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オーシャンニューズレター

第80号(2003.12.05発行)

第80号(2003.12.05 発行)

グローバル化の下での環日本海経済交流

金沢大学経済学部 教授◆海野八尋(やひろ)

旧ソ連邦の解体は環日本海地域の国際環境を劇的に変えると期待され、多くの交流計画が立案された。しかし、その後の経済グローバル化によって現実は期待と大きく異なるものとなった。新たな政策と活動が必要である。

1. 冷戦体制崩壊後の「日本海」

■表1対岸貿易の現状(輸出入伸び率)
2000年2001年
 輸出輸入輸出輸入
日本海側30.8 %9.2 %19.0 %8.5 %
全国25.0 %5.8 %21.2 %10.9 %
出典:『環日本海ジャーナル』(環日本海貿易交流センター)
■表2対北朝鮮貿易
出典:『通関統計』(財務省)
■表3対ロシア極東・ザバイカル貿易
出典:アナトリー・G・ブーリ「ロシア極東地方と日本の経済的つながり」、『ERINA REPORT』44号(環日本海経済研究所)

交流という言葉には合わないかもしれないが、古代から日本列島に住む人々にとって「国際」交流とは中国、朝鮮、渤海という日本海をまたぐ対岸交流であった。ロシア革命前後には極東ロシアに最大1.1万人もの日本人が在住していた。戦後は、冷戦と日米関係が対岸との往来を途絶えさせた。冷戦体制下、多くの日本人は日本海における米ソの原子力潜水艦を含む戦闘艦と核武装した航空機の往来、南北朝鮮の相互の軍事活動という現実に目をつぶってきた。怖いものは見ないですむに越したことはない。1998年のロシア船沈没による原油流出事故が示したように、ひとたび原子力艦船事故やタンカー事故、原子力発電所事故がこの海域と周辺で起これば、地域全体の環境と水産業が致命的な打撃を受けることは自明であったにもかかわらず、予防的国際的共同措置はほとんど執られてこなかった。日本海は「豊饒の海」ではあったが、残念なことに国際的な人間の交流が希薄な「冷たい海」であった。ロシア、中国、北朝鮮、韓国のどの国においても環日本海地域は日本でも「裏日本」という言葉が象徴するように相対的に経済発展が遅れた地域のまま推移した(但し、日本においては平均所得の較差はない)。

1991年のソ連邦崩壊以降の冷戦構造の解体は、日本海を巡る状況を劇的に変えると期待された。日本と韓国の資金と技術、中国の労働力、ロシアの資源を国際的に結びつけることにより大きな経済発展が実現するという考えが日本も含めて関係諸国地域に広がった。ゴルバチョフの訪日が「北方四島」の返還と日ロ関係の決定的転換を予感させた。商船と観光船の往来、(裏)日本と大陸を結ぶ新しい航路の開設の展望が語られた。太平洋岸地域の多くの人々は聞いたこともないであろうが、ここ10年以上にわたって、東京湾岸開発計画とは比べものにならない規模(1,000km2)の「豆満江国際共同開発」が国連の開発計画担当部門(UNDP)に主導されて検討され、日本海地域の自治体関係者がその進行に大きな関心を寄せてきた。この計画は、1936年に日ソ両軍が衝突した際(「張鼓峰事件」)、ソ連軍艦船の接岸を恐れた日本軍が沈船で河口封鎖して以降、経済的には未開発状態におかれた豆満江河口付近(中、ロ、北朝鮮の国境隣接部)に内陸部のモンゴルにも連結する一大国際経済特区を設けるというものであった。

しかし、中国遼寧省への日本の投資、吉林省の朝鮮人自治区へ韓国の投資以外、環日本海国際経済交流という次元で見た場合、その後の事態は期待とはかなり違うものになった。表1に拠れば、対岸貿易は順調に増大しているように見えるが、増加はほとんど日本海を経由しない対中貿易によるのであり、01年の対韓貿易は後退、日ロ貿易、日朝貿易は長期に停滞している(表2、3参照)。そうなった原因は、北朝鮮の経済破綻、核開発、拉致問題に象徴されるように各国ごとにあるが、共通要因として言えるのは経済のグローバル化によって、利益が見込まれないこの地域に国際的にも国内的にも資金が振り向けられなかったことである。特に資金、技術、市場の提供者として期待された日本が当初と全く異なる経済環境を迎えたこと、中国への資金と貿易市場の集中が北東アジア経済の発展と競合したことは決定的であった。

2. 停滞の背景─グローバル化

2002年3月、ロシア政府は「2010年までの極東ザバイカル地域の経済・社会発展プログラム」を決定した。4月には、海南島でボアオ・アジアフォーラム(小泉首相出席)が、5月には、中国東北地方の「改革・開放」を計画化した中国政府が「北東アジア経済サミット」を開催した。6月には「日本・モンゴル外交樹立記念30周年記念シンポジウム」が、同じく6月、ウラジオストックにおいて、ロシア政府及び国連開発計画(UNDP)共催の「豆満江開発計画政府間年次会合」が開かれた(中、ロ、韓、北朝鮮、モンゴル政府代表参加。日本はオブザーバー参加)。北東アジア経済開発の新しい動きが始まったように見える。同年9月の日・朝首脳会談も、こうした国際的な動きと無関係でなかったに違いない。しかし、環日本海経済交流について、われわれは厳しい現実を踏まえた展望を持つ必要があろう。

日本経済のバブル化、金融自由化で資金が環日本海地域ではなく期待収益が大きいアメリカその他の先進国市場へ向かった。その後の円高と不況のもとで、企業は元安で人件費が極端に安い中国南部に投資を進めた。金融機関の「健全化」と財政緊縮を掲げる政府は長期資金を必要とする開発計画への関与を回避し、民間金融機関も関与する余裕はなかった。他方、中国は、これまでの経験をさらに東北開発に応用しようとしている。土地と労働力の提供、外資を利用したインフラ整備、外資の導入、外国企業の技術吸収、製品の輸出である。軸になる日本経済は企業の対外投資推進、国内投資減退で低迷を続けている。空洞化と金融不安は韓国も襲っている。環日本海経済交流という点では困難な状況はさらに進行している。

3. 環日本海交流発展の現実性

この状況下で現実的な国際協力とは、日本による輸入を当て込んだ特区開発や巨額な資金を投入する開発計画よりも、日本にとって利益のある資源開発、観光、日本海の環境保全及びそれと結びついた航路・港湾整備事業であろう。しかし、短期高利潤を求める民間資金に拠ってはそれは難しく、それは政府の政策として実行する必要がある。中、ロ、北朝鮮が提起する国際鉄道計画が仮に実現できたとしても、経済実態から大きく離れた元安・ドル安が維持される限り、それは中国製品の今以上の欧州市場進出促進に終わり、わが国日本海沿岸域の輸出が成長する可能性はない。資源、環境という点での中長期的な日本の利益を明確にしつつ、国際公共利益の視点を提起することが必要であろう。また日本経済を苦境に追い込んでいる最大の要因である元安・ドル安そのものの是正を中国・米国に求めるというグローバルな視点を明確にするべきである。「環日本海経済圏」を夢のように語る時期は終わった。日本海を対馬暖流に象徴される「豊か」で人、文化、もの、資金が頻繁に行き来する「平和で暖かい海」に変えるには、熱い心を持ちながらも冷戦構造崩壊後の国際関係を冷静に観察し、事態適応・打開的な政策を提起することが必要である。(了)

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