笹川平和財団海洋政策研究所は2020年5月14日、第170回海洋フォーラム「もう一つの見えない危機~海の中の騒音問題~」を開催しました。新型コロナウイルス感染拡大防止を受け、初めてオンライン形式で実施されたフォーラムでは、同研究所の赤松友成海洋政策研究部長を講師に、海運や海上交通、海洋鉱物資源探査、海洋エネルギー開発をはじめとする海洋のあらゆる分野で発生している騒音(海中騒音)を取り巻く状況、魚介類などの海洋生物と海洋環境への影響、国内外の研究動向を踏まえ日本をはじめとする関係国・機関が検討すべき課題や今後求められる取組みについて、水中生物音響学の視点から報告が行われました。
冒頭の挨拶で、海洋政策研究所の角南篤所長(現在は笹川平和財団理事長兼海洋政策研究所長)は「新型コロナウイルスの感染拡大は、現代社会が持続可能な発展を目指していく上で解決しなければならないさまざまな課題をこの瞬間も私たちに強烈に突きつけている。これは海洋の分野も例外ではなく、私たちが海洋、そしてそれをとりまくさまざまな課題を解決するため、より一層の英知と行動を結集していくべきだとの思いを新たにしている」と語りました。また、ニューノーマルとも言われる新型コロナウイルス感染が収束した後の海洋ガバナンスについて、今回のテーマである海中騒音も含め、今後もさまざまなステークホルダーとともに積極的に情報交換することに期待を示しました。
海中騒音問題および海洋生物への影響
続いて、赤松部長が講演し、人間が直接見ることはできない海の中の問題である「騒音問題」も、国際的にクローズアップされ始めていると紹介しました。海洋に放出されたプラスチックが大きな問題として世界中で認知が広がっているなか、このあとにやってくる海洋の見えない問題として海中騒音を取り上げました。「これまでにも人間は洋上風力発電所の風車を立てたり運用したり、貿易、資源探査などを通してさまざまな海中の利用をしてきた」と指摘。再生可能エネルギーの実現に向けて期待されている洋上風力発電の活用にも触れ、巨大な杭の打ち込みや、風車が回っている際に発生する稼働音なども常に海中に放射されている状況に言及しました。実際に海中の音のレベルが増加しているという事実について、1960~1990年代にかけて米カリフォルニア沖で行われた計測例などを紹介し、特に1960年代以降の経済が著しく発展した時期は3倍ほど音が大きくなったことを報告。「人間が全く住んでいないはずの海で、それほど騒音レベルが上がっていたということは、人間による海の利用がどれほど多くなったかを示している」と指摘しました。
水中では10メートル先を見ることも難しいほど見通しが効かない一方で、「音は大気中の約5倍の速さで遠くまで届き、この音を多くの海洋生物はとても有効に使う。これこそが水中音が問題になってくる基本的な原因である」と続けました。インド洋と大西洋で行われた音響伝搬実験では1万キロの距離でも音が伝わると実証されました。水中音は遠方まで届きますが、それが海洋生物にどのような影響をもたらしているかについては調査、評価が始まったばかりだと言及しました。
音を聴いたときの生き物の反応について、「コククジラ」という小さなクジラが、米海軍の低周波アクティブソナー(潜水艦探知用ソナー)の音に対してどのような反応をするか検証した際、音を出している間は明らかに音源を避けて回遊していたものの、音を出していない間は全く関係なく移動していた事例を紹介しました。また、生物の聴覚への影響について、ハンドウイルカに大きな音を聴かせた後に聴覚の感度を測ったところ、一時的ではあるものの、耳の感度が大きな音を聴かせる前に比べ悪化していたことが判明しました。大きな音に長期間暴露された場合には、聴覚の感度の悪化が永続的に続くこともあり、あまりに音が大きい場合は聴神経細胞そのものが破壊されると説明。さらに、音の衝撃によって生物が死亡するケースとして、海洋の利用のための工事で、岩盤などを処理するために火薬を使って破壊する際に発生する大きな音が原因になると指摘しました。
生物への影響評価
このようなデータが集まってきているなかで、国際機関のなかでも海中騒音に関する議論が進んでいます。国連海洋及び海洋法に関するオープンエンド非公式協議プロセスでも水中音に言及しており、国際海事機関(IMO)は船舶騒音の非強制ガイドラインを策定し、それをアップデートするための議論が予定されています。欧州連合(EU)などでも船舶騒音の把握や水中騒音低減方策が検討されています。赤松部長はこれらの動向を踏まえ、この10年で海中の騒音問題は国際的な注目を浴びるようになった、と評価しながらも、データは十分ではなく研究はまだ手探り状態であるとの認識を示しました。例えば、海中騒音に対してのマダイの威嚇・損傷レベルに関するデータはあるものの、同種に限られているため、他の魚類に関するデータ収集を今後の課題として挙げました。
その一方で、音を聴く能力についてはデータが集まってきているとしました。特に魚類については、聴覚感度のよい周波数帯が、「人工的に発せられる音波の周波数とほとんど一致している」ため、船の音や洋上風力発電所などから発せられる音に一番影響を受けやすいと指摘しました。また、イルカやアザラシといった生物は高い周波数に対する感度が良く、ソナー、魚群探知機といった超音波を利用した測定機器から発せられる音波の周波数に合致していると説明。さらに「大型クジラ(ヒゲクジラと言われる仲間)の聴覚は直接測られたことはほとんどないものの、内耳の解剖学的な特性からして低周波の感度が良いと考えられている」と述べました。
また、もう1つ重要な要素として、背景に自然に存在している雑音のレベルを挙げました。背景雑音(海の波が砕ける音や小さなエビがハサミを打ち鳴らす音など)のレベルが大きくなるほど、騒音源の音が背景雑音に紛れやすくなり、レベルが同じであっても遠くまで届かなくなることを指摘。その一方で、背景の雑音レベルが低くなればなるほど、音が到達する距離は大きくなることから「静かな環境であるほど音の影響範囲は大きくなっていく」と説明。「騒音影響評価」というと、音源の音の大きさが着目されやすいものの「その生物が生きている海での元々ある自然の背景雑音レベルというのが、大変重要になる」と解説しました。
政策提言の策定に向けて
海中騒音による海洋生物への影響と評価基準の現状をふまえ赤松部長は、今後の政策提言策定に向けた作業について①騒音暴露レベルに対する行動、生理反応の定量化(日本では特に水産有用種)②水中音の計測ガイドラインの策定と現状の騒音マップと騒音源の可視化③騒音影響による生態系サービスの増減量見積もり(個々の生物種への影響と分布や個体数の変動)④騒音対策による社会的コストと利益の見積もり⑤効果を最大化する社会変革の許容レベルの提言―という5つの作業が必要になるとしました。特に水中音の計測ガイドラインについては現在、海洋音響学会の研究部会が検討中で、今後の課題解決に向けて動いているとしました。
そのうえで赤松部長は「最終的には、騒音対策によってどれだけ社会的なコストがかかり、利益が得られるのかということを天秤にかけて、効果を最大化する社会変革の許容レベルについて提言していくことが大事になるはずだ」と締めくくりました。
【参考情報】赤松友成海洋政策研究部長/上席研究員 研究員プロフィール
当日の講演資料については
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第170回海洋フォーラム「もう一つの見えない危機~海の中の騒音問題~」は
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過去に行われた「海洋フォーラム」については、
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