Ocean Newsletter

オーシャンニュースレター

第123号(2005.09.20発行)

第123号(2005.09.20 発行)

海と島から考える日本

元国土交通省都市地域整備局離島振興課長◆小島愛之助

わが国は海洋国家であり島嶼国家であるが、それが国民に十分認識されているとは考えにくい。
海との関わりは地理的、歴史的に大きいにもかかわらず、日本人の海離れは著しい。
また排他的経済水域を考えたとき、島のもつ役割にも大きな意義があるといえる。
今こそ百年の計に立って、海と島を見つめなおすことが必要ではないか。

「わが国は島である」という認識

わが国は海洋国家であると同時に島嶼国家でもある。デンマークの自治領であるグリーンランドの217万km2を世界第1位の島とすると、本州でさえ約10分の1の23万km2、世界第7位の島に過ぎない。かなり以前の話になるが、ある国際会議の席上、オーストラリアの代表が「自分は大きな島から来た」と自己紹介したという話を聞いたことがある。いうまでもなく、オーストラリアはグリーンランドの約3.5倍、面積768万km2を誇る五大陸の1つである。

一方で、本州に居住する日本人の多くが自分を島人であると認識しているかと考えると、残念ながら否定的な見解を持たざるを得ないだろう。個人的には「島国根性」という言葉の悪い側面(島国根性=非国際化という図式)が強調され過ぎているのではないかと思う。国際社会における閉鎖性は大陸においても見られる現象であり、この場合には、海や他国から遠いことに起因する部分が大きいと考えることができる。

大陸と島、島と島の間には海があり、この島と海を介してわが国は広く海外諸国と繋がっているのである。まず、日本海に眼を転じると、佐渡、隠岐、対馬といった島々を挟んで、ユーラシア大陸に接している。他方、南の海はというと、鹿児島から南西諸島を経て、遠くフィリピンやインドネシアへと続き、また伊豆大島に始まる伊豆諸島は、おそらくはマリアナ諸島へと繋がる。これこそが、かつて柳田国男が唱え、島崎藤村が詠んだ「海上の道」に他ならないのである。

太古の昔、日本人は海洋・漁労民族でもあったのではないかといわれている。また、遣隋使や遣唐使など日本人の海外との交流の歴史は、同時に海との闘いの歴史でもあったともいえる。例えば、8世紀に9回派遣された遣唐使のうち、すべての船が往復できたのは1回だけだったということである。一方で、元寇のように海がわが国を救ったという事例もある。時代を経て、北前船や朝鮮通信使など、海は交通・通信の媒体であったことも事実である。そして、いつの時代でも、島は、わが国にとって、風待ち・潮待ちの拠点として役割を担いつつ、自らの文化を築き上げてきたのである。

しかしながら、大戦後、特に高度経済成長期以降、日本人の海離れには著しいものがある。もちろん、価値観や趣味・嗜好の多様化に伴い、レジャーとしての海とのふれあいの時が限られていることはやむを得ないことかもしれない。だが、ジェット機やインターネットを使って海外諸国と交通通信を行うだけで、「島国根性」ではない、真に「世界に開かれた日本」足りうるのだろうか。現代はドッグイヤーといわれるスピードの時代ではあるが、スロータウンやスローフードということも唱われ始めている。瞬時に世界に飛ぶと共に、謙虚に自らの足下を見つめ直すことも必要なのではないだろうか。「島嶼国」としての日本、「海洋国家」としての日本を見つめ直すことが求められているのではないだろうか。

島があることの「国益」

■200海里排他的経済水域の試算結果 (出典:国土交通省都市地域整備局ホームページ)
※ 日本以外は1972年のアメリカ国務省資料「Limits in the Sea-Theoretical Areal Allocations
of Seabed to Coastal States」(全訳「海洋産業研究資料」,通巻第59号,1975)にもとづく

島の話に立ち返ると、わが国は6,852の島嶼から成り立っており、このうち、本州、北海道、四国、九州および沖縄本島を除く6,847がいわゆる離島である。さらに、このうち、260の有人離島を対象とする振興施策の根幹をなすものとして「離島振興法」という法律がある。昭和28年の議員立法であるが、筆者は3年前、この法律の改正・延長に関係する経験を得た。施行後50年の歴史を経て、時代背景も移り変わる中で、法改正のポイントとなったのは、200海里時代における「国益」ということであったと思う。

「離島振興法」の対象離島260には、特別措置法の対象となっている小笠原諸島、奄美群島、沖縄離島、ならびに北方領土は含まれていない。しかし、法改正の理念は、これらすべての地域を包含するものであった。すなわち、離島がわが国の領域、排他的経済水域等の保全に重要な役割を担っていることが初めて法の目的として明記されたのである。その上で、地域の創意工夫と離島の地理的自然的特性を活かした振興施策によって、離島の自立的発展が促進されることが目的として掲げられたのである。

わが国が漁業管轄権や海底資源の調査・採掘権などの主権的権利を有する排他的経済水域は約447万km2と、旧ソ連(約449万km2)に続く世界第7位の広さを誇っており、わが国の国土面積(約38万km2)のおよそ12倍を数えている。そして、何よりも重大なことは、こうした広大な排他的経済水域が6,852の島嶼によりもたらされているということである。

このような問題意識を突き詰めて考えていくと、その後3年間に起こっている事態は極めて懸念すべき事柄とは言えないだろうか。北朝鮮の不審船問題はいささか旧聞に属するとしても、韓国との間の竹島問題、中国との間の尖閣諸島問題、そして沖ノ鳥島の国際的な取り扱いの問題と枚挙に暇がないだろう。このうち、沖ノ鳥島を基点とする排他的経済水域は約40万km2ということであり、これはわが国の排他的経済水域全体の約1割であると共に、わが国の国土面積に匹敵しているなど大きな意義を有している。

「百年の計」で海と接する

元来、海は人間にとって貴重な資源の宝庫であり、そのもたらす恵みは海底資源に至るまで計り知ることはできない。われわれ人間はすべて生きとし生けるものによって生かされている。海の恵みはその中の一つであると共に無限の可能性を秘めたものであると考える。「百年の計」という言葉があるが、一世代30年と考えると、100年後は曾孫の時代である。今目前に迫る問題、自分の時代に結論が得られる問題であるとはいえないことであっても、曾孫の世代のために手を打ち始めることが必要である。例えば、水産資源を涵養するための森林整備などは、その一例ではなかろうか。一方で、排他的経済水域の問題はそれほど猶予のある問題ではないかもしれない。

少なくとも、このような海に四方を囲まれている日本に住んでいることに対して、われわれ一人一人が、いま少し関心を抱き、誇りを持って接していくことが肝要ではないだろうか。(了)

第123号(2005.09.20発行)のその他の記事

ページトップ