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オーシャンニューズレター

第66号(2003.05.05発行)

第66号( 2003.05.05 発行)

浦賀ドック野外博物館設立への運動 ~体験型造船所博物館と技術教育の意義~

浦賀ドック野外博物館設立推進会議代表幹事、岡山理科大学教授、産業考古学会評議員◆若村国夫己

平成15年3月、神奈川県横須賀市の住友重機械工業横須賀製造所浦賀艦船工場が、明治30年の浦賀船渠設立以来105年間つづいた操業に幕を閉じた。現在、造船所の跡地利用を巡っては様々な思惑が入り乱れており、横須賀市は策定委員会を組織し、街づくりの視点から素案を提示し市民に意見を求めているが、まもなく最終決定がなされようとしている。本稿では、跡地利用の一案として、造船所の施設をそのまま保存し、体験型野外博物館を設立しようという運動を紹介する。

わが国の近代造船業の始まりはペリー来航の年に幕府が洋式軍艦の威力を知り、大船建造禁止令を解いた150年前である。明治には鉄と作業員を大量に必要とする造船業が盛んになった。昭和30年代には船の各部分を並行してブロックごとに造り完成期間を大幅に短縮する工法で建造量世界一を達成した。その後世界一を誇ってはきたが、ロンドン校外のチャタムやボストン近郊のミスティックシーポートの様な歴史的造船所そのものを保存し後世につなげる博物館は未だ作られていない。

産業考古学の視点から

造船所のような歴史的工場をそっくり活用し、作業実習や技術見学、実験などを体験できる野外博物館は昨今の理科離れ対策には極めて有効である。伝統技術の継承とあわせて新技術創生へ寄与する施設としてもその必要性が増している。われわれはこの対象として神奈川県横須賀市にある住友重機械工業浦賀艦船工場に注目し、日本初の野外造船所博物館の設立を目指している。野外造船所博物館の設立により多くの海事展示物を全国各地から集められ、産業考古学※1 や海事史など学術的方面への大きな貢献も期待できる。産業考古学会では技術移転に伴う歴史的工場の閉鎖時に工場所有者との協力で産業遺産保存の活動を続けている。

造船発祥の地、浦賀

幕府は黒船来航の年に日本最初の洋式船の造船所を浦賀に設け、大型洋式帆船軍艦鳳凰丸を建造した(写真1)。間もなく日本で最初の乾ドックが造られ咸臨丸が修理された。いずれも日本の造船・船舶史上特筆すべき出来事であり※2 、近代造船の発祥を特徴づける。この場所に明治30年、時の農商務大臣榎本武揚等の進言で浦賀船渠が設立された※3 。しかし2003年3月末で105年間の操業に幕を閉じた。

実物が語る魅力

もし、浦賀ドック野外博物館の設立が実現すれば、こんな光景が展開されるだろう。

明治に造成された日本唯一のレンガ積み乾ドックの底に降りて船底を見る。造船世界一を支えたすべり台式マンモス船台を歩いてタンカーの長さや幅を実感する。クレーンから造船所全景を見下ろす。受電施設や工場建物群。広さ、高さ、深さの3次元的体験で造船所をまるごと知る(写真2)。さらに透明壁水槽の中で測るスクリューの推進力や種々の形の船首の受ける水の抵抗力等の技術進歩の実測体験、風洞での帆船やヨットの風の力学、櫓や櫂の推力比較、各種造船技能の作業実演と実習、停泊船見学等、身体で感じる造船や船舶の技術。模型、映像、体験とで分かり易く船と海への興味を育む。これが浦賀ドック博物館である。寺院でいえば、五重塔だけでなく、山門、金堂、鐘楼等の全体で境内の広さや建物配置、また読経や鐘突作業等を併せなければ寺院全体を知りえないのと同じことだ。

