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オーシャンニューズレター

第360号(2015.08.05発行)

第360号(2015.08.05 発行)

南極海ー極限の氷域生態系からー

[KEYWORDS] 豊饒の海/環境変動/生態系変動
国立研究開発法人水産総合研究センター国際水産資源研究所専門員◆永延幹男

典型的な氷域生態系である南極海は豊饒の海であり、莫大な生物量のナンキョクオキアミを中心にした、ペンギン・アザラシ・クジラなど豊かな食物連鎖生態系を示す。ところが近年、温暖化・棚氷崩壊などの海洋環境の変化が報告されている。
地球温暖化に加えて、オゾンホールの存在が偏西風帯の南下現象を誘発し、環境ひいては氷域生態系の変動へ繋がっている可能性が高い。南極海の環境生態系に関する一層の探究が必要だ。


豊穣の海から

南極海は、南極大陸をぐるりと360度囲む海だ。暴風圏の南緯55度前後に位置する南極前線以南をいう。南極前線では水温が急激に2~3℃低下し海の断崖となる。南極海では、冷たい氷域に適応した生物が豊富に棲息する。
氷域生態系の要(かなめ)の生物種がナンキョクオキアミだ。その全体生物量(推定・数億トン)は単独種としては地球最大級だ。オキアミ捕食者として魚類、飛翔鳥類、ペンギン、アザラシおよびクジラなどが繁殖する。オキアミは自然生態系の中心となる餌生物だ。漁獲活動も、1970年代初頭から実施されている。将来の人口増加による食糧危機を救う潜在的資源としての期待もある。南極海は豊饒の海なのである。
ところが近年、南極海の特に西南極における棚氷崩壊・水温上昇など環境変動が相次いで報告されている。近年の南極海の変動には、オゾンホールおよび地球温暖化の影響が強いことが明らかになりつつある。こうした環境の変動は氷域生態系へ強く影響する。

氷山の一角

■写真1:氷山・海氷が浮かぶ夏季の南極海(著者撮影)

「氷裂け 我が星の果て 鳥の舞」(宇風)
南極海の氷域を観察(写真1)した時に詠んだ拙句だ。著者の現場感覚が凝縮している。上句「氷裂け」は、棚氷の崩壊現象。中句「我が星の果て」は、極限の海に立つ心境。下句「鳥の舞」は、ユキドリが舞う野生自然。
南極海を鮮烈的に象徴するのは氷山だ。誕生までの時間の悠久さ、形の雄大さ、姿の幽玄さ、融けゆく儚さは、繊細なダイナミズムを醸す自然芸術だ。氷山の約90%は海面下に潜っている。いわゆる「氷山の一角」とはこの現象からきている。ところが今、一角どころか多角の変動が次々と報告されている。
南極大陸を覆う氷床は氷河から海に出て棚氷となる。棚氷から分離したものが氷山。近年、棚氷の大規模な崩壊が相次いでいる。2000年にロス棚氷から分離した氷山B15は、長さ295×幅37kmで記録史上最大級。2002年の南極半島のラルセンB棚氷からの崩壊面積(3,250km2)は東京都の約1.5倍にあたる。小規模な棚氷崩壊は頻発している。ごく最近では、2015年2月にアムンゼン海沿岸の棚氷崩壊で氷山(27×19km)が分離した。さらに最新情報(NASAサイト)では、2002年に崩壊したラルセンB棚氷の残りが10年以内に全壊する可能性が高いという。こうした棚氷の崩壊は大陸部の氷床の滑り出しを加速するだろう。

偏西風帯の南下による変動か?

