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オーシャンニューズレター

第543号(2023.03.20発行)

水中考古学─海底に眠る沈没船から蘇る歴史

[KEYWORDS]考古学/沈没船/水中遺跡
水中考古学研究・船舶考古学研究家◆山舩晃太郎

海の底に眠る遺跡から歴史の謎を解き明かす「水中考古学」。
1960年代に地中海で誕生したこの新しい考古学の一分野は、私たちに一体どのような歴史を語りかけてくれるのか。
沈没船という特殊な遺跡の魅力と、その研究の意義を紹介する。

水中考古学とは

人類の生きてきた痕跡である「遺跡」を発掘・研究し、私たちの忘れられていた過去を理解する学問を考古学という。その考古学にはさらに「水中考古学」と呼ばれる分野があるのを皆さんはご存じだろうか。
1960年代に地中海で行われた古代の沈没船遺跡の発掘研究を皮切りに、今日までに世界の多くの国の考古学研究で重要な分野とみなされるようになった「水中考古学」。なぜこの分野が注目されるのか。やはりそれは研究対象である遺跡が「水中」という特異な環境下に存在していることに関係している。水中考古学の最大の特徴は遺跡の「保存状態の良さ」にある。例えば2千年前の古代ローマ時代に船が嵐で座礁し、沈没した地点の海底が砂地であった場合、積み荷の重さや海流によって砂が覆いかぶさり、さらに海底の砂に埋まるという特殊な環境が出来上がる。するとその遺跡を取り囲む環境は「無酸素状態」になり、海洋生物やバクテリアが繁殖できない。それ故に、木材などの有機物でさえ2〜3千年以上ほぼ完全な状態で保存され、昨日沈んだかのような良好な状態で発見されることも少なくない。そのため、海底から発掘される遺跡の多くが、陸上の遺跡よりも多くの貴重な情報を保有し、学術的価値の高いことが多い。これが主に欧米の考古学者たちの間で水中考古学が高い関心を集めてきた理由である。

沈没船遺跡

クロアチアで見つかった古代ギリシャ時代(紀元前4世紀)の沈没船の積み荷のアンフォラクロアチアで発掘中の16世紀ベネチア共和国の沈没船遺跡

発見される水中遺跡のカテゴリーとして圧倒的に多いのが「沈没船遺跡」である。世界遺産登録を管理している国連教育科学文化機関(UNESCO)の試算によると、全世界の海底には100年以上前に沈み、歴史的な価値があるとされる沈没船が少なく見積もって300万隻以上あるとされている。ただこれまでに発見され、存在が知られている沈没船遺跡は世界でも数万隻程、学術調査が行われた遺跡は数百隻程度に留まっている。その意味で水中考古学はまだまだ未開の学問分野と言えるのだ。沈没船遺跡の考古学では主に「積み荷」と「船体」の2つを研究対象としている。沈没船が当時の商船や輸送船だった場合、積み荷も遺跡の一部として発掘されることが多い。これらの積み荷は単純に当時の港Aから港Bに運ばれていただけではない。それぞれの地域の国家、文明の中から集められた商品が港Aに集められ、船という小さな空間に乗せられ、他の地域の港Bに運ばれ、そこからさらに広くその地域の国中に運ばれる。つまり沈没船遺跡の中には当時の文明間、国家間の流通の状況が凝縮されているのである。そのため沈没船遺跡を発掘研究することで、その船が運用されていた時代の流通と経済システムを理解することが可能となるのだ。もちろんこれは保存状態の良い水中遺跡であるからという前提条件もあるが、国家間の流通システムの集約体であった「船」という特殊な遺跡であるからこそ、ここまで多くの歴史的知見を得ることができるのである。
そして積み荷だけでなく、沈没船の「船体」そのものも極めて重要な考古学研究の対象となる。水中考古学の父といわれるジョージ・バス博士(1923~2021)は「人類は農耕民である前に船乗りであった」との言葉を残した。これは人類が農耕を開始するはるか以前よりすでに世界中の離島やオーストラリア大陸などに到達していた証拠が見つかっているという事実から、私たち人類の文明の誕生と繁栄にとって「船」がいかに重要であったかを示した言葉である。その船の遺跡を研究することにより、当時の文明や国家の技術水準を知ることができる。私たち現代の考古学者が古代人の船の構造を研究することは、私たちの子孫、未来の考古学者たちが、21世紀前半の原子力潜水艦や国際宇宙ステーションを研究し、私たち現代人の技術水準を理解することと同義である。

