Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第7号(2000.11.20発行)

第7号(2000.11.20 発行)

国際海洋法の新しい思想

横浜市立大学教授(国際海洋法)◆布施 勉

わが国で、海洋の総合管理を実現するための基本的海洋政策を立案することができないのは、「人類の共同財産」原則という国際海洋法の新しい思想を正しく理解するための理論的研究を怠ったがためだ。

「人類の共同財産」原則とオーシャン・ガバナンス

本ニューズレターは、わが国では「海洋をより賢く、より有効に活用するための社会科学的取り組みがいまだ十分とは言えず、かつ自然科学と社会科学との対話と交流、相互刺激と相互発展はほとんどなされていない」という厳しい現状認識に立って、このような現状を乗り越え、わが国の21世紀に向けての新しい海洋研究に資することを目的にして発刊されている。

それでは、なぜわが国では社会科学的取り組みが十分なされておらず、海を巡る自然科学と社会科学との協力関係がほとんど実現していないのであろうか。もう少し専門的に言えば、海洋問題に関する法的枠組を定めた「国際海洋法条約」と政策的枠組を合意した「アジェンダ21」の第17章が義務として求めている海洋の総合管理(オーシャン・ガバナンスと呼ばれている)を実現するための基本的海洋政策を、なぜわが国では総力をあげて立案することができないのであろうか。

筆者が企画評議会議長を務めている国際海洋法学会(IOI)は、国際連合の諸機関と協力してさまざまなグローバルな海洋政策の立案に関わってきた。IOIは、そのミッション・ステートメントの中で、「......人類の共同財産原則に従って、海洋スペースとその資源の平和的利用、それらの管理と利用、ならびに海洋環境の保護と保全を図るため、教育、訓練および研究を推進する......」と定め、その行動の基準を明確にしている(Thefuture of the oceans,IOI)。そもそもIOIは、アービド・パルドー(※1)が提案した「海洋は人類のものだ」とするあの画期的な「人類の共同財産」概念の理論化を進め、国連海洋法条約の中核的法原則として位置づけるための運動体として、1972年にエリザベス・マン・ボルゲーゼ(※2)によって設立されたものであった。そして、1982年に採択された国連海洋法条約において、人間の歴史の中ではじめて法主体としての「人類」が登場することになる。その結果、海洋に対して国家が持つものは基本的には「権利」ではなく、人類に対する「義務」であるということに変わった。この点こそが、この条約が革命的であると言われる所以である。つまり、このような創造的な思想の存在を全面的に肯定することによって初めて、あの膨大な国連海洋法条約を読みとおすことができるのである。

わが国にはオーシャン・ガバナンスのための基本政策がいまだ存在せず、この問題に関する取り組みが進んでいないのは、実は「人類の共同財産」原則という国際海洋法の新しい思想を正しく理解するための理論的研究を怠ったがために、この条約を統一的に読むことができなくなってしまったというわが国の特異な事情がある。筆者を含め海洋法研究者の責任は、まさに厳しく問われなければならない。

排他的経済水域の管理義務・・・人類社会に対する国家の責任

排他的経済水域について考えてみよう。わが国は、1996年に国連海洋法条約を批准すると同時に200海里の排他的経済水域を設定したが、領域の拡大といった感覚でしか捉えておらず、この水域の総合管理体制を構築する義務をまったく怠っている。排他的経済水域とは、国連海洋法条約によって新しく創設された制度で、領海と公海の間に設けられた「中間水域」と言った単純なものではない。排他的経済水域に対する沿岸国の権利は「主権的権利」と呼ばれているが、この権利の本質については「排他的管轄権」と同義であると言う国際的合意が既に成立している。そもそも「主権」とは、例えば民法学的に言えば物権的な概念で、「所有権」のイメージに近いが、それに対して「管轄権」は、債権的概念を持つものにすぎない。つまり、排他的経済水域に対する沿岸国の権利が主権的権利であると言う意味は、この水域が沿岸国の領域ではなく、沿岸国が持つ権利は、その水域に存在する天然資源を探査、開発、保存および管理することを目的とする管轄権であるというにすぎない(国連海洋法条約第56条)。ただし、この管轄権は、他国が同様な管轄権を主張する場合には、それに優先すると言う意味で「排他的」なものとされているのである。

それではなぜ「主権的」と言うのか。いずれの国も排他的経済水域において「航行の自由」等の権利の行使が保障されているが、しかしこれらの権利と沿岸国の管轄権がぶつかった場合、どちらが優先するのかと言う問題が生じてくる。第三次国連海洋法会議においても、この問題をめぐって大論争が展開された。排他的経済水域概念を1972年に初めて提案した「ケニア案」は、この問題に対する十分な認識を持っていなかった。しかし、その欠陥に気づいて1973年に修正提案された「アフリカ14カ国案」では、「当該区域内における沿岸国の権利の行使より生じるものを除いて」と言う文言が新たに挿入され、航行の自由等の権利の行使は、この様な条件の下でいかなる規制も受けないものとすると規定し直された。この部分は、国連海洋法条約では、その第58条1項において「この条約の関連規定に従うことを条件にして」と言う文言となって決着を見ている。つまり、沿岸国の資源管轄権とその他の国の権利が排他的経済水域でぶつかる時は、沿岸国の権利の方が優先すると言う意味で「主権的」なのである。したがって、この水域における漁業資源は沿岸国の所有物ではなく、科学的な許容漁獲量の決定を通じて資源管理が義務づけられており、このプロセスを通じて余剰分が出れば、それを他国に開放しなければならない(第62条)。結局、排他的経済水域とは、広義の意味で「人類の共同財産」である海洋そのものの一部を構成するものであり、沿岸国は人類社会からこの水域の管理を信託されていると言うことができる。沿岸国の管理義務はきわめて重大なのである。

それゆえに、この義務を履行するためには、防衛庁を含む総合的な省庁間協力が不可欠となり、首相を本部長とする「国家管轄水域統合管理本部」といった組織の設置が必要であると筆者は主張しているのである。

編集部注

※1) アービド・パルドー(Arvid Pardo, 1914-1999)博士:1914年マルタ生まれ。1964年マルタが英国から独立すると、博士は国連大使となり、1967年11月1日、国連総会で歴史的なパルドー演説を行う。国家管轄権が及ぶ海底の外側の「深海海底」とその資源を「人類の共同財産」とし、人類の名において管理・開発して南北問題を一挙に解決しようというパルドー提案に基づいて、第3次国連海洋法会議は開催され、癩余曲折を経て1982年に国連海洋法条約が締結された。

※2)エリザベス・マン・ボルゲーゼ(Elisabeth Mann Borgese, 1918-2002)教授:文豪トーマス・マンの三女として、1918年ドイツのミュンヘンで生まれる。米国に亡命後、国際政治学者ギュゼッペ・アントニオ・ボルゲーゼ博士と結婚し、シカゴ大学で夫とともに世界連邦主義の研究を行う。この研究が「人類の共同財産」概念に結びつくことになる。

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