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オーシャンニュースレター

第153号(2006.12.20発行)

第153号(2006.12.20 発行)

躍動する太平洋のカヌー文化

映像作家、(有)海工房主宰◆門田 修

ホクレア号は今から30年前の1975年に建造され、翌年ハワイからタヒチまでの航海をした。
それは星や波などを観て航海する、古代航法と呼ばれる方法だった。
また、同じく1975年には、チェチェメニ号がミクロネシアのサタワル島から沖縄海洋博をめざして
古代航法でやってきた。あれから30年が経つが、ミクロネシアには今もカヌーがあり、大航海師がいる。
古代航法やカヌーは現代の私たちに与えるインパクトとは何だろうか。

文化復興と展示物

1975年サイパン沖を走るチェチェメニ号

ホクレア号※1は今から30年前の1975年に建造され、翌年ハワイからタヒチまでの航海をした。それは星や波などを観て航海する、いわゆる伝統的航海術、あるいは古代航法とも呼ばれる方法だった。同じく1975年には沖縄で海洋博があり、ミクロネシアのサタワル島からチェチェメニ号が古代航法でやってきた。その後の2隻のカヌーがたどった時間をみるとき、大きな違いがある。

ホクレア号がハワイ人のルーツを求めて1976年にタヒチへの航海に出る時、ポリネシアには古代航法ができる航海師はすでにいなかった。そこで呼ばれたのがサタワル島(ミクロネシア連邦)のマウ・ピアイルグ氏だった。スター・ナビゲーションとも言われる古代航法は太平洋の離島であるサタワル島とプルワット島(同ミクロネシア)の男たちしか伝承していなかったのだ。

当時、チェチェメニ号の取材と伴走をするためにサタワル島を訪れていた私は、ハワイに出かける前のマウ氏と会い、近くの無人島まで食用のウミガメを捕りに行ったりした。沖縄に向かうチェチェメニ号のナビゲーションは、マウ氏よりも年長の大航海師レッパン氏が担当した。そのレッパン氏は2年前に亡くなり、マウ氏も70代半ばになり、体調を崩しているようだ。ホクレア号もチェチェメニ号も大航海から30年が経ったわけだ。その間ホクレア号はたびたび実験的な大航海を成し遂げ、太平洋先住民の文化復興を象徴する存在となった。その影響は大きく、太平洋の島々では消滅してしまったカヌーを復元したり、古代航法を試みる人々がでてきた。いったい自分たちの祖先はどこから、どうやって来たのか。つまり、自分たちは何者であるか、その文化はどんなものであったかを探求し、確認する機運が盛り上がってきたのだ。一方、チェチェメニ号は、1975年に沖縄海洋博への航海を終えた後、開館を間近に控えた国立民族学博物館※2(大阪府吹田市)に引き取られ、その後展示されつづけている。これまでに900万人ほどの入館者の眼には留まっているようだ(民博のHP「入館者数の推移」より推定)。さて、遠くはなれたミクロネシアの小さなカヌーは見学者にどんなインパクトを与えただろうか? 「よくまあ、こんなカヌーで大海原を渡るもんだ」と、素朴な驚きを誰もが持つだろう。ヤシ殻の繊維で縒られたロープで縫い合わされた船体を見て、「すごい」と驚嘆する人もいれば、「なんじゃ、このおんぼろカヌーは」と貶す人もいるだろう。

ホクレア号とチェチェメニ号はまったく異なる時間を過ごしてきたが、双方とも大切にされていることは間違いない。だが、その大切さとは、前者が行動的であり、太平洋の各地で海洋文化を再発見させてきたのに対し、後者は博物館に静かに鎮座し、観覧者の知的好奇心を満たしてきた。

元気な航海者たち

(左上)ポ儀式の会場。(左下)建造中のカヌー。(右)儀式を終えた「新人のポ」。

今年の6月プルワット島で「ポ」の儀式が行われるというので、撮影に行ってきた。プルワット島とサタワル島は200キロ離れているが、兄弟のような島だ。親戚などが両方の島に住み、深い関係をもつ。両島を直接結ぶ交通手段は帆走カヌーしかない。ポとは大航海師の称号である。それと同時に称号を与える儀式もポという。ポになるためにポの儀式を受けるのだ。ポになるには、技術だけでなく、人をまとめたり、天気を変えたりできる精神的で霊的な能力が求められる。

