Ocean Newsletter
第83号(2004.01.20発行)
- 横浜国立大学名誉教授、(財)日本釣振興会常任理事◆遠藤輝明
- 神戸大学海事科学部教授◆鈴木三郎
- 東京都港湾局港湾整備部計画課長◆石山明久
- ニューズレター編集委員会編集代表者(社)海洋産業研究会常務理事)◆中原 裕幸
魚は誰のモノか
横浜国立大学名誉教授、(財)日本釣振興会常任理事◆遠藤輝明「魚が釣れなくなった」と釣り人は嘆いている。だから釣具業界では魚の放流を行い釣り振興を図る。国も栽培漁業で「つくり育てよう」という。魚は誰のモノだろうか。
魚は無主物とは言いきれない現状
一般に魚は無主物とみなされ、釣り人は獲物を自分のモノとして自由に処分することができる。法の用語で表現すれば、人は釣魚の取得にあたって先占権を行使することができるというわけである。しかし、魚は本当に無主物と言えるのだろうか。
河川では6月になると鮎釣りが解禁される。東北地方では西に比べて解禁日が若干遅くなるが、待ちかねた釣り人が各地で一斉に釣り竿をさし伸べる。釣り人は一尾500円のオトリ鮎を3尾ほど購入し釣り場へ出向くのであるが、1,000円から4,000円程度の入漁料を支払わねばならない。一般に西の方が高額であるようだが、いずれにしろ、鮎の漁業権は第5種漁業として当該河川の内水面漁業協同組合に与えられているので、鮎の管理者である協同組合に釣りの代金(入漁料)を払うことになる。協同組合は漁業権免許の条件として鮎の増殖を義務づけられており、入漁料はその対策費にあてられるという。この場合、協同組合は鮎生育の環境整備を行う代償として入漁料を徴収するのであり、鮎の所有者として代金を取るのではない。魚は無主物という考え方が否定されるわけではない。
ところが、最近では天然鮎の遡上が著しく減少し、多くの河川で鮎稚魚の放流が行われている。これは養殖業者から協同組合が購入して実施するものである。この放流魚を釣った場合に「魚は無主物」と言いきれるのかどうか。釣り人は捕獲した鮎の代価を入漁料で支払ったと考えるかもしれない。入漁料は河川と鮎の管理料であるはずなのに。
こうした曖昧さは海の釣りでも出はじめている。日本では釣りのライセンス制度がないので、海の場合は、釣り施設で利用料を払うとしても、一般には無料である。砂浜や磯の岩場で自由に釣りを楽しむことができる。しかし、ここでも自然環境の変化につれて、次第に魚影が薄くなり、以前ほど釣果があがらなくなっている。そこで、釣具協同組合や釣り団体などでは釣り人に人気のある魚種(例えばクロダイなど)の稚魚を養殖業者から購入し、東京湾や大阪湾などへ放流するようになった。これも厳密には無主物と言いきれないであろう。
また、水産庁でも魚の自然繁殖が低下してきたことを懸念し、「つくって捕る」漁業、つまり「栽培漁業」の導入を考えるようになった。各地に(財)栽培漁業協会が設立され、マダイ、クロダイ、マコガレイ、ヒラメ、アワビなどの種苗生産を行い、放流稚魚の供給を行っている。これも協会が「つくり育てた」のであり、協会のモノである。だから放流にあたっては、漁業者も一定の価格を支払うことになる。前述した釣具協同組合や釣り団体も協会から稚魚を購入し放流しているが、これに対して釣り人は代価を支払うわけではない。
こうした状況の中で、神奈川県の栽培漁業協会ではマダイの釣り人に種苗生産と放流への協力金を求めるようになった。同協会が発行している「さいばいニュース」によると、年間にマダイ100万尾の放流ができるように「遊漁者協力金制度」を理解して欲しいと釣り人に呼びかけているが、60万尾程度の募金にとどまっているという。釣り人の多くは依然として「魚は無主物」という観念にとらわれているから、協力金制度への理解が深まらないのであろう。
本当の意味での資源管理を可能とするために

ところで、海の秩序はグローバリゼーションの進展とともに大きく変化している。かつて、地球のグローバル化は世界が拡大し一体化していく過程と考えられた。フランスでは1950年代にグローバリズムの代わりにモンディアリスムという用語が使われていたが、この考え方の基礎には、「世界連邦」の思想があった。しかし、1970年代になると、世界への「市場原則」の貫徹がグローバリズムの基軸となった。とくに1990年代になると、ベルリンの壁崩壊=冷戦体制の終焉によってモノ・人・資本・情報が急速に世界市場を駆けめぐり、経済競争が激化した。いうまでもなく、過度な自由競争は一方で強者と弱者の格差を大きくするだけでなく、生活の利便性を追求し、限りない消費欲望の衝動に駆られ、地球上の各種資源を食い荒らす状況も作り出す傾向を持っている。こうした市場経済のもたらす負の側面が顕在化してくれば、何らかの仕方で"自由"への規制が必要になってくるだろう。
こうした動向は水産資源にも深刻な事態をもたらすようになった。水産庁も指摘するように、「戦後のわが国漁業は、沿岸から沖合へ、沖合から遠洋へと漁場を外延的に拡大することによって発展してきた」。これは、まさしく、世界のグローバル化に沿った展開の仕方であった。しかし、そうしたなかで、漁獲量は次第に低下していたし、それぞれの国が自国周辺の漁獲に対して一定の制限を設け、漁獲の対価を求めるようになった。これは市場経済における自由の制限である。
誰でもが勝手に海面の利用や漁獲を自由に行うことを規制する新たな国際秩序が求められるようになったのであり、その帰結として「国連海洋法条約」が提示されるようになった。これによれば、各国の沿岸は200海里内において排他的経済水域を設置し、そこでは魚など資源に対する主権的権利を行使しうるとともに、生物資源の保存と管理措置をとる義務があると規定している。
日本でも1996年にこの条約を批准し、水産行政の新たな転換を図るようになったし、2000年度に入り、新たな「水産基本法」の策定に入った。いまや、グローバリゼーションの極限で各国沿岸200海里内魚介類は「市場経済」の自由に制限をかけ、しかもその保護・育成を国家の義務としたのである。もはや、この海域内では"魚は無主物"として自由に捕獲することはできない。主権的権利を行使する各国との交渉と対価の支払いの下でしか捕獲し得ないことになっている。
だとしたら、その魚介類は国家のモノか。国家は保護・育成の義務を負う管理者にすぎないことを忘れるべきではない。誰のために管理するのかと問う限り、「国民」のためとしか言えないはずであろうし、"魚は国民のモノ"という考え方に立つことになろう。"無主物"という観念を脱し、"国民のモノ"という視点に立つ時、本当の意味での資源管理が可能になるし、新しいライセンス制を生み出すことになろう。(了)
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