Ocean Newsletter

オーシャンニューズレター

第253号(2011.02.20発行)

第253号(2011.02.20 発行)

海を理解することで協調の海の構築を

[KEYWORDS] 東シナ海陸棚域/基礎生産/EEZ
九州大学応用力学研究所地球環境力学部門教授◆松野 健

東シナ海陸棚域は様々な要素が組み合わさって複雑な構造を呈している。そこでの生物資源は周辺諸国の大きな関心事であるが、人為的に区割りした境界線の中で海を理解することはできない。
その海を一つの系として理解することで、私たちはそれにどう関わればよいかがわかってくる。海の科学的理解が国際社会を変えることを夢想する。

海の上の線引き

日本の国土が海で囲まれていることは誰もが知っている。そしてその周囲の海でそれぞれ隣国と領土に関する揉めごとがあることも多くの人が知っている。しかし、その海がどういうものであるか、そこで何が起こっているか、実は誰も知らない。専門家でさえ自信を持って言えることは限られている。
にもかかわらず社会は海を知ろうとする予算を削り続けている。東シナ海について考えてみよう。中国が東シナ海でのさまざまな活動に意欲的なことは明白であり、韓国も海洋観測拠点を増設している。ひとり日本だけが、既存の定点ブイさえ撤去し、観測船も減らしてしまった。
海洋とひと口に言っても、それは様々な側面を持っている。ここでは海底下のことをひとまずおいて、海水全体としての海を考えたい。海底下に眠る地下資源が海洋権益の重要な要素になっていることは明らかであるが、古くから係争の種になっている漁業資源もまた、国際間の大きな関心事になっている。地図の上に線を引いてここからこっちはわが国の海だ、というやり方である。
一方、誰でも知っているように海の水は絶えず動いている。そこで生きている生き物たちが、水の流れとはまた違ったスタイルでその生息場を移動させていることもよく知られている。しかし、海の中の生物生産システムやそれに深く関与している海の環境がどのように漁業資源を支配しているか、十分にわかっているわけではない。まして、気候変動や人間の営為がそれにどう関わっているか、その見取り図はまだできていない。緯度経度や水深だけでそれが海の地図だというのは、陸上で等高線だけ描いてそれが地図だというようなものである。

東シナ海の生物資源と環境研究

私たちは東シナ海の環境と生物生産の構造がどうなっているか、ということに関心を持ってきた。そこでの漁業生産が周辺諸国の関心事であったことに由来するが、最近では、周辺海域での沿岸環境にこの海域の健康が重要な役割を果たしている様子が垣間見えるようになってきたことにも注目しなければならない。
東シナ海の生物資源を支える栄養塩の起源として、長江をはじめとする河川からの流入、黒潮亜表層水の寄与、大気や海底からの負荷などが考えられるが、それらが明確に特定されているわけではない。私たちはそれぞれに起源を持つ栄養塩が東シナ海陸棚域の基礎生産にどのように寄与しているかを検討するため、韓国・中国・台湾の研究者とひとつの研究グループを作り、2007年から科学技術振興調整費による3年間の事業として共同研究を行った(協調の海の構築に向けた東シナ海の環境研究)※。そこでは、上述の科学的な目的を掲げたが、それ以上に、共同研究を通じて、この海域の海洋環境に関する理解を少なくとも研究者間で共有し、この海に人々がどのように関わっていくべきか、海洋学の視点からの認識を呈示することを目指した。

大陸と大洋が交わるところ─長江希釈水


■陸棚域での鉛直混合過程の観測

韓国の研究者とは、東シナ海陸棚域の韓国経済水域において、長江希釈水の挙動に関する共同観測を繰り返した。その成果の一つとして、海況が平穏な場合には希釈の割合は小さく、主に低気圧の通過による下層との混合によって希釈されることが示された。希釈が主として下層との混合によって行われているということは、同時に外洋起源を多く含む栄養塩が下層から供給されていることを示す。
一方、低塩分水内に分布する比較的小さなサイズのプランクトンが、陸起源の栄養塩を再利用しつつ、そこで生産を繰り返しながら陸棚域を運ばれ、対馬海峡までも達することもわかってきた。これは、東シナ海陸棚域の生物環境が、長江起源の栄養塩と外洋起源の栄養塩との双方に依存していることを示すものであり、長江希釈水は、まさに大陸と大洋が交わるところであることがわかる。それは周辺の国々が自国の周りで線引きをするようなスケールの話ではないことをイメージしなければならない。

陸棚域に分布する水と物質の収支

台湾の研究者とは、台湾海峡を横断する定期フェリーを利用して台湾海峡通過流のモニタリングを始めた。東シナ海陸棚域へ水の出入りする場所を、台湾海峡、対馬海峡ならびに黒潮の流れる陸棚縁辺部と考えると、両海峡を通過する流量の比較から、黒潮から陸棚域に流入する正味の流量を計算することができる。水の収支だけ考えても個々の場所の現象は独立ではない。東シナ海陸棚域をひとつの容器と考える必要があることがわかる。
中国との共同研究では、直接的な共同観測等によるデータ交換が難しい状況にあるため、主として数値モデルによる陸棚域の循環構造の理解について意見交換を繰り返してきた。研究者間では、陸棚を横切る流れ場や、鉛直輸送過程などについて、共通理解ができるようになってきている。今後、特に陸起源物質の挙動やその物質収支を研究する上で、より緊密な交流が望まれる。
東シナ海の環境を支配する物質の出入り口は、長江も含め、それぞれ異なった国の領土・領海もしくは排他的経済水域であり、財布の口は一つではない。さらに東シナ海の陸棚域では、それらの境界条件だけでなく、様々な物理・化学・生物過程が折り重なって、複雑な環境が維持されている。

東シナ海を共同財産に

その環境はすべて流れ行く水の中で維持されており、自然と無関係の境界線で区切っても意味がない、全体をひとつのシステムとして捉える必要がある。そういう点では、漁業協定で相互乗り入れを認めている暫定水域・中間水域は意味のあることである。むしろそれをさらに進めて、自然に即したあり方、すなわち海を共同財産として管理していくことが推奨される。そこでは自然の再生機能によって生態系が維持できる程度の漁獲量に収まるように正しく制御されることが要求され、海洋環境のより科学的な理解が必要となる。自然の恵みをどのように人間の社会に取り込んで行くか、再検討しなければならないところにきている。同じ立場は、海底資源についても成り立つ。元々生活圏にない空間に存在する自然物をどう取り扱うのか、競争的に自然から収奪する経済は明らかに再考されなければならない。
人類の知恵が試される場として、海を理解するための科学が「協調の海」の構築に生かされることを期待する。(了)

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