Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第153号(2006.12.20発行)

第153号(2006.12.20 発行)

神話に残る津波の記憶

同志社女子大学教授◆後藤明

2004年12月、スマトラ沖地震の大津波災害が起こったが、
インド洋に浮かぶアンダマン諸島民には古くから大津波の神話が伝わる。
また、沖縄の島々でも、あるいは南太平洋でも津波にまつわる言い伝えが多数みつかる。
こうした津波伝承はただの災害の記憶としてではなく、
人類の将来に何らかの戒めを説くものとして人々の脳裏に深く刻みこまれるべきものだ。

歴史は神話となって後世へと伝わる

2004年12月、スマトラ沖地震の大津波災害が起こった。インド洋に浮かぶアンダマン諸島民には大津波の神話が伝わる。彼らは今日まで狩猟採集経済を伝える貴重な民族である。

―最初の時、神プルガは人間の男を造り、彼に森の果樹や火のおこし方を教えた。次にプルガは女を創造し、二人の間には息子と娘が二人ずつ生まれた。神は人間たちに狩りや漁の方法や言葉を教えた。最初の父母が死ぬと子孫たちは神の掟を無視するようになったため、プルガは怒って大津波を起こした。一番高い丘を残しすべてが水に沈んだが、二組の男女だけがカヌーに乗っていて助かった。水が引くと生物はすべて溺死していたので、神は彼らに動物や鳥を与えた。しかし洪水の間に火が消えていた。すると死者の魂がカワセミとなり、天上に飛んでいき神の炉から燃えさしをくわえ地上に運ぼうとしたが、重すぎて神の体の上に落ちてしまった。神は気づいて怒り、燃えさしを取り投げつけたが、あたらずに四人の真ん中に落ち人間たちは再び火を得た。四人は暖まり余裕ができると、人類を滅ぼした神に対する怒りを抑えきれず、神を殺そうと考えた。しかし神は言った「人間たちよ、お前たちの矢では私を射ることができない、もしお前たちが私を亡き者にしようとしたら、お前たちの命を奪うであろう」と。人間たちが神に従うと、神は怒りを和らげ、「お前たちは、親が従ってきた私の掟に背いたので津波は自業自得である。将来また過ちを繰り返すならそれ相当の罰を与えるであろう」と言い聞かせ去っていった。住民はそれ以来今日まで恐れと戦きを持って神の意志を守り続けている。―

この神話は津波という題材を使って人類に何らかの戒めを説くものであろうか。それとも現実に起こった災害を反映しているのだろうか? 聖書のノアの方舟に代表される「大洪水神話」は世界的に分布し、そのすべてが実際に起こった災害に由来するとは思われない。しかし今回の津波のような大惨事が神話化する可能性はまったくないのだろうか? その答えは沖縄にある。八重山の石垣島に伝わる伝承である。

沖縄、そして世界に残る津波の伝承

―石垣島の白保では村の寄り合いでいつも反対意見を述べる三名があった。村の安寧を損なうというので追放された。彼らは寂しく暮らしていたがある日人魚を釣り上げた。海神の使いとも知らず半分は塩漬けにし、半分は汁にして食うことにした。しかし鍋と塩漬けの瓶の中から「人が大勢死ぬ。天災だ、天災だ。津波が来る津波が来る」と聞こえたので驚き肉を海に帰した。やがて人魚が予言したとおり明和八年に大津波が襲ってきた。三人を追放した白保がまず流された。三人は大いに謹慎陳謝して許され、のち懸命に復旧に努力し、現在、子孫は繁栄している。―

*NPO法人沖縄伝承資料センターの資料をもとに事務局により作成。明和の大津波(1771年)に結びつくと思われる
「人魚と津波」「津波被害」の伝承にもとづく。宮古に40話、石垣・小浜島に12~13話が集中している。

