Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第528号(2022.08.05発行)

豊かな沿岸を育む森林の役割

[KEYWORDS]森川里海連環/環境DNA/絶滅危惧種
北海道大学水産科学研究院教授◆笠井亮秀

日本では昔から海の生産に陸域の影響が及んでいると想像されていたが、その実態をつかむことは容易ではなかった。
そのような中、近年開発された「環境DNA」という手法は、従来の手法よりも簡便に、ある環境に生息している生物を調べたり、多様性を評価したりすることができるとして注目されている。
環境DNAを用いることで、森‐川‐里‐海の関係性がより鮮明に浮かび上がってきた。

森川里海の連環

日本には魚つき林※1という考え方があるように、海の生産に陸域の影響が及ぶことは古くから想像されていました(図1)。漁師であり文筆家でもある畠山重篤氏は、「森は海の恋人」というキャッチフレーズで、1980年代より豊かな海づくりのための森林整備や植林活動を牽引してこられました※2。当初は漁業者に主導されていましたが、その活動が進むにつれ、行政や多くの市民の共感を得て、今では全国的な社会運動にまで発展しています。
森林が海に及ぼす影響を科学的に実証するひとつの方法は、海の生物多様性を調べることです。生物多様性は、生態系の健全性を表すきわめて重要な指標であり、気候変動と関連して持続可能な社会を形成する上で、将来にわたり保全すべき最重要項目と位置付けられています。しかし、例えば水中に何種類の魚類が生息しているのかを調べることは容易ではありません。岩陰や底泥中に潜み夜間のごく限られた時間帯にしか活動しない魚種を潜水観察することは困難ですし、絶滅危惧種のような希少生物を安易に捕獲することも避けたいところです。そのため、陸域の人間活動が河川を通して河口や沿岸の生態系にどのような影響を与えるのか、科学的な証拠を得るのは難しかったのです。

■図1 森‐里‐海は、河川を通じてつながっている。左上図:わが国の沿岸漁業漁獲量は1980年代中期以降、長期的に減少し続けている。

環境DNAによる分析と環境データ解析

近年、生物の排泄物や皮膚などに由来し環境中に存在するDNAを調べることにより、そこに生息する生物を特定したり、多様性を評価したりできる環境DNA手法が開発されました※3。この手法は従来の手法に比べて、1)現場での作業が簡便、2)場所に依らず統一した手法で評価可能、3)生物を捕獲しないので生態系に優しい、などといった多くの利点があります。なかでも環境DNAメタバーコーディング法は、多数の生物種を一度に網羅的に判別できるため、近年多くの調査で用いられるようになってきました。メタバーコーディングとは、DNAをバーコードのように見立てて種を判別する技術です。生物はもともとは共通の祖先から進化してきたため、特定の分類群(例えば魚類)の中では生物種間で共通した遺伝子を持っています。その共通したDNA配列を目印としながら、種ごとに異なるDNA配列を解読し、既存のデータベースと照合することで、その分類群の多数の生物種を一度に網羅的に判別することができます。この方法によって河口や沿岸域における生息種や多様性を分析し、その結果を陸域の環境、社会的要因、土地利用などのデータと統合すれば、森と海の関係を定量的に調べることができます。
筆者らは環境DNA手法を用いて森と海の関係を定量的に調べるため、全国の109の一級河川から長さが150kmを超える巨大河川を除き、日本全国に分散するなどのいくつかの条件で機械的に北海道から九州までの22河川を選びました。そして夏季にそれらの河川の河口域で採水し、得られたサンプルに対し環境DNAメタバーコーディング分析を行いました。調査時の水温や塩分などの環境データに加えて、地方自治体・国土交通省・環境省などのさまざまな機関から報告された環境データ(流量・溶存酸素濃度・全窒素濃度・懸濁物濃度・pH)、土地利用データ(流域面積・人口密度・森林面積・水田面積・水田以外の農地面積・建物用地面積・荒地面積など)を収集しました。さらに、Google Map画像から河口域の護岸率を計測しました。そして環境DNAメタバーコーディング分析により検出された各河川の河口域における魚種数およびレッドリスト掲載種(絶滅危惧種)の数と、水質環境・土地利用・人口密度との関係を解析しました。

森林率が高い沿岸ほど希少種が多い

22河川の河口域から、58科、128属、186種の魚類が検出されました。この中には、49種のレッドリスト種と7種の外来種が含まれています。河川ごとの出現種数は20種~60種、レッドリスト種は3種~11種でした。この種数と環境要因および土地利用との関係を調べたところ、両者の間に明瞭な相関は認められませんでした。そこで、レッドリスト種数と環境要因との関係に絞って分析したところ、森林率が統計的に有意に正の影響を与えていることが分かりました。つまり、森林率が高い流域を持つ河川の河口域には、より多くの希少種が生息していることになります(図2)。一方、森林率以外の全ての要因について、レッドリスト種数との間に統計的に有意な関係は認められませんでした。
この結果は、豊かな森林が豊かな沿岸域を育むことを意味しています。これは、森林保護の効果の評価において極めて重要なポイントです。しかし、森林の何が海域の多様性を育んでいるのかは、この調査からは分かりません。豊かな森と豊かな海をつなぐ科学的なメカニズムについては、まだわからないことが多く残されています。これまでに、森林の保水力を通して洪水や渇水などの極端な水量変化を和らげることや、河川から海域に流れ込む土砂などの微細粒子が生態系に悪影響を与えることが、報告されています。一方で、植物プランクトンや海藻などの基礎生産において鍵を握るのは栄養塩の供給です。河川を通じて海域に豊富な栄養塩がもたらされることで、河口・沿岸域の生産性が向上します。しかし森林が豊かであれば多くの栄養塩を排出するかと言われると、そのような証拠はこれまでに得られていません。さまざまな要因が絡み合い、森-川-里-海をつなぐメカニズムが複雑になっています。今後、流域ごとのケーススタディーを地道に積み上げて、普遍的に重要な要因を抽出することが重要です。
国土交通省では、河川に関する基礎的な情報を得るために、定期的にモニタリングを行っています。5年かけて全国109の一級河川の環境と生息生物を調べるもので、河川水辺の国勢調査と呼ばれています。その魚類調査には網で捕獲し魚種を調べるなど従来の手法が用いられ、上記22河川においてレッドリスト種は1河川で最大3種類しか確認されていませんでした。つまり、最大11種類を確認した今回の調査によって、多くの魚種の生息を短期間のうちに把握できる環境DNAメタバーコーディング法の有効性が明確に示されたと言えるでしょう。従来の調査に加えて環境DNA分析という強力なツールを用いることで、今後、森から海までのつながりがより鮮明に見えてくると期待されます。(了)

■図2 森林率とレッドリスト魚種数との関係。図中の番号は河川識別番号。

  1. ※1うっそうとした森林がある海辺では好漁場が形成されることを、先人は経験上よく知っていた。そのような海岸近くにある森林を「魚つき林」と呼ぶ。
  2. ※2畠山重篤著「体験学習で心の森を育む~三つの森を創る『森は海の恋人』運動」Ocean Newsletter第94号(2004.07.05発行)
  3. ※3益田玲爾著「環境DNAが海の未来にもたらすもの」Ocean Newsletter第435号(2018.09.20発行)

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