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オーシャンニューズレター

第49号(2002.08.20発行)

第49号(2002.08.20 発行)

タンカー「タジマ」船内の船員殺害事件への対応は適切であったか

早稲田大学法学部教授 (国際法・海洋法)◆林 司宣

海上における法秩序の盲点を知らしめたといわれる「タジマ」号事件だが、長期にわたり関係者に多大の損害と苦痛を強いるのを避ける道はなかったのか。関係当局は、旗国の要請のない限り一切介入し得ないとの立場をとったが、筆者の見解では、海洋法は日本の刑事裁判管轄権を否認していない。

事実関係

去る4月7日、日本の会社が所有・管理するパナマ籍大型タンカー「タジマ」が台湾沖の公海を航行中、日本人船員が行方不明となったが、のちにフィリピン人船員が、他の二人の同国船員が同人を殴打し、海に投げ込むのを目撃したと報告した。被疑者は船長の要請で乗船した海上保安官によって個別の部屋に隔離され、同船は12日姫路港に入港した。同日、パナマの要請で保安官が乗船し現場検証等を行い、船内で血痕を発見し、また両被疑者は犯行を自供したと報じられた。

捜査報告書は19日パナマ大使館に渡されたが、翻訳や本国での検討のため返答が遅れ、同船は姫路港沖で被疑者を船長権限で軟禁したまま、一カ月以上停泊を強いられるという極めて異常な状態が続いた。パナマは、5月14日に被疑者の仮拘禁を要請し、海保は翌日両人を東京高検に護送したが、同国からの引渡し請求とこれを受けて逃亡犯罪引渡し法に基づく手続きを政府が開始したのは、さらにその一カ月後のことであった。

海洋法は日本の管轄権を否認していない

本事件は船長はじめ船員、タンカーの船主・管理関係者等の精神的・経済的損害と、さらには便宜置籍船に過度に依存する日本海運とそれに伴う法律問題など多くの問題を残したが、ここでは、一部指摘されたように、果して海洋法がわが国の早期対応を阻んだといえるかどうかをみてみよう。

関係当局の立場は、報道によれば、犯行は公海において外国船籍の船内で発生し、加害者は日本人でないため日本の刑法は適用されない。しかしパナマから被疑者の収監・送還の要請があれば直ちに対応する、というものであった。つまり海洋法上、旗国の要請がない限り沿岸国は一切介入し得ないとの立場である。筆者の見解では、海洋法のこのような解釈は正しくない。

港湾(内水)にある外国船内の事件に対する管轄権

まず問題は、事件が公海上で発生したことのみが強調され、他方、同船舶が日本の内水である港湾内に停泊し、殺人事件が日本に大きな影響を及ぼした事実が軽視されていたことである。

パナマ側は国連海洋法条約の領海に関する規定に言及した模様であるが、内水は領海と区別される。内水にある外国船に対する沿岸国の刑事管轄権については、同条約に明確な規定はなく、諸国の実行に基づく慣習法に従う必要がある。この点、主要国の実際の慣行は、少なくとも事件の重大性のために港湾や国内の静穏・平和、公序等を著しく害する場合には沿岸国が介入することを認めている。中でも殺人事件はその典型例で、たとえ沿岸国の国民がまったく関与していない場合であっても、いくつかの判例において裁判権が認められている。

日本の対応

現行の日本刑法は国外の犯行で日本人が被害者である場合には、外国人の被疑者に適用されない。これを厳格に解釈すれば、今回の事件で刑事訴追することは確かに困難であったかもしれない。しかし、殺害時点での状態がそのまま継続的に内水にもたらされ、日本に重大な影響を及ぼしている場合、海洋法は広い意味での当局による介入を否定していないといえる。被疑者の人権、人道的待遇も考慮して、一時的に上陸・仮収容するなどの措置をとり、パナマとの交渉を行ったとしても、国際責任は問われることはなかったであろう。伝えられる刑法改正作業の過程においても、以上の点が検討されることを期待したい。(了)

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