。海ではこの理論値がそのまま活きてくる。
一例をあげると、四国最南端のビロウ自生地である足摺岬から、夏至の日没方位に直進すると、豊後水道のビロウ自生地である高島に到達する。さらに、そのまま夏至の日没方位に直進すると、ビロウの最北端自生地である沖ノ島に到達する。この直線上を古代人がたどったと想定してみると、常に夏至日没方位に視認できる山や島があることになり、足摺岬から沖ノ島までとぎれることなく目標地点が確認できることとなる。もしも古代人が方位磁針をつくれたとするなら、足摺岬から遠く海を隔てた沖ノ島まで、直進して到達することは理論上可能なのだ。

離島研究の可能性

日本の古代に、方位を計測しながら直進する技術があったのか、またはそのような信仰があったのかは定かではない。しかし、ビロウの遺伝子検査を行えば、もしかしたら移植の痕跡を見出すことができるかもしれない。ぜひ専門家のご助力をいただきたい。
このように離島には、まだまだ解明されていない謎が多く、研究の余地が残っている。特に古代遺構、未調査・未発掘の島も多いと聞く。離島活性化の視点からも、このような謎に教育委員会や研究機関、学校と児童生徒が挑戦してみるのも、離島という地域への貢献の仕方の一つであろうと考える。(了)

※1 THE JOURNAL OF SURVEY 測量 2014.3 p32~33

第338号(2014.09.05発行)のその他の記事

ページトップ