Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第589号(2025.02.20発行)

国際海洋法裁判所判事の18年

KEYWORDS 国連海洋法条約/判例の推移/海洋法発達への貢献
元国際海洋法裁判所判事※◆柳井俊二

国際海洋法裁判所は国連海洋法条約で創設され21人の判事で構成される。
日本の初代判事山本草二教授が1期9年務めた後、筆者が2期18年務めた。
判事の大多数は、付託される事件に最善の解決を見出そうと努力するので、多数判事間の議論を重ねて判決の方向性が出てくる。
国際海洋法裁判所は、創設後約30年で世界に評価され、境界画定事件等の大型事件も受理するようになり、その判例は海洋法の発達に寄与している。
強く説得されて判事に立候補
国際海洋法裁判所(International Tribunal for the Law of the Sea:ITLOS)は、1982年に採択された国連海洋法条約により、国家間の海洋紛争解決等に特化する裁判所として創設され、1996年にその活動を開始した。ITLOSは、世界の海洋法専門家の中から国際選挙で選ばれる21人の判事で構成される。日本からは、海洋法の権威であられた山本草二教授が最初の選挙で当選され、1期9年の任期を務められた。任期が満了する2005年の前年外務省から筆者に対し、同判事の後任として立候補して欲しいとの依頼があり、山本判事からも「自分は一期で辞めたい。後は君やってくれ。」といわれた。筆者はそろそろのんびりしたいと思って、この依頼をお断りした。しかるに、外務省と山本先生から強く説得され、しぶしぶ立候補したら高得点で当選してしまった。その任期が5年ほど過ぎた頃、ITLOSの新所長を互選で選ぶことになった。筆者は所長になる気はなかったが、同僚達の推薦により全会一致で当選してしまった。
所長の任期は3年で、その間裁判所所在地のドイツ・ハンブルグに常駐しなければならない。事件の裁判長を務めるのは当然として、判決等の案を書き起こす起草委員会の委員長も務める。事件が21人の判事からなる大法廷に付託される場合、起草委員会は委員長を含めて通常5人の判事で構成され、各委員が分担して第1次案を起草する。大法廷から大体の方向性が示されているとはいえ、白紙から第1次案を書き起こすのは大変な作業である。判決等は、第3次案まで作成して投票に付する。所長は、また、裁判所の行財政もつかさどり、さらには国連総会等の国際会議で裁判所を代表する任務も負うので、大変な激務である。こうして、外務省と前任の山本判事に強く説得されてなった判事職であったが、再選の後、気が付けば2期18年の任期を終えて、2024年5月に退任した。
緑豊かな環境に佇むITLOSの全景

緑豊かな環境に佇むITLOSの全景

ITLOSでの得難い経験
ITLOSの21人という裁判官の数は、古くからある国際司法裁判所(International Court of Justice:ICJ)の15よりかなり多い。これは、特に開発途上国がITLOS判事の構成は世界の各地域をより良く代表すべきだと主張したからである。筆者は、ITLOSに着任した当初、21人という多数の判事の間で、各事件について一体多数意見がまとめられるのか大変不安を感じた。実際の紛争事件についていうと、まず当事国が通常2回ずつ書面で自国の主張をし、その後法廷で口頭弁論を行う。大法廷の場合、21人の判事は、当事国の主張を聞いた上で議論し、どのような判決を起案するかの方向性を見出すよう努力する。確かにこのような審議の当初は、議論百出で一見収拾がつかないが、議論を重ねて行くうちに解決の方向性が出てくる。21人の判事達は21の異なる国の出身であり、言語も文化も、さらには法体系も異なる背景の法律家である。それにもかかわらず、解決の方向性が出てくるのは、大多数の判事達が事件に最善の解決をもたらそうという気持ちを持っているからだと感じた。原則5人で構成する小法廷の場合は、意見の取りまとめがより容易である。18年の経験を通じて、議論の結果いわば「集団的英知」というものが生まれてくることを知った。また、途上国出身の裁判官を含め、世界の優秀な法律家達との議論を通じて多くを学ぶことができた。
ITLOSの判例と海洋法発達への貢献
ITLOSは、これまで33の事件を受理し、27件について判決、決定等を下した。ITLOS発足後10年ほどは、沿岸国の排他的経済水域(EEZ)で拿捕された外国漁船の早期釈放、紛争当事国の権利保全等のための暫定措置といった緊急手続き事件が大部分であった。しかし、その後世界でITLOSの認知度が深まるにつれ、商船の拿捕に関する損害賠償事件、領海、EEZ、大陸棚の境界画定事件、海洋法条約の解釈を明らかにする勧告的意見のような大型案件が付託されるようになった。これらの事件のうち、日本は、「みなみまぐろ事件」でニュージーランドと豪州に訴えられ、「豊進丸事件」と「富丸事件」でロシアを訴え、被告としても原告としてもITLOSに出廷している。
海洋法を含む国際法では、国際裁判における判例が規則の形成や明確化に重要な役割を果たしており、ICJにその例が多い。ITLOSも約30年にわたる活動を通じてそのような判例法の形成に貢献するようになった。ITLOSの判例が海洋法の発達に貢献した主な例としては、次のようなものがある。今日の海運では船舶の所有者、乗組員、荷主等は多国籍であるので、その船舶が外国に拿捕されたような場合には、個々の関係者の本国が外交保護権に基づいて関係者の利益を保護することは事実上できない。そこで、船舶が登録されている国(旗国)がこれら多国籍の関係者の利益を一括して保護する、すなわち、乗組員、積荷等を含め船舶を一体として扱うとの原則をITLOSは打ち出した。EEZ内で拿捕された漁船等を「合理的な保証金」の支払いにより早期に釈放する制度に関しては、ITLOSは「合理的」の意味を具体的に示した。また、ITLOSは、ベンガル湾の大陸棚に関するバングラデシュとミャンマーとの間の紛争について、200海里を超える大陸棚の境界を国際裁判で初めて画定した。さらに、国連海洋法条約の採択後に発達したバンカリング(洋上補給)という事業をEEZ内で外国のタンカー等が外国漁船に提供する場合、EEZの沿岸国がこれを規制する権限を持つことを判示した。他方、深海底活動、違法・無報告・無規制(IUU)漁業および気候変動に関する3件の勧告的意見により、国連海洋法条約の不明確な規定を明らかにした。(了)
筆者が最後に裁判長を務めた、IUU漁業に関する「西アフリカ地域漁業委員会(SFRC)勧告的意見」口頭弁論の様子

筆者が最後に裁判長を務めた、IUU漁業に関する「西アフリカ地域漁業委員会(SFRC)勧告的意見」口頭弁論の様子

※ 2005年から2024年まで国際海洋法裁判所判事(2011年〜2024年同裁判所所長)

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