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オーシャンニューズレター
第589号(2025.02.20発行)
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国際海洋法裁判所における気候変動勧告的意見
KEYWORDS
国際法/国際裁判/交渉整序・促進
東北大学国際法政策センター 学術研究員◆山下毅
国際海洋法裁判所の勧告的意見は、国連海洋法条約の締約国が人為的な温室効果ガス排出による気候変動の悪影響としての海洋環境汚染から海洋環境を保護・保全する義務を負うと判断した。
気候変動に関する海洋環境問題について多数の国と国際機関による積極的な意見交換が行われ、また将来のさらなる交渉を促進するために論点の整序がなされた。
紛争解決機関としての同裁判所の重要な意義が、こうした交渉整序・促進から見出される。
気候変動に関する海洋環境問題について多数の国と国際機関による積極的な意見交換が行われ、また将来のさらなる交渉を促進するために論点の整序がなされた。
紛争解決機関としての同裁判所の重要な意義が、こうした交渉整序・促進から見出される。
気候変動勧告的意見における国際海洋法裁判所の判断概要
2024年5月、国際海洋法裁判所は、「小島嶼国委員会により付託された気候変動と国際法に関する勧告的意見の要請」(第31号事件)(以下「気候変動勧告的意見」)において、海洋における気候変動問題について重要な判断を下した。概要は以下のようにまとめられる。
人為的な温室効果ガス排出は、国連海洋法条約の「海洋環境の汚染」に該当する。同条約の締約国は、海洋環境の汚染を防止、軽減、規制し、また海洋環境を保護・保全する義務を負う。
具体的な義務内容にも言及され、以下のように概括される。温室効果ガスの削減、国内の温室効果ガス排出による越境環境損害の防止、国際機関等との協力、国際的な規則や基準などに従った国内法令の制定および執行、海洋環境汚染リスクの観察・報告書公表・環境影響評価の実施、生態系を含む生物資源の保護・保全などである。義務として求められる行為は、締約国ごとの事情に即して個別に異なる。その際、科学的知見が重視される一方で、科学的確実性を伴わない予防的な措置が要求される場合がある。また、気候変動枠組条約およびパリ協定などの条約が考慮される。さらに、先進国は途上国よりも厳格な基準が適用され、気候変動により特に影響を受ける開発途上国を支援する義務がある。
気候変動勧告的意見は、気候変動と国際法に関する小島嶼国委員会(COSIS)からの諮問事項に回答したものである(図)※1。紙幅の都合上、多岐に渡る論点の全てには言及できない。本稿では、海の専門裁判所である国際海洋法裁判所が果たす役割に注目し、気候変動勧告的意見の意義に言及する。
人為的な温室効果ガス排出は、国連海洋法条約の「海洋環境の汚染」に該当する。同条約の締約国は、海洋環境の汚染を防止、軽減、規制し、また海洋環境を保護・保全する義務を負う。
具体的な義務内容にも言及され、以下のように概括される。温室効果ガスの削減、国内の温室効果ガス排出による越境環境損害の防止、国際機関等との協力、国際的な規則や基準などに従った国内法令の制定および執行、海洋環境汚染リスクの観察・報告書公表・環境影響評価の実施、生態系を含む生物資源の保護・保全などである。義務として求められる行為は、締約国ごとの事情に即して個別に異なる。その際、科学的知見が重視される一方で、科学的確実性を伴わない予防的な措置が要求される場合がある。また、気候変動枠組条約およびパリ協定などの条約が考慮される。さらに、先進国は途上国よりも厳格な基準が適用され、気候変動により特に影響を受ける開発途上国を支援する義務がある。
気候変動勧告的意見は、気候変動と国際法に関する小島嶼国委員会(COSIS)からの諮問事項に回答したものである(図)※1。紙幅の都合上、多岐に渡る論点の全てには言及できない。本稿では、海の専門裁判所である国際海洋法裁判所が果たす役割に注目し、気候変動勧告的意見の意義に言及する。