さらに江戸時代の景観の残る湾内でのカッターや和船の櫓こぎ体験などを通じて、各種教育機関の新入生、県内や近県の小・中学生が一度は訪れる価値のある博物館となり得る。他方、海員教育機関とは相互提携プランを是非実現したい。新入生は博物館内での数日の宿泊研修で技術体験や近代化遺産を巡る。一方、停泊船は一般公開や湾内での航行を行い、船の走る姿の素晴らしさを来館者に見てもらう。

21世紀には技術の多様性の重要性がいわれる。一方、日本の伝統技術はヨーロッパ技術と相対する特徴を持つ。この点で伝統技術を保存継承すべきである。博物館内に和船の技術研修場を設置し、船大工から技術を引き継げる最後の機会を生かしたい。

博物館運営の条件の一つに来館者の数が上げられる。人口密集地の東京、横浜、川崎から日帰りの見学が可能である事は好条件となる。また周辺には日本初の洋式観音崎灯台、日本初の保存船・戦艦三笠、横須賀造船所時代の蒸気ハンマー、ペリー上陸地点や浦賀奉行所の復元灯明堂(伝統和式灯台)、猿島の旧軍要塞跡など産業観光地域を有しているので、野外博物館と結びつけ日本の近代産業のあけぼの期の見学・体験ツアーで魅力を増す。

地域と企業の協力が必要

操業停止工場を博物館に変身できるか否かは工場閉鎖迄のわずかな時間内で跡地購入が可能となるか否かで決まる。今回、住友重機械工業は工場跡地を売却意向だが3月の時点では売却先が決まっていないと聞く。推進会議では工場購入の価値を国に認めてもらうため、関係団体、学会、協会の責任者に委員や賛同者として活動に参加をいただいている。多くの方々の協力無くしては国への働きかけは難しい。

一方で横須賀市は策定委員会を組織し、街づくりの視点から跡地への高層ビル建設を含む素案を提示し市民に意見を求めた。地元浦賀町では全体保存博物館以外に大型店舗誘致や道路整備等の跡地利用希望もある。市や町の視点ではもっともな意見かも知れない。博物館の設立は日本の技術・文化教育環境には重要であっても、地域としての必要性が高いとは限らないからである。省庁は、市の意向なしでは動き難い状況にあり、文化財指定なども学会の意見は出発点にはならない。国として必要度の高い産業文化遺産や自然環境を生かし残す事の難しさを感じる。

産業遺産保存対象の建物が博物館設立の方向が出る前に整理される場合には、経営者の理解にすがるしかない。

伝統和船が失われ、明治から続いた歴史的造船所が次々閉鎖されていく中、理科・技術離れが声高に叫ばれ、技術立国が危ぶまれる。こうした中で問題を解決し、21世紀の日本の技術に大きく貢献できる野外造船所博物館設立の運動に、一人でも多くに方々に加わっていただきたい。(了)

◎写真1 ◎写真2

◎写真1/浦賀で建造された日本最初の洋式大型帆船軍艦鳳凰丸。伝統和船大工の創意工夫により建造期間が大きく短縮された(資料:東京大学資料編纂所蔵)
◎写真2/浦賀ドック造船所博物館候補工場。左上にあるのは明治のレンガ積式乾ドック。中央あたりにはすべり台式マンモス船台と平成の乾ドック、右下には戦時中造成の艤装岸壁と戦後の造船ビルが見える

※1 産業考古学:産業遺産や関連資料を、野外調査を中心とする考古学的手法で調べ、過去の生活活動の実態解明と歴史的意義を探求する学問。研究対象は日本の伝統産業から近・現代産業で使用や製作された各種の機械、道具、工場施設、建築物、構造物、図面、写真等。

※2 渡辺加藤一「幕末維新の海」(成山堂)1999

※3 浦賀船渠株式会社六十年史(浦賀船渠株式会社)1956

<参考> 安達裕之 「日本の船を復元する」 第三章、石井謙治監修(学習研究社) 2002

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