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- 人は飛行機、物資と心は船で~ボランティア活動のために、いまこそ政府専用船を~
Ocean Newsletter
第8号(2000.12.05発行)
- 白鴎大学法学部教授◆福岡政行
- 横浜国立大学国際社会科学研究科教授◆来生 新
- 水産庁漁場資源課国際資源班長◆石塚浩一
- ニューズレター編集委員会編集代表者((社)海洋産業研究会常務理事)◆中原裕幸
人は飛行機、物資と心は船で
~ボランティア活動のために、いまこそ政府専用船を~
白鴎大学法学部教授◆福岡政行ボランティアの現場でいつも頭が痛いのは、輸送の問題である。送る気持ちと物資があっても、それを現地に届けることは、あまりにも困難である。ボランティアに飛行機は必要ではない。大量の支援物資をより安く、しかも友情やふれあいを運んでいくことができる政府専用船の導入を強く希望する。
支援物資は集まるが、それを送ることが難しい。
ボランティアの現場にはそうしたジレンマがある
"自転車、中古ですが、100台ほど寄付します!""楽器を段ボール30箱ぐらい送れます"
いろいろな形での暖かい支援の輪が拡がってくる。ボランティアルームは、常に支援物資で一杯になる。
「カンボジアまでの輸送費は、どれ位になる?」。スタッフのひとりの声がする。「単純計算で、50万~60万、いや100万円くらいになるかもしれません」と声が返ってくる。
ボランティアグループを10数年やってきて、いつも頭が痛いのは、「輸送費」である。豊かな日本は、「モノ」が有り余っている。声をかければ、多くのモノが予想以上の量で、集まる。感謝で一杯である。しかしながら、この暖かい心を、無事にプノンペンやアンコールワットの地に送ることが難しい。船便で送る費用がバカにならない。細々と、チャリティオークションで得た浄財を使わざるを得ないのだ。でも、カンボジアの小学生が楽器を手に嬉しそうにしている姿が浮かべば、どうしてもという気持ちになる。自転車1台で、小さな集落の人がどんなに助かるのか。日本での自動車1台分をはるかにしのぐ。「地雷だって、自転車ならスーッと通り過ぎるから、大丈夫!」と子どもが笑って話す。何も遊び道具のないカンボジアの子どもにとって、ひとつのボールでも価値がある。学生たちが4~5人でカンボジアに行くときに、できるかぎり背負っていく。わずかな自分の荷物しか持たない(持てない!)私の心は重い。
小渕恵三首相が外務大臣のときに、政府専用船について雑談したことがある。少し興味をもってくれたので、いろいろな政治家に会うたびに、その話をしている。小渕さんが首相になったときに、いわゆるブッチホンをもらったことがあった。そのとき私は、非自発的失業者(約100万~120万人)の雇用を何とかつくっていただきたいとお願いし、小・中学校のアシスタント教員や、コスト意識をもった民間の人の公務員への臨時採用などの話をした。そして、もうひとつの話題は、この政府専用船であった。
政府がもつ飛行機が2機ある(らしい)。札幌の空港で、遠くから見たことがある。首相の訪米などの外遊や、政府関係者が利用するものだ。どれくらい使われているのか。飛行機も大切であるが、船は、多くの物資を運べる。"国際援助隊を常設し、2、3隻の船を常備したら、日本の緊急ボランティアもさらに活発になる!"と、電話で話した。
毎年8月に京都で開かれるシップ&オーシャン財団のセミナーで、全国の造船関係者と話をする機会がある。今年(2000年)、会場で"船は飛行機より安いよ、何百億円もしない!"という話を聞いた。貨物船でいい。物資輸送が主目的である。クイーンエリザベス2世号などという豪華客船はいらない。そんな船に、自転車、単車、楽器、医療器具、ベッド、毛布を積んでカンボジアへ行ったら、NGOはどんなに多くの輸送費が助かるだろう。地雷で家が壊れたトルコやインドネシアに、神戸で使った仮設住宅やブルーテントを緊急輸送したい。一緒に学生・若者・看護婦さんなどのボランティアも乗っていく。HandtoHandがふれあいの原点であり、ボランティアの前提条件である。
