Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第490号(2021.01.05発行)

「変革的」海洋科学の10年に向けて

[KEYWORDS]トランスフォーマティブ海洋科学/多様な知/学際連携
東京大学大気海洋研究所国際学術分野教授◆牧野光琢

2021年1月から「国連海洋科学の10年(UNDOS)」が始まり、世界の海洋科学の研究機関・研究者が連携して、海洋科学の推進に取り組む。UNDOSでは「私たちの望む海」として、きれいな海、健全で回復力のある海、生産的な海、予測できる海、安全な海、万人に開かれた海、夢のある魅力的な海、の社会的成果が提起されている。
これらの実現に「変革的」海洋科学の挑戦が期待される。

国連海洋科学の10年

生命のふるさとである海は、われわれ人類にさまざまな恵みをもたらしてきた。食料としての水産物の供給をはじめ、芸術や教育・レクリエーションの対象として、また地球表層の熱や温室効果ガスの吸収源として、さらに近年は再生可能エネルギー資源や海底鉱物資源、遺伝資源などのポテンシャルも注目されている。一方で海は、陸起源の汚染や沿岸域開発による環境破壊、漁業による乱獲、地球温暖化による酸性化や貧酸素化、生態系や生物多様性の劣化など、多くの問題にも直面している。海の持続可能な開発を通じて、人類共通の目標である「SDGs(持続可能な開発目標)」の達成に貢献していくため、海洋科学は問題の発見や診断を行うだけではなく、その解決に直接的に貢献できるよう、大幅にアップグレードされなければならない。
このような問題認識のもとで、2021年1月より開始するのが「国連海洋科学の10年(UNDecade of Ocean Science for Sustainable Development: UNDOS)」である(OceanNewsletter 455号、476号参照)。国連の旗振りの下、2021年から2030年まで、世界中の研究機関・科学者が連携して、海洋科学の大幅アップグレードに取り組む。UNDOSでは、今後10年間の活動により実現を目指す「the Ocean We Want」(私たちの望む海)の姿を、きれいな海、健全で回復力のある海、生産的な海、予測できる海、安全な海、万人に開かれた海、夢のある魅力的な海、という7つのイメージにまとめている。その具体的な活動計画は、植松光夫氏(東京大学名誉教授)をはじめ世界で19名の専門家からなる運営企画委員会(EPG)や、世界8カ所で開催された地域計画会議、利害関係者フォーラムなど、1,900人を超える様々な立場の人々(科学者、政府、NGO 、若手世代、実業界、資金提供団体など)の意見や議論をもとに策定された。IOC西太平洋地域小委員会(IOC-WESTPAC)の主催による、北部・西部太平洋海域の地域計画会議は、2019年夏に東京で開催されている。

新しい海洋科学の考え方

伝統的な20世紀型の科学では、まず科学者・専門家が主に好奇心駆動型研究によって科学知を生産した後、それを社会に普及させるための制度が作られ、社会に実装されて課題が解決される、という過程が想定されていた。そこでは社会は科学的成果の“受け手”として位置づけられていた。しかし実際には、科学知が社会に効果的に実装されてこなかった、あるいは社会が真に求める知を科学が充分に生産してこなかったので、今日もまだ多くの海洋問題が存在しているということもできるだろう。
一方でUNDOSは、トランスフォーマティブ海洋科学(Transformative Ocean Science)という概念を提唱している。あえて和訳すれば“変革的海洋科学”となろうか。これは、社会にとって重要な課題の解決に必要な知を生み出すため、知のユーザーである実社会の利害関係者と科学者が、共に研究をデザインし、共に研究を実施し、その成果を共に社会実装する。そこから得られる反省や改善点などは即座に研究にフィードバックする。文系理系を越えた各専門学術分野の知見のみならず、多様な世代・ジェンダーの価値観や能力、そして世界各地に世代を超えて蓄積された地域知や伝統知なども活用する。その成果は、万人にわかりやすく、容易に入手可能で、かつ、実際の行動の変化につながるような形で社会に発信する。このように、多様な知が科学と社会の間を行き来しながら生産・統合されることを通じて、現実の、そして喫緊の課題の解決に真に役立つ新しい知が生産されるという考え方である。
このような新しい海洋科学をすすめていくためには、伝統的20 世紀型の科学活動よりも多くのエネルギーと時間が必要となる。特に開始当初は進捗が遅く、また、関係者の懸命の努力が実らないことも多いだろう。一科学者にとってみれば、自分の専門的アカデミズムの内側の“安全地帯”にとどまって研究するよりも、多くの汗をかき恥もかく作業である。しかし、このような大きな挑戦が海洋科学一般に求められるほどに、海洋の持続可能性は待ったなしの状態にあるという認識が必要ではないだろうか。

海洋政策としての論点と日本の役割

UNDOSは、国境や専門、立場を超えた連携によってのみ実行しうる科学を、10年間かけて世界で一緒にやっていこう、という極めてエキサイティングなプロジェクトである。2020年代は、このUNDOSを国際的なプラットフォームとして、世界中で海洋科学が活発に推進されていくことになる。UNDOS運営企画委員会(EPG)のメンバーでもある、スクリプス海洋研究所長マーガレット・ライネン教授の言を借りれば、「個々では決してできないことを、どうやって一緒に達成するか」という挑戦が始まったのである。
「私たちの望む海」を現実の社会で具現化していくためには、自然科学と人文社会科学の連携が不可欠である。たとえば、きれいとは、魅力的とはなにか、健全性をだれがどう決めるのか、それが社会や地域、セクターによってどう異なるのか、地域スケールにおける政策と太平洋スケールやグローバルスケールの政策はどう整合性をとるのかなど、海洋政策として学際的に議論すべき論点は多い。
とくに日本は、日本の強みとアジア太平洋地域の一員という立場を活かしてUNDOSに貢献すべきである。アジア太平洋には地球人口の60%以上があつまり、魚食への依存度が高く、沿岸域の開発により高人口密度の大都市が多数存在するとともに、急速な経済発展とそれに伴う海洋汚染・公害という問題も顕在化している。また、津波など海の自然災害も多い。アジア太平洋地域の問題解決なしに、世界の海の持続可能性はありえないのである。一方、アジア太平洋には、さまざまな伝統文化・文明を有する国々が、各海域の生態系の恵みをもとに多様な社会を作り上げてきた。この文化的多様性は、生物多様性とならび、人類の大切な遺産である。これらの多様性を前提にして、日本の海洋政策の知識と経験をわかりやすく使いやすい形で発信するとともに、アジア太平洋としての知と経験の共有に貢献していくことが、海洋立国を目指す日本の海洋科学が進むべき方向性ではないだろうか。(了)

  1. ユネスコの政府間海洋学委員会(Intergovernmental Oceanographic Commission)

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