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オーシャンニューズレター

第303号(2013.03.20発行)

第303号(2013.03.20 発行)

海図は国家の礎~水路業務とその重要性~

[KEYWORDS]海図/水路業務/海洋情報部
一般財団法人日本水路協会 技術アドバイザー◆西田英男

海の地図である「海図」について、その役割と重要性について説明をする。
また、海図の作成・発行を主務とする水路業務とそれを担当している海上保安庁海洋情報部について、その歴史、国際的役割、最近の活動についても紹介する。

はじめに

「海図」について、読者の方々はどのぐらいご存知だろうか。船舶が航行するために持っている「海の地図」という漠然とした認識をお持ちの方が多いのではないかと思うし、もちろんそれは間違いではない。わが国は、世界第6位の管轄海域を持つ海洋国家であり、貿易量の99.7%を船舶に頼る海運国家でもある。その船舶が航行するために「海図」は必要不可欠であり、この意味で、海図はまさにわが国の経済を支えるためにも不可欠なものである。
「海図」は、海上保安庁海洋情報部(旧名は水路部、平成14年4月改称)により作成、提供されており、これらの業務は「水路業務」と呼ばれている。本稿では、「海図」および「水路業務」について説明するとともに、その重要性やあまり知られていない側面についても紹介したい。

海図の重要性

海図は確かに海の地図であるが、陸の地図とは少し目的が違う。陸図が、ある地点や目標物の地理上の位置や位置関係、それらの間の経路を知ることが主な目的であるのに対し、海図の主たる目的は、これらに加え、航海の安全のため、船舶が航行する経路上の水深情報を知ることにある。
例えば陸上を移動する時に、地図がないと障害物にぶつかる危険があるということはなく、そのために地図を持つわけではない。しかし海上を航行する船舶は、海図に記された経路上の水深情報がなければ、見えない浅瀬に座礁する危険がある。このため、船舶には、法的に海図の搭載義務が課せられている。さて、東日本大震災の直後、東北地方沿岸の被災地にとって何より必要であったのは、被災者への支援物資であった。陸路は寸断され、津波による多数の障害物のため海上交通路も使用できなかった。このため、航路を啓開すべく海底にある障害物の位置や形状を水路測量の技術で調べ、港湾当局が撤去した後は確認測量を行って港湾機能の早期回復に貢献したのである。
海図には航海安全目的以外にも重要な役割がある。国連海洋法条約では、領海の幅(12海里)、排他的経済水域の幅(200海里)などを測定するための基線を「沿岸国が公認する大縮尺海図に記載されている海岸の低潮線」と定めている。また、沿岸国が設定した領海や排他的経済水域、大陸棚などの範囲を海図に記載して公表し、国連事務総長に寄託することとしている。すなわち、沿岸国の領海や排他的経済水域等管轄海域は、海図を根拠とし、海図に記載しなければならない。その意味で、海図はまさに国家主権の根源を支えていると言ってよい。

わが国水路業務の歴史と国際的な動き

■わが国の海図一号となる「陸中國釜石港之圖」
(提供:海上保安庁)

わが国の海図を作成、提供している海上保安庁海洋情報部の歴史は、明治初期にまで遡る。幕末の開国以降、欧米諸国がわが国周辺で争って測量を行い、港湾域における海図の作成を行っていたが、国防上、わが国独自で海図を作成する必要があるという判断の下、明治4年、兵部省海軍部内に水路局が創設された。初代水路部長に就任した柳楢悦(やなぎならよし)は、早くから測量技術を学び、主に英国の指導を仰ぎながら、わが国が独力で海図を作成できるよう創設期の組織を精力的に主導し、明治5年には、わが国として初めて自前で作成した海図「陸中國釜石港之圖」(図参照)を刊行した。
海は世界とつながっており、国際船舶は各国の港間を行き来する。その際、用いる海図の表記がそれぞれの国によって異なると大変不便である。このため、海図の国際的な統一基準を定める努力がなされており、それを主要な任務として設立されたのが国際水路機関(IHO; International Hydrographic Organization)である。IHOの事務局はモナコ公国に置かれており、現在加盟国は81カ国に上る。
昨今のデジタル技術の進展とともに、海図分野においても、海図情報を電子化した航海用電子海図が普及、発展してきている。電子海図は、いわば海のカーナビとも言うべきもので、自船位置や航跡、針路、速力などを電子海図表示装置上に自動表示して把握することができ、またレーダー映像の重ね合わせ表示や危険海域に接近した時の警報機能等により、航海者の利便向上と航海の安全確保に大きく貢献するものである。SOLAS条約の改正により、2012年から船舶に対する電子海図表示装置の搭載が順次義務付けられていく。このため現在IHOにおいては、世界中の電子海図を整備することが喫緊の課題となっている。

技術力と人材育成

技術の進展への対応もさることながら、そもそも海図作成というのは、専門的かつ職人的な技術が求められる世界であり、これらの技術を担う「人」を、いかに守り、育てていくかは大きな課題である。
わが国では、水路組織の草創期以降、新技術への対応も含めた技術力の維持・向上、人材育成の努力を行ってきた。しかしながら国際的にみると、特に開発途上国における技術力は依然として十分なものではなく、このことは、世界の海図整備にとって、常に克服すべき重要な課題となってきた。
このような背景のなか、わが国では1971年から開発途上国の水路技術者育成のため、半年間の研修をJICAが毎年開催している。また2009年には海図専門家の育成プロジェクトを日本財団の支援により立ち上げた。これは、英国水路部(UKHO)の研修コースを利用するもので毎年3カ月間の研修を行っている。このようにわが国は、これまで築いてきた技術力も活かしつつ、国際的な人材育成事業を主導することにより、国際社会に貢献すべく努力を重ねており、筆者自身もこれまで微力を尽くしてきたところである。

結び

筆者は昨年、英国水路部より「アレクサンダー・ダルリンプル賞」※を受賞させていただいた。聞き慣れないとは思うが、これは、2005年国連総会において、広く一般の人々に世界中の船舶交通の安全と海洋環境の保全のための水路業務や水路技術の重要性について啓発することを目的として採択された「世界水路の日」を記念して、英国水路部が制定した賞で、18世紀末の英国初代水路部長の名を冠したものである。
世界の水路業務分野において顕著な貢献をした個人に贈られるものということだが、筆者としては、長年にわたりわが国の水路業務に関わってきた多くの海洋情報部OB、現役の方々を代表して頂いたものと認識している。わが国の水路業務草創期に指導も受けた英国からこのような賞を頂けたことは光栄であり、また感慨深いが、これを機に、地味な技術的側面をもつ水路業務が、少しでも一般の方々に理解される契機になれば、これに勝る喜びはない。(了)

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