水中考古学の難しさ

水中考古学の発掘研究には陸上の考古学にない難しさがいくつかある。その最たるものが「時間の制約」だ。水中考古学は、遺跡の「発見」を出発点として、発掘・記録作業を経て、得られた情報を基に「研究」を行う。この「研究」こそが考古学の主体なのだ。ただ、研究材料(考古学的情報)を集めるためには、遺跡を丁寧に発掘し、出土した遺構や遺物の情報を出来るだけ詳しく記録しなければならない。つまりより良い研究を行うには発掘と記録に十分な時間をかける必要がある。
水中考古学の場合は、発掘現場が「水中」にあるがためにスクーバダイビングをしながら作業を行わなければならない。水中では水圧で圧縮された空気を吸うことになるので、血中に窒素が通常以上に溜まり、浮上(減圧)時に気泡となって血流をブロックしてしまう「潜水病」を発症する恐れがある。そのため水中での作業時間は陸上の考古学の発掘作業よりはるかに短いものとなってしまう。例えば水深30mでの潜水作業では、安全のために1回の作業時間が30分程度、1日2回までに制限されることとなる。近年ようやく、このような状況を打破するきっかけとして、フォトグラメトリ(写真測量法)とデジタル3Dモデル技術が活用され始めた※1。また、この技術のさまざまな活用法の有用性を証明するために、世界中の水中考古学者によって実証試験が行われている。

日本の水中考古学のこれから

四方を海に囲まれながらも、わが国では残念なことに、海外に比べ、水中考古学研究が積極的には行われてこなかった。これは開発に伴う遺跡の破壊を防ぐために制定された「埋蔵文化財保護法」が適用対象となる「埋蔵文化財包蔵地」の水中遺跡への適用事例が極端に少なかったためであると考えられる※2。水中遺跡については、開発に伴う事前調査が行われてこなかったことで、護岸工事や埋め立て地造成工事により破壊され、それら水中遺跡が存在することが一般には知られてこなかったのである。ただ視点を変えれば、日本の水中考古学は学問として未成熟なだけであり、今後、水中遺跡の存在と、それらの調査研究から得られる知見の歴史的価値・重要性が正しく認識されれば、日本も今後数年で一気に水中考古学大国になり得るポテンシャルがある。
なぜならば日本は世界最高水準の陸上遺跡の保護管理システムを持ち、考古学研究の水準も世界トップクラスである。各市町村には埋蔵文化財課が設置されており、その地域の歴史を熟知した「陸上遺跡」発掘研究の経験値の高い考古学者が働いている※3。日本全国で公務員として活動する考古学者は約6,000人存在する。もし彼らの中の100人に1人でもダイビングライセンスを取得し、水中遺跡の調査研究を始めれば一気に水中考古学の大輪が花開くであろう。海に囲まれた国土を持つ日本がどのような歴史をたどって他国と関わってきたのか。その謎を解く「カギ」が海の底で私たちに発見されるのを待っている。(了)

  1. ※1山舩晃太郎「水中考古学者と7つの海の物語」
    https://suichukoukogaku.com/photogrammetry-and-underwater-archaeology/
  2. ※2岩淵聡文「海洋文化資源と水中文化遺産保護条約」本誌第344号(2014.12.5)
    https://www.spf.org/opri/newsletter/344_2.html
  3. ※3杉山浩平「陸の考古学者は水中の文化遺産になにを求めるか」本誌第467号(2020.1.20)
    https://www.spf.org/opri/newsletter/467_3.html

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