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オーシャンニューズレター

第353号(2015.04.20発行)

第353号(2015.04.20 発行)

海と付き合う水産系人材の育成

[KEYWORDS]水産/海洋活動/人材育成
独立行政法人水産大学校理事長◆鷲尾圭司

海洋分野の人材育成が求められているが、どのような人材かの議論は業態ごとの事情の違いから、かみ合っていない面がある。
海と有史以前から付き合ってきた水産の立場が求める人材像を示し、海や利害関係者との調整力の大切さを水産大学校での取り組みを参考に考えてみた。


海と付き合う

魚を触ると「ぬるぬる」する。その理由から、水産系人材の育成は始まる。陸に暮らすわれわれは、「海は広いな大きいな」と眺めてはいるが、その海の中身についてはなかなか想像力が働かない。海洋活動を進め、その神秘に迫るには水中に暮らす「お魚の気持ち」を学ぶ必要があると老漁師から教わった。
魚をはじめとする水中生物の多くは、その体表面にぬるぬるする物質を持っている。これは水中環境が生物に及ぼすさまざまな影響を軽減するために生得された機能といえる。物理的には水との摩擦抵抗を小さくして、魚が泳ぐときのエネルギーロスの軽減や、海藻類では波や流れによって枝葉が引きちぎられるのを防ぐ助けになっている。化学的には水質変化の刺激が直接体内に及ぼす影響を緩和する役目として、魚のエラなどでは水質が悪化すると粘液が増えることが観察されている。さらに微生物学的には水中に浮遊している微生物の侵入を防ぐため、粘液中にわれわれの大腸菌のような共生微生物相を維持している。直接観察できるものとしては、老成したサザエやカメの甲羅にカキやフジツボが着生するが、そうした付着生物の着生を防ぐ働きも持っている。
こうしてみると水中生物にとってぬるぬるした粘液は水中で生きていくために必須の機能といえるだろう。しかし、われわれが海に入り、持ち込もうとする道具類にはこうしたぬるぬるはない。仮に塗りつけて使用しても、いち早くぬぐい去られて機能は持続しない。それは水中生物が意識的に分泌し続けて、その機能を維持し続けている生物活動に他ならないからだ。
では、どうすれば持ち込んだ道具類の腐食や汚損されることを防ぎ、持続的に海で活動できるだろうか。それを考えて工夫することが水産系人材の役割でもあると考える。なぜなら、漁師たちは有史以前から海と関わり、多くの失敗や経験を得て、海の怖さやおもしろさを伝えてきたからだ。

水産大学校における人材育成

水産大学校は農林水産省所管の独立行政法人として、水産業を担う人材の育成を目的として設置されている。文部科学省所管の大学とは異なるが、(独)大学評価・学位授与機構による審査を受けて組織認定されており、4年間の学修を終えると大学と同等に学士の資格が得られる。こうした大学に相当する高等教育機関を設ける理由は、水産基本法に掲げる目的を達成するためであり、「学問と教育の自由」という面より「水産施策に貢献する」ことを強く求めているためである。
水産業においては担い手の減少や高齢化が顕在化し、新たな担い手の確保と六次産業化など取り組むべき課題の多様化に対処するための人材育成が強く求められている。これは他の産業界にも共通する問題ではあるが、水産業界では上記の海中世界との対応には科学的に解明されていない課題も多く、まだまだ経験で乗り切らなければならない場面が多くある。そこで、水産大学校では水産の現場に出て働く上で、海に親しみ、海に馴染む体験と並行して、水産に関する総合的な視野をもつ教育と実学重視の育成プログラムを用意している。水産高校など高校レベルの学校は全国に多数あるが、水産系の大学クラスの大学校は本校一つであるため、学生は全国から集まっている。

水産系人材の需要

トロール実習

救助艇操練

わが国の水産業は1990年ごろをピークに漁獲量も販売額も食品市場のシェアも大きく減少してきている。このため衰退産業のようにとらえられがちだが、1950年代のレベルに落ち着いてきたという見方もできる。遠洋漁業が輸入に置き換わったことを考えれば、これからは沿岸漁業主体で持続的生産を確保し、その高付加価値化をはかることで存在感を示すことができる分野だと考えられるからだ。魚の生産は少なくなったとはいえ全国津々浦々で展開できるもので、それぞれの生産現場から消費地のマーケットまでをつなぐ水産物流通はこれからも断ち切ることはできない。
水産物は鮮度管理が難しく、和食における価値を発揮させるには高度な技術者が必要で、これまでの経験重視のお店における跡継ぎ育成が難しくなってきている昨今では、水産高校や水産大学校での人材育成が重要度を増している。とくに漁労や水産加工など個々の技術だけではなく、経営的な分析や市場ニーズの理解など広い視野に立った人材が不足しているといわれる。
実際に水産大学校では就職希望者の約95%が就職し、その80%余りが水産系企業に進路を得ている。企業現場での団塊世代の退職期でもあるが、新たな人材の需要はまだ続いている。さらに、近年注目されている新たな海洋産業にも、海の波に揺られ、潮をかぶってでも仕事をしたいという人材は、水産系で鍛えられた者が最適ともいわれ、多くの現場に卒業生たちが向かうようになっている。

水産系人材に求められる調整能力

今日の社会ではさまざまな主体が複雑な利害関係を持ち、その調整を図ることが事業を進める上で大きな課題になってきている。事業と環境持続性、事業と社会的公正、事業と社会貢献などはかなり専門的な場面でも展開できるが、利害調整には専門的な科学的判断力のみならず、マネジメント能力や交渉能力が必要であり、問題の解決策をデザインする力が求められる。技術者教育のJABEE(日本技術者教育認定機構)においても、2012年からエンジニアリング・デザイン力※の教育が強く求められている。水産大学校では全学科においてJABEEの認定を受けており、個々の専門性を伸ばすと共に、こうしたエンジニア・デザイン力を強化した人材育成に努めている。これは水産業や漁村の多面的機能を発揮させる上でも大切であると共に、まさに海と人間活動のつなぎ役としての「ぬるぬる」の役まわりと考えると、その育成の意義と可能性は大きく広がっていく。(了)

※ ワシントン協定におけるエンジニアリング・デザインの定義。数学、基礎科学、エンジニアリング・サイエンス(数学と基礎科学の上に築かれた応用のための科学とテクノロジーの知識体系)および人文社会科学等の学習成果を集約し、経済的、環境的、社会的、倫理的、健康と安全、製造可能性、持続可能性などの現実的な条件の範囲内で、ニーズにあったシステム、エレメント(コンポーネント)、方法を開発する、創造的、反復的でオープンエンドなプロセスである。

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