■図1:オゾンホールと偏西風帯南下との関係 (コロンビア大学学習サイトより)
http://engineering.columbia.edu/study-links-ozone-hole-broader-climate-change

南極海は冬季には全体が海氷域で覆われる。観測技術が発達した現代にあっても、船舶行動は大きな制約を受ける。とはいえ、近年の科学調査研究は、南極海の変動を多角的に明らかにしつつある。南極海変動の総合的レビューは英文が多い※1。和文ものとしては著者らの編著を挙げる※2。ただし未解明な現象が多く、常に最新情報に気を配っておく必要がある。
現在進行中の南極環境の変動は複雑だ。包括的に捉えることは困難だ。ここでは、次の二点に絞って要約する。第一に「南極環境変動の全体構造は科学的にどのように捉えられているのだろうか?」、第二に「南極環境変動はオキアミ生態系へどのように影響を及ぼしているのだろうか?」だ。
第一について、コロンビア大学サイトを挙げる※3。南極海全体の気候変動の原因は偏西風の南下にあるという。その南下現象を引き起こしているのが、1980年代初期に発生したオゾンホールの存在としている(図1)。偏西風の南下が南極海の海氷・海洋構造へ影響を及ぼす。オゾンホールと地球温暖化が関係している。本サイトは関連サイトへ芋づる式に繋がっている。関連する最新情報として英国南極調査所サイト(棚氷・氷床とオゾンホール)を示す※4。

氷域生態系の構造と変動

■図2:南極オキアミ環境生態系の構造と変動に関する概念図

第二の視角については、オキアミ生態系変動と偏西風およびオゾン層破壊との関係性だ。第一の視角以前に、著者らはこれらの関係性につき論文化している(Naganobu et. al., 1999)。IPCCレポート(2001)は、これらの関係性の発見を気候変動と南極生態系を繋げるものとして評価した。
著者らは、オキアミ環境生態系の概念図を表した(図2)。この概念図の主役は偏西風だ。東向きの偏西風は年々の強弱変動をとる。偏西風変動は、地球自転のコリオリ力による北向きの効果が働き(エクマン輸送)、表層環境へ影響する。偏西風が吹くことで、海氷と南極表層水が沖合に向けて発達し、かつ大陸からのカタバティック風※5の影響も加わり、海氷域が開いたポリニア(海水湖)が形成され、深層暖水の湧昇により栄養塩類の光合成層への補給が高まり、植物プランクトンの繁殖、それを餌とするオキアミの繁殖、それを餌生物とするペンギン・アザラシ・クジラなどの捕食者の繁殖生態へ繋がる。漁場環境へも影響する。偏西風の強弱がキーポイントとなる。
加えて、概念図の構造に強いインパクトを与えているのがオゾン層破壊だ。著者らは、1980年代前半の南極半島域のオキアミ減少とオゾン層破壊との関係を前述論文で見出していた。「オゾン層破壊の紫外線による生物への悪影響かも」とIPCCを含め着目された。しかし著者らは、紫外線影響よりも、オゾン層破壊による大気‐海洋変動の可能性を重視した。10年後に出された第一の視角と合うことが示唆される。
偏西風変動に起因する自然変動がある。そこに近年の「偏西風帯の南下現象」が影響していると考えられる。南極表層水の温暖化、深層暖水の南方移動、海氷域の変動、棚氷の崩壊、南極底層水の高温・低塩分化、オキアミ生態系の変化などの構造的な繋がりが示唆される。自然変動から環境異変へと表現を変えざるを得ない。
南極環境の変動・異変は地球規模の変動・異変へ大きく影響する。多角的調査研究による統合的解明が必要だ。(了)

※1 J. Turner et al., eds. 2009 Antarctic Climate Change and the Environment, Scientific Committee on Antarctic Research.
※2 永延幹男 2003 南極海―極限の海から. 集英社新書/ 永延幹男・村瀬弘人・藤瀬良弘編著 2013 南極海―氷の海の生態系. 東海大学出版会
※3 コロンビア大学サイト(オゾンホールによる偏西風帯の南下変動):
http://engineering.columbia.edu/study-links-ozone-hole-broader-climate-change
※5 カタバティック風 katabatic wind(滑降風):高所で放射冷却した冷気が重くなり斜面を降下するとき吹く風。

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