沖縄に伝わる津波神話に最初に注目した民俗学者の柳田國男は、人間の言葉を話す水生動物を「物言う魚」と規定し海神の化身であると考えた。沖縄では、海霊(ヨナタマ)と呼ばれる。これら沖縄の津波神話の分布を見ると、八重山の石垣島や宮古諸島に集中していることがわかる。石垣島の対岸の竹富島などには分布が薄い。話の起源とされる明和の大津波は石垣島の白保など東南部に大被害を及ぼしたが隣の竹富島では被害が少なかった。それは両島の間に広がる浅い珊瑚礁が防波堤の役割を果たしたからと思われる。一方、津波は宮古群島でも猛威を振い、石垣や宮古には「津波石」など津波に由来する地形が残された。沖縄の津波神話の分布は見事に明和の大津波の被害と一致している(図参照)。時を経て人々はその津波の原因を海霊への不遜の行いが原因だと伝えるようになったのだ。

さて目を転じると東南アジアや南太平洋の海洋民の間には津波の話が多数みつかる。ミャンマーの漂海民モーケン(溺れた人々の意味)族は津波を逃れて家船生活をするようになったと伝えられている。大航海民ポリネシア人の一員であるラパヌイ(通称イースター)島民にはこんな神話もある。

―始祖の国に住む最初の王に五人の兄弟がいた。長男で海の神モエ・ヒヴァは王に進言した「土地が海の底に沈む時が来ます」。その後しだいに海がせり上がってきた。王はカヌーを作らせ、新天地を探させたが船は戻らなかった。多くの人々が洪水で死んだ。マトゥア王の時代、予言者ハウ・マカの睡眠中に魂が体を離脱して東へ、日の昇る方角へ飛び、ある島を巡り戻ってきた。ハウ・マカは目覚め、王に夢の話をすると、王も喜んですぐ航海の支度を始めさせた。ハウ・マカの息子たちはカヌーを用意し作物を積んで出帆しイースター島にたどり着いた。ハウ・マカの長男イラは父の魂が見た通りの光景に感激しイモを植えた。一方、王は息子のホトゥに言った「カヌーを用意して船出しろ。5カ月前、イラたちが出発し戻っていない」と。ホトゥは早速作物を集め、小さな石像(モアイ・マエア)を積み、妻たちを乗せ二隻のカヌーで出発した。夜の間に突然現れた二隻のカヌーにイラたちは驚いた。カヌーは紐でしっかりと結ばれており、ダブルカヌーの形になっていたからである。カヌーは島を回って、よい漁場や実りの土地を見いだし、無事岸にたどり着いた。―

神話はまだまだ続くが、興味深いのは移住のために、双胴にしたダブルカヌー(写真参照)のことが語られていることである。ポリネシア人はダブルカヌーの上に甲板を作り、小屋を設け、一族、家畜、作物などを積んで船出したと考えられる。当然家畜はつがいであったはずである。キリスト教宣教師がこの種の伝説を聞いて、ノアの箱船伝承を重ね合わせたのは当然である。しかし本当にポリネシア人の故郷は海に沈んだのだろうか? 私の推測はこうである。ポリネシアの津波神話はすべてが個々の災害を反映したものではない。しかし氷河期に海面が低下しインドネシア付近に古代の大陸スンダランドが形成されたが、それは一万数千年前氷河期が終わり温暖化すると海に沈んだ。人々は移住地を求めていろいろな方向に船出したであろう。台湾や中国大陸、南方あるいは日本列島へ。そのようなモンドロイド系住民に共通する太古の記憶が神話化しているのではないかと。

今年夏の調査で、台湾の原住民プユマ族の間に南方から「タルップ」と呼ばれる船で渡ってきたという伝説があるのを知った。それは古語のようで古老が集まっても意味を特定できなかったが、キリスト教宣教師はノアの箱船を「タルップ」と呼んだらしいので、屋形船のような船であったろうというのが古老たちの推測である。海の民は、スンダランド水没の記憶、津波や水没の原因を人間の不遜な行いの結果として伝えて戒める一方、移住の結果新しい土地を発見したという肯定的価値観も生み出した。そしてともに神話の記憶の中に津波の話を長く止めている。

インド洋の津波は恐ろしい大惨事であった。しかしもっと恐ろしいのは、日常の忙しさにかまけて短時間のうちにそれを忘れようとしているわれわれ現代人のこころである。(了)

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