Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第535号(2022.11.20発行)

石黒鎭雄博士が渡英前の長崎海洋気象台で残したもの

[KEYWORDS]アナログ電子回路/あびき/英国国立海洋研究所
NPO法人長崎海洋産業クラスター形成推進協議会長崎海洋アカデミー所長、元長崎地方気象台長◆中野俊也

長崎から英国に渡り、アナログ電子回路を駆使し、多くの複雑な海洋現象の解明に業績を残した石黒鎭雄博士(1920~2007年)の長崎海洋気象台での様子を当時の資料等を元に紹介する。
現在も色あせることのない石黒博士による長崎湾の副振動「あびき」研究を振り返り、今後の研究への期待を述べる。

長崎海洋気象台に残る記録からみる石黒博士

■写真1 長崎海洋気象台在勤時の石黒鎭雄博士(前列左)。後ろに実験装置が見える。(写真提供:長崎海洋気象台OB・森川氏(後列左))

2021年12月、長崎港は開港450周年を迎え、記念事業のひとつとして「海洋教育フォーラム 長崎から世界へ、海でつながる長崎と世界 石黒鎭雄博士がつなぐ英国と長崎」が、新しくオープンした出島メッセにて開催された※1。タイトルにある石黒鎭雄博士は、ご存じの方も多いと思うが、2017年のノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロ氏のお父様である。詳細な業績については文献※2もあるが、まだ知られていないことが多々あると思っている。そこで、渡英前に石黒博士が勤務していた長崎海洋気象台に残っている資料等を元に彼の研究活動などを紹介し、少しでも石黒博士のことに興味を持っていただければと思う。ちなみに、カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞を受賞した直後は、現在の気象台はもちろん、長崎在住の気象台職員OBの方にも取材があったそうだ。その方の話では、石黒博士親子が英国に旅立たれる際、長崎駅まで見送りに行ったそうだが、カズオ・イシグロ氏は当時5歳で、残念ながらその時の記憶はほとんどないそうである。
気象台に残っている石黒博士の記録等を確認すると、明治専門学校(現:九州工業大学)を卒業後、陸軍などを経て戦後気象庁に入られた。1948年に中央気象台気象研究所(現:気象庁気象研究所)から長崎海洋気象台(現:長崎地方気象台)海洋課に異動された(写真1)。在職中の1958年に東京大学理学部で学位を取得された後、1960年に英国国立海洋研究所に、気象台を休職して赴かれ、1962年3月に気象庁を辞職されている。また、特許や実用新案の記録もあり、石黒博士はもちろんだが、当時の気象台の潜在能力の高さを感じる。筆者の最初の赴任地は長崎海洋気象台海洋課だが、恥ずかしながら、石黒博士のことは、ノーベル文学賞受賞のニュースの前に『日本海洋学会ニュースレター 第7巻 第1号』(2017年)に掲載された光易九大名誉教授の記事で初めて知った。石黒博士は、『長崎海洋気象台の歌』を作曲されており、気象台の創立記念日などに歌われていたが、作曲者がどんな方だったのかという話は聞いたことがなかった。
また、気象台には「長崎海洋気象同好会」があり、活動記録として『海と天気のしるべ』が残っている(写真2)。第1輯の1号には宇田道隆博士(初代台長)の「潮目の話」、39号に石黒博士の「ラヂオゾンデの話」が掲載されている。その後も石黒博士は多くの寄稿をされており、活動の中心だったと思われる。文章を書くことはある意味慣れが必要だと思うが、当時は手書きにもかかわらず、苦にされていなかったのだと感心する。
『海洋研究発達史』(宇田道隆、東海大学出版会、1978年)の「日本海洋研究のはじまり」の長崎海洋気象台の項に石黒博士の記載がある。「(前略)石黒鎭雄らが電子管自記波浪計、流速計などを発明し、努力して潮流・波浪の模型実験と実測で海難防止の平戸瀬戸の難問を解いて運輸大臣賞を得」とあり、コンピュータのない時に、複雑な海洋現象を正しく理解するため、当時入手可能なものを駆使して機器を開発し実験をしていたことがわかる。特に正確な地形の模型の製作から始めた平戸瀬戸の潮流解析、長崎湾の副振動(「あびき」※3と呼ばれる)の研究、さらに自動制御で有明海の潮位を再現するための模型実験は特筆すべきことで、これらの研究成果が渡英につながっている。石黒博士は数多くの論文や報告書を書かれているが、実験や研究に携わっているはずなのに、著者として名前が掲載されていない文献も散見される。博士の仕事量がうかがえる一方、当時の状況が気になる。