■図 COSIS代表団
国際海洋法裁判所の2つの制度
国際海洋法裁判所は、国連海洋法条約に基づき設立された。その目的は、条文採択時に曖昧さを残した規則の明確化と条約秩序の維持である。同裁判所には、訴訟判決と勧告的意見という2つの手続きがある。訴訟判決では、国家間の法的見解の衝突として生じた紛争に拘束力のある判決を与え、その履行により解決する。
これに対し、勧告的意見は、国際機関が自身の活動を行う際に生じる法的問題について裁判所が見解を示す制度である。勧告的意見は拘束力がないが、裁判所の権威により重要な影響力を持つ。また、訴訟判決で判断されるのは具体的な法的紛争という形のみであるのに対し、諮問事項を自由な内容で設定できる勧告的意見では、より柔軟な問題解決を図ることが可能である。
いかなる国際機関のいかなる海洋事項について、裁判所が勧告的意見を付与できるのか不明瞭だったが、先例を通じて発展した。2016年の西アフリカ地域漁業委員会(SRFC)勧告的意見では、国連海洋法条約を実施するための国際機関の任務遂行のために意見を付与する権限が認められた※2。今回の気候変動勧告的意見はさらに、意見要請そのものを任務とする国際機関の諮問要請にも意見を付与したことから、裁判所の勧告的意見の権限は積極的に拡張される傾向が窺える。
これに対し、勧告的意見は、国際機関が自身の活動を行う際に生じる法的問題について裁判所が見解を示す制度である。勧告的意見は拘束力がないが、裁判所の権威により重要な影響力を持つ。また、訴訟判決で判断されるのは具体的な法的紛争という形のみであるのに対し、諮問事項を自由な内容で設定できる勧告的意見では、より柔軟な問題解決を図ることが可能である。
いかなる国際機関のいかなる海洋事項について、裁判所が勧告的意見を付与できるのか不明瞭だったが、先例を通じて発展した。2016年の西アフリカ地域漁業委員会(SRFC)勧告的意見では、国連海洋法条約を実施するための国際機関の任務遂行のために意見を付与する権限が認められた※2。今回の気候変動勧告的意見はさらに、意見要請そのものを任務とする国際機関の諮問要請にも意見を付与したことから、裁判所の勧告的意見の権限は積極的に拡張される傾向が窺える。
勧告的意見を通じた交渉整序・促進
気候変動枠組条約やパリ協定など気候変動問題に関する主要な条約は、主に陸上や大気での環境問題を対象とし、海洋への悪影響を直接規律していない。また、海洋の主要な条約である国連海洋法条約は、1982年に採択された当時、気候変動問題を想定していなかった。そのため、条約には「気候変動」という文言が登場しない。そのため、気候変動勧告的意見は、海洋における気候変動問題を扱う新しい国際法の枠組みを切り開く、画期的な判断だと評価される。
気候変動勧告的意見で裁判所が示した判断だけで、海洋環境問題が解消される訳ではない。そのため、国際海洋法裁判所の伝統的な目的と異なる。むしろ、手続きを通じてさまざまな国や国際機関を集結させ、気候変動による海洋環境問題について他の条約内容も交えながら積極的な意見交換を促し、かつ将来の解決に向けたさらなる交渉のために議論が整序されたことに重要な意義があると言える。今後、気候変動勧告的意見を踏まえ、気候変動問題の解決のために活発な議論の可能性が示唆される。
第一に、国際司法裁判所と米州人権裁判所という2つの勧告的意見手続のもと、気候変動問題が審理中である。国際海洋法裁判所の勧告的意見はこれらの手続きに影響を与えると考えられる。また、諸所の勧告的意見が気候変動問題の交渉過程にどういった影響を与えるのか、検討が必要である。
第二に、気候変動勧告的意見における抽象的で理論的な問題への回答を踏まえ、気候変動問題に関する具体的な二国間紛争が国連海洋法条約の訴訟判決手続に付託される可能性がある。この可能性は、国連海洋法条約裁判手続が持つ義務的性質に鑑みると重要な意味を持つ。国際裁判は、紛争当事国が国際裁判で解決することに合意しない限り、裁判所は当該紛争を扱えないという任意裁判が原則である(国際裁判の管轄権同意原則)。これに対し、国連海洋法条約裁判手続は都度の合意を要さず、紛争当事国のどちらかが一方的に紛争を付託することができる。つまり、他方当事国は義務的に裁判に服する。この点で注目されるのは、気候変動枠組条約やパリ協定では、同条約の解釈・適用に関する紛争を国際裁判で解決するには紛争当事国の合意を要すると定めている点である。つまり、国際社会では、気候変動問題を裁判に付託するには都度合意を要するという認識だったにもかかわらず、国連海洋法条約裁判手続を通じて強制的に裁判に服する可能性を示唆している。