プルワット島はチューク島(トラック諸島)から離島通いの船で行く。日本を出るときに船の出港日を確認していったが、10日も待たされてしまった。貨客船を運航する会社に聞くと、お金の都合がつかなくて燃料が買えないからだという。

プルワット島ではカヌーがまだ生活の中に生きている。国立民族学博物館に展示してあるチェチェメニ号とまったく同型のカヌーが何隻もある。小さな島だけど、カヌーを造るパンノキの大木が鬱蒼と茂っている。森の中ではカヌーの底になる部分を大木から削り出していた。海岸には日本製の船外機を付けた、これまた日本製のFRP船もある。みんな援助されたものだ。リーフの外の沖に泊まった貨客船から荷物を運ぶのも、漁も、隣の島に行くにもFRP船は大活躍だ。しかし、燃料が切れる事がしばしばある。船が来なかったり、高すぎて買えなかったりと、その原因はいくつもある。そんな時、帆で走るカヌーの出番だ。この島では風だけで走り、島で手に入る材料だけで造られるカヌーの存在価値はまだまだあるのだ。プルワット島ではホクレア号よりもチェチェメニ号のほうが有名だ。沖縄に航海したチェチェメニ号のことは、今でも語りぐさとなっている。

浜辺のカヌー小屋で行われたポの儀式は一日で終わった。カヌーを操り、長距離の航海ができる男たちは尊敬される。だから、多くの男たちがポの称号を得たがる。今回の儀式では13人もの男たちが大航海師であるポの称号を授かった。みんな星を観察して進むべき方角を知ることができ、波や飛ぶ鳥を見て島の位置を推測できる。自然を読み解く力をそなえた男たちのはずだ。しかし、なかには州議会の議員や航空会社に勤めている人たちもいて、名誉称号としてのポもいるようだ。

元気のいい男たちは大航海に出たがっている。新たなポに訊ねてみれば、「いつでも日本に行けるさ」と胸をはって答える。

カヌーで海へ

サタワル島やプルワット島から、グアム島サイパン島へは、古代航法で何度も航海されている。2000年には一度に6隻のカヌーが渡った。サイパンまで来れば、後はマリアナ諸島を北上すれば日本だ。小笠原や八丈島にはミクロネシアのカヌーと同じようにアウトリガー付きの小舟がある。その起源ははっきりしないが、ミクロネシアからやってきた可能性だってある。ハワイからという説もある。太平洋の航海カヌーが、日本とまったく無縁なわけではない。簡易なGPSが普及した現在、伝統航海術は必要とされていない。しかし、それは星を観ることを止め、海からのメッセージを受け取ることを止めてしまうことだ。伝統的航海術のように、自然と深く関わり、観察し、耳を傾けることが、海との付き合いに必要だ。海の環境の変化をもっとも鋭敏に感じることができるのは、鍛えられた大航海師だろう。来年日本へやってくるというホクレア号はきっと、そんな事を教えてくれるはずだ。ハワイ、グアム、サイパン、チュークなどには伝統航海術を教える施設、機関がある。ホクレア号でも航海術をマウ氏から伝授され、それを現代の知識で解釈し、習得した人たちが活躍している。ただ、ミクロネシアのポに言わせればその人たちは航海師「ポ」ではない。ポの儀礼を通過していないからだ。

博物館に鎮座しているチェチェメニ号を海に浮かべることはできないが、ミクロネシアには現役のカヌーがあり、航海師たちもいる。どうだろう、今度は航海術を学び、海と一体になるためにミクロネシアのカヌーを呼んでみたら。日本の海洋文化の見直しに、一石を投じることができるのではないか。(了)


●1 ホクレア号の運航計画:ポリネシア航海協会 
http://pvs.kcc.hawaii.edu/

●2 国立民族学博物館のチェチェメニ号の展示について 
http://www.minpaku.ac.jp/museum/exhibition/oceania/01.html

●(有)海工房 
http://www.umikoubou.co.jp/2ndindex/index_j.html

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