■写真2 長崎海洋気象同好会『海と天気のしるべ』の表紙。第1輯(左、1948年)から第10巻(1956年)。3冊目は3輯と4輯が合併。1957年に発展的に解消。

石黒博士の「あびき」研究とこれから

最後に、石黒博士の長崎海洋気象台における最も大きな業績である「あびき」現象の研究について触れておく。港湾や湖などで固有の周期で水位が変化する現象は「セイシュ(Seiche)」と呼ばれるが、港湾では潮汐と重なって観測されるので副振動とも呼ばれる。東シナ海の大陸棚上で生じた微気圧変動による水位変化が東方に伝播する過程で増幅し、長崎湾内で観測される副振動を、長崎の方言で「あびき」と言う。石黒博士は、観測と水理模型実験による「あびき」時の水位の波形から、長崎湾の地形を考慮し、アナログ電子回路でその波形を再現している。とにかく、この洞察力とアイデアが素晴らしいと思う。この研究は、現在デジタルコンピュータや大気場の解析などで理解されている「あびき」の発生機構の基礎として、色あせることなく半世紀以上経っても引用されているのだ。
筆者にとって印象に残る「あびき」は、1988年に起こった過去2番目に大きかったものだ。出勤直後、水位変化が始まり、気象台からの坂を下り、岸壁で確かに水位が25分程度で上下しているのを確認した。その後、変化が小さくなり、昼ぐらいに再び水位変化が大きくなり始め、今度は数人でカメラを持って浦上川河口に行き、海水が遡上する様子に興奮したことを覚えている。気象台のホームページ※4で紹介されている写真は、その時に撮影したものだ。
最近気になっているのは、150 cmを超えるような大きな「あびき」が起こっていないことだ。2019年3月の「あびき」は、ちょうど大潮と満潮が重なり最高潮位となったが、最大全振幅は108 cmで上位10番目にも入っていない。これは、長崎港の整備等により地形が変わったためなのか、それとも東シナ海で微気圧変動が発生しづらくなっているのか、興味が尽きない。石黒博士らの研究でも、港内施設による副振動の軽減について検討されている。港の整備が要因であれば、過去と最新の地形データを用いたシミュレーションで明らかにできないだろうか。もしそうならば、今後の長崎港の開発の際、防災やリスク管理について有益な知見が得られないだろうか。後者だと大気場の変化の研究が必要となってくる。いずれにしても、「あびき」に関する情報発表のためには未解明のことが多く、これからの研究に期待したい。(了)

  1. ※1日本船舶海洋工学会海洋教育推進委員会主催、長崎大学海洋未来イノベーション機構他共催「第72回海洋教育フォーラム」
    https://nagasaki-kaiyou.jp/
  2. ※2小栗一将(2018):石黒鎭雄博士の業績. 海の研究 27, 189-216. /(2022):アナログ電子回路による潮位と高潮の予測. 日本物理学会誌. 77 (9), 632-635.
  3. ※3岡田良平「副振動(あびき)について」本誌第218号(2009.9.5)
    https://www.spf.org/opri/newsletter/218_2.html
  4. ※4長崎地方気象台「副振動(あびき)」
    https://www.jma-net.go.jp/nagasaki-c/shosai/knowledge/abiki/abiki.html

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