たしかに、米、人、毛布は現場で必要とされるが
それ以上に、遠くから「心」が運ばれることが大切なのだ
この夏の8月に、平壌へ行った。ボランティア活動である。共同農場に行って、米が不作(凶作)であることを実感した。95年以降、不作が常態化している。日本はいま、米が余っている。2000年11月で、おそらく500万トンを越えるとも言われる。私のゼミの二反の田んぼで21俵と、作況指数はおそらく108から110だろう。例年より一割は多い。豊作貧乏の声も聞かれる。この新米を、私のゼミは、600kgほど、都立秋川高校に合宿を余儀なくされている三宅島の小・中・高生の給食分としてトラックで持っていった。"新米は初めてです"と担当の人が嬉しそうに受け取ってくれた。ひとりの学生が「日本の新米を100万トン平壌、北朝鮮に持っていければなあ......」とため息をつく。「船があればOKさ!」と別の学生が。米と学生が船に乗って、北朝鮮に入る。手渡しで老人や女性や子どもたちに配れる。心(気持ち)の通った友好ができる。
プノンペン近郊のゴミ山(スタンメアンチャイ)でホームレスの子どもたちの職業訓練校の建設を予定している。すでに三度、カンボジアに行っているゼミ学生は、このゴミ山に来ると人気者である。バスが着いて、その学生が降りると"サダトー"と、何人もの子どもが駆け寄ってくる。顔と体全体で喜びが表現されている。平壌でも必要とされるものは、もちろん人であったり毛布である。しかし、本当は、"また来てくれる遠くの(外国の)友人(お兄ちゃん、お姉ちゃん)"なのだ。
ボスニア・ヘルツェゴビナでも、同じ経験があった。毎年夏になると、ゼミ生が難民センターの子どもたちをアドリア海の海水浴へ連れてゆく。ある年、そのプロジェクトに参加したあるゼミ生が、センターへ行ったところ、少年が" Do you know MOMO ? "と聞いてきた。そのゼミ生は「私のゼミの先輩で、去年来たゼミ長(女性)だったんです」と私に話してくれた。また、ある少女は「遠い日本から、私たちのことを忘れないで、また来てくれたんだね~」と嬉しそうに笑って迎えてくれたそうである。
政府専用船があれば百万トンの米を運ぶことができるだけでなく、
その物資とともに、その何百倍かの友情やふれあいを運んでいける
一隻の船で送れる物資とともに、その何百倍かの友情やふれあいを運んでいける。人は、パンなくして生きてゆくことはできないが、パンのみで生きるにあらず、である。"世界はひとつ"が実現する。言葉は、ほとんど通じなくても、心は通い合う。人間の心の中にあるベルリンの壁も、38度線もない。人間のもつ心の中のバリアを取り除くのに、国際NGOの役割は大きい。
NPO法が成立しても、税金の優遇措置がなされていない。せめて、アメリカのようにNPOへの寄付が損金で扱われているなら、日本のNPOはさらに充実する。そして、政府専用船があれば、いろいろなNGOが参加し、世界中に支援の輪が拡がる。2隻では足らなくなって、その運搬スケジュールの調整が必要となるかもしれない。"もう2、3隻必要だなぁ~"なんてことになるかもしれない。
無駄な道路やトンネルやダムを、少しカットすれば、政府専用船ができる。ちょっとしたギアチェンジで、日本の国際的社会での存在は高まる。憲法の前文にある「国際社会の中で、名誉ある地位に......」を獲得するために、〈国際協力〉を謳っている。憲法9条の孤立主義は、グローバルスタンダードには通じない。21世紀の日本は、海洋国家日本が、船を中心に交流を拡大することである。"人は飛行機、物資と心は船"が、21世紀のどこかできるかぎり早い時点で一般化すれば、という思いである。若い日本のボランティアが、世界の海の上で活躍できる日が来れば、という思いで、私は大学という場にいる。
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