Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第549号(2023.06.20発行)

海洋生物多様性の解明に向けて─十脚甲殻類を例に

KEYWORDS 環境DNA/新種/分類学
千葉県立中央博物館動物学研究科科長◆駒井智幸

分類学は地球上の生物多様性の解明を目指す学問であり、新種の記載・公表は分類学の重要な役割の一つである。
十脚甲殻類(エビ・カニ類)を例に研究の実践と最新の動向について紹介する。
分類学とは?
筆者が取り組んでいる研究は十脚目甲殻類を対象とした分類学であり、その目的は種レベルでの多様性の解明である。種とは何か、という点については多くの論議があるが、動物学分野においては「生物学的種概念」が広く受容されている。「生物学的種概念」はMyer(1942)によって提唱され、「種とは互いに交配可能な自然集団で、他の同様な集団から生殖的に隔離されている集団」と定義された。しかし、実験的に生殖隔離を証明することは困難なことが多い。現実には形態情報しか得られていない種が未だ多く、定義を念頭に置きつつ、まずは形態をもとに離散的な集団(標本群)について「種」とする作業仮説を立て、追加情報によりその仮説を検証していくという形で研究が進められる。新たに認識された集団については、国際動物命名規約に則り新しい学名を付与し、形質比較に基づいた根拠を提示し、公表するのが新種記載である。
分類学的な研究を始めるには、基本的には分類群の選定を行う。エビ・カニ類に代表される十脚目は現在約15,000種が知られ、水産重要種も多い。しかし、実際に調べてみると多くの分類学的な問題があり、自身の研究対象として選定するきっかけとなった。研究を進めるにあたっては、標本コレクションは非常に重要である。国内各地を巡り、潮間帯での採集、刺網や底曳網などの漁業を通じた採集、さらに大学・研究機関の調査船による調査航海に参加し、コレクションを構築してきた。加えて国内外の研究機関からの同定(種を決定すること)依頼・標本提供もある。収集された標本の同定を行い、博物館のコレクションに登録し、データベース化を進めるが、その過程で種同定できない標本が出てくる。それらの標本が研究材料となる。同様の標本コレクションは世界各地の博物館・研究機関に所蔵され、分類学研究のソースとして大変重要なものである。欧州・北米の歴史ある大規模な博物館には種の学名を決定する上で重要なタイプ標本(新種の発見の根拠となった標本)が多く所蔵されていて、研究のためのリファレンスとなっている。
新種の発見とは
新種の発見は分類学の全てではないが、重要な一面であることは間違いない。新種であると結論づけるには、まずは既知種の情報が網羅されていなければならず、文献や標本との比較が不可欠である。文献の情報が不十分であれば、必要な標本を借用する、あるいは所蔵先を訪れ標本を調べるなどの作業が必要となる。
海洋生物においても新種が発見されやすい場所・環境というのはやはりあり、まずは深海である。調査がされていなかった海域から得られた標本を調べたら未知の種(=新種)だったという例は多い。これまで手がけた例として北海道根室海峡を紹介する。知床半島と北方領土問題を抱える国後島の間の狭い海峡であり、調査船による深海調査などはほぼ不可能な場所であるが、エビ籠や刺網などの漁業が行われている。最近になり、ふくしま海洋科学館(アクアマリンふくしま)が深海生物の採集を行うようになり、採集された標本が研究に供される機会が得られるようになった。これまでに7種のコエビ下目の新種を発表した。そのうち、ダイオウキジンエビ(図1)は地元では食用とされていたエビであったが、2016年にやっと新種として発表された。この種は、論文発表後に産地である羅臼町のふるさと納税の返礼品とされた。新種の発見が地元の産業に貢献した一例かもしれない。一方、海水浴場のような身近な場所でも新種が見つかることがある。干潟や砂浜に巣穴を掘って生息するテッポウエビ類やスナモグリ類などの内在性種(砂や泥などの海底に巣穴を構築する、あるいはそれらの巣穴に共生する生物種)では、以前はスコップで砂を掘るなどして標本を採集していたが、標本を得るのが難しかった。しかし、近年、ヤビーポンプと呼ばれる吸引式の採集器具が普及してきた(図2)。もともとは釣り餌を採るための道具であるが、ハンドルを引くだけの操作で瞬間的に水・砂ごと吸引できるので、効率的に標本を得ることができる。国内各地で調査を進め、新種についても逐次公表してきた。もう一つ、重要なのが、スキューバダイビングにより潮下帯で採集された資料である。潜水し、直接目視で観察しながら標本が得られるので、漁業やドレッジなどの採集器具では採集できない共生性種や小型種などの新種が多く発見されてきた。このようにして収集したコレクション、あるいは他の研究機関に所蔵されているコレクションを研究して筆者がこれまで発表してきたエビ・カニ類の新種は400種を超える。
■図1 ダイオウキジンエビ

■図1 ダイオウキジンエビ

■図2 ヤビーポンプで砂泥を吸引する様子

■図2 ヤビーポンプで砂泥を吸引する様子

今後の展開─海洋保護区

海洋保護区とは、海の生物多様性保全と生態系サービスの持続可能な利用を目的として規制や管理措置を講ずるために特定された海域のことである。漁業による乱獲や生態系の破壊などによって絶滅が危惧される海洋生物の保護や、繁殖地などの地形の保全を目的として設けられる。海洋保護区を設定することで、生物多様性の保全を推進する動きが世界的に活発になっている。わが国では、2020(令和2)年12月3日に、沖合海底自然環境保全地域として、4海域(①日本海溝の最南部および伊豆・小笠原海溝周辺、②中マリアナ海嶺と西マリアナ海嶺、③西七島海嶺、および④マリアナ海溝北部)が指定された。しかし、これらの海域での調査実績は乏しいのが現状であり、環境省からの委託を受け、2020年から(国研)海洋研究開発機構の調査船を用いた調査が3カ年計画で始まった。このプロジェクトでは指定海域の深海生物多様性の調査・モニタリング方法の開発とその応用における政策提言を主要な目的としている。筆者も一連の調査航海に参加し、甲殻類標本の採集、映像・画像の記録に携わってきた。すでに、新種も報告されている。さらに、今回の研究プロジェクトでは環境DNAを使った深海生物のモニタリングの技術開発を目的とした。環境DNAメタバーコーディングは、環境中のDNAをPCR増幅した後、シーケンシングし、得られた塩基配列をデータベースと照らし合わせ、生物種を同定する技術である。新種記載を含めた分類学的な研究の成果は塩基配列データベースの充実に大きく貢献する。分析はまだ現在進行中であるが、データベースの配列に一致しない配列が多く得られており、このことは未知の種の存在を予測するものと期待している。(了)
 

※参照笠井亮秀著「豊かな沿岸を育む森林の役割」本誌第528号(2022.8.5) 
https://www.spf.org/opri/newsletter/528_2.html

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