Ocean Newsletter
第253号(2011.02.20発行)
- 九州大学応用力学研究所地球環境力学部門教授◆松野 健
- 日本大学理工学部海洋建築工学科親水工学研究室 教授◆畔柳(くろやなぎ)昭雄
- 岡崎研究所理事◆金田秀昭
- ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所副所長・教授)◆秋道智彌
編集後記
ニューズレター編集代表(総合地球環境学研究所副所長・教授)◆秋道智彌◆京都市内で育った私は、小学校のころ毎年夏、若狭湾に海水浴にいったものだ。高浜、和田がそうであり、昭和20年代、若狭の浜は磯臭い匂いであふれていたことを思い出す。浜には、網にかかったヒトデやニシンなどが散乱し、異臭をはなっていた。海水浴も漁村の風景の一コマであったのだ。その浜も変貌し、いまでは原子力発電所が林立し、原発銀座の異名があるくらいとなった。
◆日本の歴史における海水浴は、古代から近世、近代、そして現代にいたるまで、時代とともに大きく変容してきた。このことを日本大学の畔柳昭雄さんがいみじくも述べておられる。氏の挙げられた図2の『尾張名所図会』は、図のサイズが小さく細部をみることができないのが残念だが、浜で海水浴を楽しむ男女の姿が生き生きと描写されていて興味深い。当時、後藤新平が海水浴文化の普及に尽力したという話をはじめて知ったが、日本人と海とのおおらかな関わりがあったことは間違いあるまい。
◆日本には、少なくとも江戸期以降に発達した古式泳法があり、おもに武術の一環としてたしなまれた。19世紀当時、葛飾北斎による『北斎漫画』にもさまざまな遊泳法が描かれており、わたしなどは海士・海女の泳法の系譜とのつながりを思い起こす。沖縄の糸満系の海人(ウミンチュ)のように足から潜る方法と、本州でみるような、足をけり上げて頭から潜る泳法は、系譜にちがいがあるのかないのか。古くは、『魏志倭人伝』に登場する倭の水人もさかんに潜水漁撈に従事した。かれらは一体どのような泳法で海に潜ったのか。現在でも、全国でおこなわれる素潜り漁には、韓国の海女さんたちが各地で活躍している。よく確かめたわけではないが、彼女らの潜り方は本州の海女さんらのものと共通しているのではないか。いずれにせよ、海水浴から泳法までを総合的に取り上げる学は興味ある。田辺 悟さんなどの成果を踏まえて、泳法の歴史と伝播についての研究を今後とも発展・継承していきたいものだ。
◆海とのおおらかな関わりは善しとして、岡崎研究所の金田秀昭さんによる南西諸島の防衛態勢論と、九州大学の松野健さんによる日中韓台の協調による環境研究の提案の迫力はすごい。いずれも古代に遡及して東シナ海、日本海の海洋文化の問題を考える性格のものではない。国防や資源争奪の問題には、おおらかな態度で接することができないまでも、「海を越える海女」のような存在もどこかで記憶しておいてよい歴史と文化の一面であると思うが、いかがだろうか。
◆本誌の元編集委員であった濱田隆士氏が平成23年1月にご逝去された。わかりやすい語り口で海の世界を展開されていた濱田氏の面影はわたしの脳裏にいまも刻まれている。都内の大きなビルなどに行くと、壁や柱の大理石に埋めこまれた海洋生物の化石を探すことに夢中になっておられた先生の姿をなつかしく思い出す。やさしい中にきびしさを秘めた先生の海への想いを、われわれ編集委員一同、心して受け止め、前進していきたいと思う。合掌。(秋道)
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