以上のように、国際海洋法裁判所自体は海洋における気候変動問題を解消しない。むしろ、さまざまな国や機関による積極的な議論の継続が必要である。今回の勧告的意見は、これまでの議論を整序し、そして今後の議論を促進した点に、重要な意義が見出される。(了)
気候変動勧告的意見で裁判所が示した判断だけで、海洋環境問題が解消される訳ではない。そのため、国際海洋法裁判所の伝統的な目的と異なる。むしろ、手続きを通じてさまざまな国や国際機関を集結させ、気候変動による海洋環境問題について他の条約内容も交えながら積極的な意見交換を促し、かつ将来の解決に向けたさらなる交渉のために議論が整序されたことに重要な意義があると言える。今後、気候変動勧告的意見を踏まえ、気候変動問題の解決のために活発な議論の可能性が示唆される。
第一に、国際司法裁判所と米州人権裁判所という2つの勧告的意見手続のもと、気候変動問題が審理中である。国際海洋法裁判所の勧告的意見はこれらの手続きに影響を与えると考えられる。また、諸所の勧告的意見が気候変動問題の交渉過程にどういった影響を与えるのか、検討が必要である。
第二に、気候変動勧告的意見における抽象的で理論的な問題への回答を踏まえ、気候変動問題に関する具体的な二国間紛争が国連海洋法条約の訴訟判決手続に付託される可能性がある。この可能性は、国連海洋法条約裁判手続が持つ義務的性質に鑑みると重要な意味を持つ。国際裁判は、紛争当事国が国際裁判で解決することに合意しない限り、裁判所は当該紛争を扱えないという任意裁判が原則である(国際裁判の管轄権同意原則)。これに対し、国連海洋法条約裁判手続は都度の合意を要さず、紛争当事国のどちらかが一方的に紛争を付託することができる。つまり、他方当事国は義務的に裁判に服する。この点で注目されるのは、気候変動枠組条約やパリ協定では、同条約の解釈・適用に関する紛争を国際裁判で解決するには紛争当事国の合意を要すると定めている点である。つまり、国際社会では、気候変動問題を裁判に付託するには都度合意を要するという認識だったにもかかわらず、国連海洋法条約裁判手続を通じて強制的に裁判に服する可能性を示唆している。
以上のように、国際海洋法裁判所自体は海洋における気候変動問題を解消しない。むしろ、さまざまな国や機関による積極的な議論の継続が必要である。今回の勧告的意見は、これまでの議論を整序し、そして今後の議論を促進した点に、重要な意義が見出される。(了)
※1 背景や手続きにおける議論の概要は、「海の論考・Ocean PerspectivesNo.27」藤井麻衣著「「海洋と気候変動」問題を法的側面から見る:国際海洋法裁判所の勧告的意見口頭手続の速報」で紹介されている
https://www.spf.org/opri/global-data/opri/perspectives/prsp_027_2023_fujii.pdf
※2 兼原敦子著「国際海洋法裁判所の大法廷が勧告的意見を出す管轄権」本誌381号(2016年6月20日発行)
https://www.spf.org/opri/newsletter/381_1.html
https://www.spf.org/opri/global-data/opri/perspectives/prsp_027_2023_fujii.pdf
※2 兼原敦子著「国際海洋法裁判所の大法廷が勧告的意見を出す管轄権」本誌381号(2016年6月20日発行)
https://www.spf.org/opri/newsletter/381_1.html
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